ビジネスパーソンであれば、一度くらいは「土光敏夫(どこうとしお)」という名前を聞いたことがあると思います。
しかし「何をした人なのか?」「どのような経歴なのか?」「どんな考え方の人なのか?」という深い部分までは知らないですよね。
そこで今回は、土光敏夫の名言集をご紹介したいと思います。
これを見れば、伝説的な経営者である『土光敏夫』の考え方や姿勢が理解できるので、リーダーを目指すビジネスパーソンはぜひご覧ください!
土光敏夫(どこうとしお)とは?
土光敏夫は、昭和明治29年生まれの経営者です。
東京高等工業学校を卒業した後、石川島播磨重工業株式会社(現在のIHI)へ入社します。
石川島芝浦タービン取締役社長などを経て、石川島播磨重工業の取締役社長、最終的には会長まで昇り詰めます。
その後は、経営状況が悪かった東京芝浦電気株式会社(現在の東芝)の経営を託され、取締役社長に就任します。
「ミスター合理化」と呼ばれた経営手腕で見事に東芝を立て直し、経済団体連合会会長(経団連会長)など、日本の経済界を引っ張る重鎮として活躍しましたが、昭和63年8月に逝去しました。
このような輝かしい経歴から、土光敏夫は『戦後屈指の名経営者』として知られています。
土光敏夫の名言まとめ
幹部は偉い人ではなく、つらい人だと知れ。
日本人は「長」という肩書きを欲しがりますよね。
しかし肩書きを得るということは、それと同時に責任感も増すことに気づくべきだと思います。
責任感が増すということは、それだけ求められることも増していくので、必然的に誰よりも自己研鑽を求められるはずです。
ごく稀に「昇格すれば、部下に仕事を任せられるので楽になる」と勘違いしているビジネスパーソンを見かけますが、決してそんなことはないので十分注意しましょう。
常に将来へのビジョンを描いておけ。
それが人々に希望を植えつける。
ビジネスリーダーは常にビジョンを持っていなければいけません。
ビジョンというのは、いわゆる「将来像」のことです。
しかもそれを具体的に”言語化”できなければいけません。
逆説的に言えば、ビジネスの将来像を語れない人はリーダーになれないということです。
これから期待される社員像は「変化に挑戦しうる人」である。
ビジネス環境は常に変化していくので、現状維持するわけにはいきません。
つまり『単なる作業マン』など求められていないということです。
適時、外部環境に合わせて自分を変化させましょう!
組織は上下の雛壇ではなく丸い円と考えよ。
これを実践するのは難しいかもしれませんが、円陣を組んで団結した組織はとても強固だと思います。
組織にチャレンジ・レスポンスで揺さぶりを与えよ。
動かない水は腐る。
どんな会社であっても、『攻めの姿勢』を忘れてはいけません。
常にイノベーティブな挑戦をしていきましょう!
組織活動において、「自分は聞いていない」「そんなこと言ったかな」「誰かがやってくれるだろう」、この三つの言葉ほど危険なものはない。
これは全てのビジネスパーソンが口にしてはいけない禁句だと思います。
十分注意しましょう!
ルールはルールとして重んぜよ。
ルールが悪ければルールを改める勇気を持て。
ルールを守るのは基本ですが、常に環境は変化していくので、もしルールが合わない場合にはそれを改めれば良いだけだと思います。
トップは100%職責権限を委譲し、しかもトップに100%職責権限が残る。
土光敏夫は事業部制を採用していたので、事業部長に全ての権限を委譲していたそうです。
つまり上司と部下という関係ではなく、考え方としては『フラットな取引関係』ということです。
お互いどうすればビジネスが拡大するのかを真剣に話し合い、そこで折り合いがつけば、『社長は事業部長に発注する』という考え方なので、お互いが事業主として活動するのです。
しかしそれでも、何か問題があればトップ(発注者)に責任が及びます。
だからこそ事業部長(受注者)は、100%職責権限してもらった代わりに”責任完遂”で応えるのです。
権限がなくてもサービスはできる。
土光敏夫は中間層の社員から「権限がないから何もできない」という声をよく聞いていたそうです。
しかしそのように言う人たちは、「自分の権限すら全て使い切っていない」と語っています。
会社はあくまでも事業体なので、”会社のメリット”さえあれば何だってできるはずです。
そのような会社にとってのメリットを正確に把握できていなかったり、うまく社内営業できないことを「権限がないから…」と言い訳しているのだと思います。
部下の持つ情報が上司の持つ情報と等しくなるぐらい密着したコミュニケーションをやれ。
部下のことを『外注先』と考えれば、密なコミュニケーションは当たり前ですよね。
逆に密なコミュニケーションができていなければ、外注先がきちんと納品してくれるはずないと思います。