貞観政要の名言集31選!ビジネスリーダーが知るべき帝王学まとめ

貞観政要(じょうがんせいよう)は中国の古典ですが、「最強の帝王学」が記された名著として有名なので、一度くらいはそのネーミングを聞いたことがあるはずです。

ちなみに「ヨーロッパの帝王学が学べる名著」と言われているのは、マキャベリ(マキャヴェリ)が残した”君主論”です。

貞観政要や君主論などの本には、トップ(経営者や代表者など)が知るべき知識が凝縮されているので、数多くの偉人達に読み継がれてきたと言われています。

しかし「貞観政要」というタイトル含めて、なんとなく難解な雰囲気が漂っているため、ほとんどのビジネスパーソンは読んだことがないはずです。

そこで今回は、貞観政要の名言&言葉をまとめながら、その内容をわかりやすく解説したいと思います。

できる限り”現代語訳”にしているので、古典が苦手な人でもきっと理解できるはずです。

ビジネスで成功する為のポイントが詰まっているので、ぜひ最後までご覧ください。

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貞観政要(じょうがんせいよう)とは?

タイトルである「貞観政要(じょうがんせいよう)」には、「貞観の時代の政治の要点(ポイント)をまとめた書物」という意味があります。

そもそもこの本は「中国No.1」とも言われる名君”太宗 李世民”と、それを補佐した名臣たちの政治問題集です。

李世民(りせいみん)が納めた時代は唐(とう)ですが、教科書にも出てくる「遣唐使」で覚えている人も多いはずです。

中国の歴史を紐解いてみると、ほとんどの政権は短命に終わっているので、「長期政権を作るのは至難の技だ」と言われていました。

そんな中、李世民(正確には父親の李淵と一緒に)が立ち上げた唐の時代は約300年間も続いたので、李世民はかなり強烈なリーダーシップを持った人物だったと想像できます。

実はその唐の時代の中でも、平安の時期(23年間)を「貞観(貞観の治)」と呼んでいるのです。

つまり貞観政要とは、そのような長期政権を実現するノウハウが詰まった名著ということになります。

なので、これまで多くの偉人が手に取ってきましたが、その考え方を素直に受け入れて、同じく長期政権を築いたのが江戸幕府を開いた”徳川家康”です。

貞観政要を参考にすることで、徳川幕府は同じく300年という長期政権を維持できたのですが、この事実を真に受けると「貞観政要の通りにすれば、誰でも長期政権を樹立することが可能である」という結論になるはずです。

他にも、鎌倉時代に活躍した北条政子(尼将軍)は、貞観政要を治世の参考書にするように命じました。

それだけでなく、歴代天皇(明治天皇など)も帝王学の教科書として貞観政要を学んできたと言われています。

このような事実は、ビジネスリーダーを目指す人にとって非常に興味深いポイントだと思います。

貞観政要には何が書かれている?

ここまで読み進めた人は、きっと少なからず貞観政要に興味を持ったはずです。

それでは貞観政要には一体何が書かれているのでしょうか。

もちろん様々なエピソードが記載されているのですが、この本のテーマを要約すると「守成(守り)の難しさ&守成のコツ」ということに集約されていきます。

例えばワンピースの主人公であるモンキー・D・ルフィは、「海賊王になること」が夢ですよね。

海賊王になることはとても難しいと言われていますが、もし仮に海賊王になれた場合には、その後一体どうなるのでしょうか?

つまり何が言いたいのかと言うと、「海賊王になるという夢を目指しているトップの振る舞いと、海賊王になった後のトップの振る舞いではどう違うのか?」ということです。

これはつまり「創業(攻め)と守成(守り)の違い」という話です。

特に戦国の世(乱世)では、「王になる」という目標を掲げて戦い、戦に勝った人が政権を樹立することを繰り返していました。

「王になる」という目標を掲げて戦っている時には”創業の精神”が必要ですが、政権を樹立した後は、今度はその地位を守らなければいけません。

この時、ほとんどの人は王になった後も、「王になる」という目標を掲げて戦っていた頃と同じ立ち振る舞いをしてしまうのです。

端的に言えば、これが失敗の原因だと李世民は悟ったのです。

このような失敗を避けるためのノウハウが凝縮された本だと考えれば、貞観政要は読みやすいと思います。

貞観政要(じょうがんせいよう)
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貞観政要の登場人物

貞観政要は”太宗 李世民”と、それを補佐した名臣たちの政治問題集なので、対話形式の書物です。

その中には、様々な人物が登場しますが、主には以下の人物が登場します。

太宗 李世民(たいそう りせいみん)

李世民は、隋の武将だった李淵(後の高祖)の二男として生まれます。

隋末期の混乱期に、父である李淵(りえん)と共に挙兵し、首都長安を攻め落とし、唐王朝を創建しました。

父である李淵が第一代皇帝に就任し、李世民は秦王に任命され、唐の大将軍にも就任したので、21歳の若さで唐の軍隊を統括することになったのです。

しかし李世民はあまりに優秀だった為、兄の建成(けんせい)、弟の元吉(げんきち)からねたまれ、その関係性は徐々に悪化していきます。

結局は、李世民の側近だった房玄齢(ぼうげんれい)と杜如晦(とじょかい)のアドバイスにより、兄と弟を殺害(玄武門の変)し、626年に第二代皇帝の地位に就いたのです。

李世民からすれば「あくまでも自衛の手段」でしたが、この事件がしこりになったのは想像に値します。

房玄齢(ぼうげんれい)

李世民は秦王時代、「十八学士」という優秀な18人を集めていました。

その18人は学問や政治のプロフェッショナルで、将来自分が唐王朝の王になり、治世をする時のアドバイザーとして集めた人たちでした。

その筆頭格が房玄齢です。

李世民が太宗に即位した後、房玄齢は尚書左僕射(=宰相)に就任し、朝政にあたりました。

杜如晦(とじょかい)

杜如晦も「十八学士」のメンバーで、房玄齢と同じく 筆頭格の存在でした。

李世民が太宗に即位した後、杜如晦は尚書右僕射(=宰相)に就任し、房玄齢と共に朝政にあたりました。

魏徴(ぎちょう)

杜如晦と房玄齢が生え抜きの存在だったのに対し、魏徴は兄である建成・元吉陣営に属していた人物です。

玄武門の変で2人が亡くなった後、あまりに優秀な魏徴のポテンシャルを李世民が見抜いて、自らヘッドハンティングしたのです。

魏徴はとびきり優秀だったので、魏徴の助言がなければ「貞観の治」は実現できなかったとさえ言われています。

王珪(おうけい)

王珪(おうけい)も建成・元吉陣営に属していた人物ですが、ポテンシャルの高さを見出され太宗にヘッドハンティングされます。

杜如晦と房玄齢は表側の政を担当して、魏徴と王珪は裏側の政(李世民へのアドバイス業務)を担当していたと言われています。

貞観政要の名言まとめ

貞観政要の名言1

まず、奢侈(しゃし)を戒めて費用を削減し、人民の夫役や租税を軽減する。

かつまた、廉潔な役人を選んで用いる。

こうして人民の衣食を豊かにしてやれば、自然に誰も盗みなどしなくなるだろう。

<李世民>

これは「盗賊が出ているので、刑を重くしていただきたい」と進言した部下に対して、李世民が伝えた言葉です。

李世民は”力”で押さえつけるのではなく「仕組みで抑制する」ことを選んだのです。

ちなみに「奢侈(しゃし)」とは、必要な程度や身分を越えたぜいたくのことを言います。

実際にこのようなやり方を取ったところ、盗賊はいなくなり、安心して野宿できるくらい平和な世の中になったそうです。


貞観政要の名言2

いまだかつて、体はまっすぐ立っているのに影が曲がって映り、君主は立派な政治をとっているのに人民がでたらめであったという話は聞かない。

<李世民>

この言葉は「君主の姿勢さえ正しければ、国も民も平安を保てる」という意味の名言です。

「国の安泰を願うなら、まず己の姿勢を正す必要がある」と李世民は語っています。


貞観政要の名言3

明君の明君たる所以は広く臣下の進言に耳を傾けることであります。

<魏徴>

これは李世民から「明君と暗君の違いはどこにあるのか?」と質問された魏徴(ぎちょう)が答えた名言です。

トップに立つ人はどうしても”暴君”になりがちなので、それを防ぐためには「周りの意見を良く聞くべきだ」と魏徴は語っています。

これはリーダーが持つべき最も重要な心得の一つです。

ちなみに暗君の特徴とは、「自分がお気に入りの部下の話しか聞かないし、信じることがないこと」だそうです。


貞観政要の名言4

それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。

古をもって鏡となせば、もって興替(こうたい)を知るべし。

人をもって 鏡となせば、もって得失を明らかにすべし。

<李世民>

これは「三鏡」という有名な言葉です。

魏徴は李世民が抱えた臣下の中で「最も優秀な部下」だったと言われていますが、その魏徴が亡くなった時、李世民は人間が持つべき「3つの鏡」の話をしたそうです。

  1. 銅の鏡:自分の見た目を確認できる普通の鏡
  2. 歴史の鏡:過去の歴史から学ぶこと
  3. 人の鏡:身近にいてくれる人、自分に忠告してくれる人

この”3つ鏡”の中の「人の鏡」を失ったと大変悲しんだそうです。


貞観政要の名言5

天子の位というのは、天から授かり、人民から与えられるもので、それを手にするのは困難であるとは言えません。

<魏徴>

これは「創業と守成(攻めと守り)の難しさ」について語った名言です。

李世民は「帝王の事業の中で、創業と守成のいずれが困難だろうか?」と質問したところ、房玄齢は「創業の方が困難です」と答えましたが、魏徴は「守成の方が困難です」と答えました。

魏徴が「創業は難しくない」と考えた理由は上の言葉の通りです。

それに比べて、一旦天下をとった後は、気持ちが緩むので、帝王は自分勝手に振る舞い始めます。

専制君主制の場合には、それを抑制するのが非常に難しいので、「守成の方が困難」だと考えたのです。


貞観政要の名言6

易きに居りて危うきを思う。

<魏徴>

これはつまり「平時の時こそ、心を引き締めなければいけない」という意味の言葉です。

この言葉自体は”春秋左氏伝の引用”なのですが、魏徴はこの言葉がお気に入りだったようで、太宗に何度も伝え続けています。


貞観政要の名言7

私の下す勅令に、もし妥当適当を欠く点があれば、遠慮なく意見を申し述べるべきだ。

<李世民>

李世民が”貞観の治”を実現できた秘訣は、この言葉に集約されています。

権力の強いトップは、「自分の意見が正しい」と思い込んでしまうので、周りの意見などに聞く耳を持ちません。

そのような人を「暗君」と呼んでいて、周りの意見を素直に聞ける人が「明君」と呼ばれているのです。


貞観政要の名言8

国を治める時の心構えは、病気を治療する時の心掛けと全く同じである。

<李世民>

病気を治療する時、その途中で治療を怠れば、すぐに病気はぶり返してしまいます。

国を治める時にも、上り調子だからと言って気持ちを緩めれば、すぐにまた下降してしまうのです。


貞観政要の名言9

忠臣が口を閉ざし、へつらい者が幅をきかせ、しかも、君主は自らの過ちに気づかない。

これが国を滅ぼす原因なのである。

<李世民>

過去の歴史をさかのぼってみると、このような理由で王朝は滅亡してきました。

これは企業も全く同じだと思うので、ビジネスリーダーは十分注意しましょう。


貞観政要の名言10

君は船なり、人は水なり。

水はよく船を載せ、またよく船を覆す。

<魏徴>

これは中国のことわざですが、それを魏徴は引用しました。

「君」とは君主のことなので、この言葉が伝えたいのは「人民次第で国は栄えたり滅んだりするので、専制君主は人民の声に耳を傾けなければいけない」ということです。

ワンマン経営の危うさを語った名言だと思います。




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