
貞観政要(じょうがんせいよう)は中国の古典ですが、「最強の帝王学」が記された名著として有名なので、一度くらいはそのネーミングを聞いたことがあるはずです。
ちなみに「ヨーロッパの帝王学が学べる名著」と言われているのは、マキャベリ(マキャヴェリ)が残した”君主論”です。

貞観政要や君主論などの本には、トップ(経営者や代表者など)が知るべき知識が凝縮されているので、数多くの偉人達に読み継がれてきたと言われています。
しかし「貞観政要」というタイトル含めて、なんとなく難解な雰囲気が漂っているため、ほとんどのビジネスパーソンは読んだことがないはずです。
そこで今回は、貞観政要の名言&言葉をまとめながら、その内容をわかりやすく解説したいと思います。
できる限り”現代語訳”にしているので、古典が苦手な人でもきっと理解できるはずです。
ビジネスで成功する為のポイントが詰まっているので、ぜひ最後までご覧ください。
目次
貞観政要(じょうがんせいよう)とは?
タイトルである「貞観政要(じょうがんせいよう)」には、「貞観の時代の政治の要点(ポイント)をまとめた書物」という意味があります。
そもそもこの本は「中国No.1」とも言われる名君”太宗 李世民”と、それを補佐した名臣たちの政治問題集です。
李世民(りせいみん)が納めた時代は唐(とう)ですが、教科書にも出てくる「遣唐使」で覚えている人も多いはずです。
中国の歴史を紐解いてみると、ほとんどの政権は短命に終わっているので、「長期政権を作るのは至難の技だ」と言われていました。
そんな中、李世民(正確には父親の李淵と一緒に)が立ち上げた唐の時代は約300年間も続いたので、李世民はかなり強烈なリーダーシップを持った人物だったと想像できます。
実はその唐の時代の中でも、平安の時期(23年間)を「貞観(貞観の治)」と呼んでいるのです。
つまり貞観政要とは、そのような長期政権を実現するノウハウが詰まった名著ということになります。
なので、これまで多くの偉人が手に取ってきましたが、その考え方を素直に受け入れて、同じく長期政権を築いたのが江戸幕府を開いた”徳川家康”です。
貞観政要を参考にすることで、徳川幕府は同じく300年という長期政権を維持できたのですが、この事実を真に受けると「貞観政要の通りにすれば、誰でも長期政権を樹立することが可能である」という結論になるはずです。
他にも、鎌倉時代に活躍した北条政子(尼将軍)は、貞観政要を治世の参考書にするように命じました。
それだけでなく、歴代天皇(明治天皇など)も帝王学の教科書として貞観政要を学んできたと言われています。
このような事実は、ビジネスリーダーを目指す人にとって非常に興味深いポイントだと思います。
貞観政要には何が書かれている?
ここまで読み進めた人は、きっと少なからず貞観政要に興味を持ったはずです。
それでは貞観政要には一体何が書かれているのでしょうか。
もちろん様々なエピソードが記載されているのですが、この本のテーマを要約すると「守成(守り)の難しさ&守成のコツ」ということに集約されていきます。
例えばワンピースの主人公であるモンキー・D・ルフィは、「海賊王になること」が夢ですよね。
海賊王になることはとても難しいと言われていますが、もし仮に海賊王になれた場合には、その後一体どうなるのでしょうか?
つまり何が言いたいのかと言うと、「海賊王になるという夢を目指しているトップの振る舞いと、海賊王になった後のトップの振る舞いではどう違うのか?」ということです。
これはつまり「創業(攻め)と守成(守り)の違い」という話です。
特に戦国の世(乱世)では、「王になる」という目標を掲げて戦い、戦に勝った人が政権を樹立することを繰り返していました。
「王になる」という目標を掲げて戦っている時には”創業の精神”が必要ですが、政権を樹立した後は、今度はその地位を守らなければいけません。
この時、ほとんどの人は王になった後も、「王になる」という目標を掲げて戦っていた頃と同じ立ち振る舞いをしてしまうのです。
端的に言えば、これが失敗の原因だと李世民は悟ったのです。
このような失敗を避けるためのノウハウが凝縮された本だと考えれば、貞観政要は読みやすいと思います。

貞観政要の登場人物
貞観政要は”太宗 李世民”と、それを補佐した名臣たちの政治問題集なので、対話形式の書物です。
その中には、様々な人物が登場しますが、主には以下の人物が登場します。
太宗 李世民(たいそう りせいみん)
李世民は、隋の武将だった李淵(後の高祖)の二男として生まれます。
隋末期の混乱期に、父である李淵(りえん)と共に挙兵し、首都長安を攻め落とし、唐王朝を創建しました。
父である李淵が第一代皇帝に就任し、李世民は秦王に任命され、唐の大将軍にも就任したので、21歳の若さで唐の軍隊を統括することになったのです。
しかし李世民はあまりに優秀だった為、兄の建成(けんせい)、弟の元吉(げんきち)からねたまれ、その関係性は徐々に悪化していきます。
結局は、李世民の側近だった房玄齢(ぼうげんれい)と杜如晦(とじょかい)のアドバイスにより、兄と弟を殺害(玄武門の変)し、626年に第二代皇帝の地位に就いたのです。
李世民からすれば「あくまでも自衛の手段」でしたが、この事件がしこりになったのは想像に値します。
房玄齢(ぼうげんれい)
李世民は秦王時代、「十八学士」という優秀な18人を集めていました。
その18人は学問や政治のプロフェッショナルで、将来自分が唐王朝の王になり、治世をする時のアドバイザーとして集めた人たちでした。
その筆頭格が房玄齢です。
李世民が太宗に即位した後、房玄齢は尚書左僕射(=宰相)に就任し、朝政にあたりました。
杜如晦(とじょかい)
杜如晦も「十八学士」のメンバーで、房玄齢と同じく 筆頭格の存在でした。
李世民が太宗に即位した後、杜如晦は尚書右僕射(=宰相)に就任し、房玄齢と共に朝政にあたりました。
魏徴(ぎちょう)
杜如晦と房玄齢が生え抜きの存在だったのに対し、魏徴は兄である建成・元吉陣営に属していた人物です。
玄武門の変で2人が亡くなった後、あまりに優秀な魏徴のポテンシャルを李世民が見抜いて、自らヘッドハンティングしたのです。
魏徴はとびきり優秀だったので、魏徴の助言がなければ「貞観の治」は実現できなかったとさえ言われています。
王珪(おうけい)
王珪(おうけい)も建成・元吉陣営に属していた人物ですが、ポテンシャルの高さを見出され太宗にヘッドハンティングされます。
杜如晦と房玄齢は表側の政を担当して、魏徴と王珪は裏側の政(李世民へのアドバイス業務)を担当していたと言われています。
貞観政要の名言まとめ
まず、奢侈(しゃし)を戒めて費用を削減し、人民の夫役や租税を軽減する。
かつまた、廉潔な役人を選んで用いる。
こうして人民の衣食を豊かにしてやれば、自然に誰も盗みなどしなくなるだろう。
<李世民>
これは「盗賊が出ているので、刑を重くしていただきたい」と進言した部下に対して、李世民が伝えた言葉です。
李世民は”力”で押さえつけるのではなく「仕組みで抑制する」ことを選んだのです。
ちなみに「奢侈(しゃし)」とは、必要な程度や身分を越えたぜいたくのことを言います。
実際にこのようなやり方を取ったところ、盗賊はいなくなり、安心して野宿できるくらい平和な世の中になったそうです。
いまだかつて、体はまっすぐ立っているのに影が曲がって映り、君主は立派な政治をとっているのに人民がでたらめであったという話は聞かない。
<李世民>
この言葉は「君主の姿勢さえ正しければ、国も民も平安を保てる」という意味の名言です。
「国の安泰を願うなら、まず己の姿勢を正す必要がある」と李世民は語っています。
明君の明君たる所以は広く臣下の進言に耳を傾けることであります。
<魏徴>
これは李世民から「明君と暗君の違いはどこにあるのか?」と質問された魏徴(ぎちょう)が答えた名言です。
トップに立つ人はどうしても”暴君”になりがちなので、それを防ぐためには「周りの意見を良く聞くべきだ」と魏徴は語っています。
これはリーダーが持つべき最も重要な心得の一つです。
ちなみに暗君の特徴とは、「自分がお気に入りの部下の話しか聞かないし、信じることがないこと」だそうです。
それ銅をもって鏡となせば、もって衣冠を正すべし。
古をもって鏡となせば、もって興替(こうたい)を知るべし。
人をもって 鏡となせば、もって得失を明らかにすべし。
<李世民>
これは「三鏡」という有名な言葉です。
魏徴は李世民が抱えた臣下の中で「最も優秀な部下」だったと言われていますが、その魏徴が亡くなった時、李世民は人間が持つべき「3つの鏡」の話をしたそうです。
- 銅の鏡:自分の見た目を確認できる普通の鏡
- 歴史の鏡:過去の歴史から学ぶこと
- 人の鏡:身近にいてくれる人、自分に忠告してくれる人
この”3つ鏡”の中の「人の鏡」を失ったと大変悲しんだそうです。
天子の位というのは、天から授かり、人民から与えられるもので、それを手にするのは困難であるとは言えません。
<魏徴>
これは「創業と守成(攻めと守り)の難しさ」について語った名言です。
李世民は「帝王の事業の中で、創業と守成のいずれが困難だろうか?」と質問したところ、房玄齢は「創業の方が困難です」と答えましたが、魏徴は「守成の方が困難です」と答えました。
魏徴が「創業は難しくない」と考えた理由は上の言葉の通りです。
それに比べて、一旦天下をとった後は、気持ちが緩むので、帝王は自分勝手に振る舞い始めます。
専制君主制の場合には、それを抑制するのが非常に難しいので、「守成の方が困難」だと考えたのです。
易きに居りて危うきを思う。
<魏徴>
これはつまり「平時の時こそ、心を引き締めなければいけない」という意味の言葉です。
この言葉自体は”春秋左氏伝の引用”なのですが、魏徴はこの言葉がお気に入りだったようで、太宗に何度も伝え続けています。
私の下す勅令に、もし妥当適当を欠く点があれば、遠慮なく意見を申し述べるべきだ。
<李世民>
李世民が”貞観の治”を実現できた秘訣は、この言葉に集約されています。
権力の強いトップは、「自分の意見が正しい」と思い込んでしまうので、周りの意見などに聞く耳を持ちません。
そのような人を「暗君」と呼んでいて、周りの意見を素直に聞ける人が「明君」と呼ばれているのです。
国を治める時の心構えは、病気を治療する時の心掛けと全く同じである。
<李世民>
病気を治療する時、その途中で治療を怠れば、すぐに病気はぶり返してしまいます。
国を治める時にも、上り調子だからと言って気持ちを緩めれば、すぐにまた下降してしまうのです。
忠臣が口を閉ざし、へつらい者が幅をきかせ、しかも、君主は自らの過ちに気づかない。
これが国を滅ぼす原因なのである。
<李世民>
過去の歴史をさかのぼってみると、このような理由で王朝は滅亡してきました。
これは企業も全く同じだと思うので、ビジネスリーダーは十分注意しましょう。
君は船なり、人は水なり。
水はよく船を載せ、またよく船を覆す。
<魏徴>
これは中国のことわざですが、それを魏徴は引用しました。
「君」とは君主のことなので、この言葉が伝えたいのは「人民次第で国は栄えたり滅んだりするので、専制君主は人民の声に耳を傾けなければいけない」ということです。
ワンマン経営の危うさを語った名言だと思います。
君臣の義として、臣下たるものは主君の過ちを正さねばならぬ。
<李世民>
トップが誤った判断をした場合、それを指摘するのも部下の勤めです。
そのようなチームが”優れた組織”なのだと思います。
私が兵を率いて隋の都だった この長安に攻め入った時、宮中には美女が溢れ、宝物が山と積まれていた。
<李世民>
これは人間の欲望の深さについて語った名言です。
隋の皇帝だった煬帝(ようだい)は、私利私欲の限りを尽くしていたので、宮中はとてもきらびやかだったそうですが、その一方で人民は貧しい暮らしをしていました。
なので「煬帝が死んだ」と聞いて悲しんだ人民はいなかったそうです。
人間の欲望は際限がないので、自らコントロールしなければいけません。
「欲しいもの」を求めるのではなく、「必要なもの」だけを求めましょう。
国を治めるのは、木を植えるようなもの。
<李世民>
木の根っこがしっかりしていれば、枝葉は自然に繁栄します。
君主が人民のことを第一に考え、つつましく生活し、私利私欲を無くしてしまえば、国は自然と繁栄するのです。
自分の姿を映し出そうとすれば、必ず鏡を用いなければならない。
それと同じように、君主が自らの過ちを知ろうとすれば、必ず忠臣の諌言(かんげん)によらなければならぬ。
<李世民>
自分が犯した過ちは鏡に映りませんが、それを見ていた他人なら指摘できます。
なのでリーダーは「絶対に”人の鏡”を持つべきだ」と李世民は語っています。
どんなに曲がりくねった木でも、縄墨にしたがって製材すればまっすぐな材木が取れる。
それと同じように、君主も進化の諌言を聞き入れれば立派な君主になることができる。
<王珪>
リーダーは自分一人の能力だけで戦う必要などありません。
周りに優秀な人を集めて、その人達が能力を発揮すれば、どんな偉業でも成し遂げられるのです。
アメリカの「鉄鋼王」と呼ばれた アンドリュー・カーネギーの墓石には、下のような言葉が刻まれています。
「おのれよりも優れた者に働いてもらう方法を知る男ここに眠る」
これこそが資本主義における”ビジネスの本質”なのだと思います。
部下の意見が自分の意見と違っているからといって、拒否してはならぬ。
<李世民>
これは太宗である李世民が、宰相の房玄齢に伝えた言葉です。
李世民は臣下からの諫言を全て受け入れていましたが、それと同じ姿勢を房玄齢などにも求めたのです。
李世民は「部下の諫言を受け入れない者は、上司に諫言する権利などない」と常日頃から言っていたそうです。
ちなみに”諌言”とは「目上の人の欠点や過失を指摘して忠告すること」です。
彫刻に凝れば農事がおろそかになり、織物に凝れば、それだけ女どもに負担がかかりましょう。
奢侈に走るのは滅亡を招く元であります。
<褚遂良(ちょすいりょう)>
奢侈(しゃし)とは贅沢のことです。
人間の欲望には際限がないので、初期段階でその芽を摘んでおくべきだと思います。
名経営者と呼ばれる人たちは、こぞってみんな”ドケチ”ですが、そのロジック(=理由)が語られている名言だと思います。
上書というのは、古来、手厳しいものであります。
<魏徴>
これは李世民に対して魏徴が伝えた言葉です。
ちなみに”上書”というのは、意見を述べるために差し出した書面のことです。
意見することが目的なので、その内容は批判的であることが多いのですが、それに目くじらを立てるようでは周囲に諫言を依頼することなどできません。
むしろ「意見してくれたことに感謝する気持ち」が必要だと思います。
いたずらにおべっかを使い、気に入られそうなことを口にするだけが能ではあるまい。
<李世民>
これはサラリーマンに伝えたい名言No.1ですね。
サラリーマンは上司にゴマすりをしたり、派閥争いに勤しんでいますが、本当にトップが求めているのは「実直な意見と行動」だと思います。
善を行う者の幸せは長く、悪を行う者の寿命は短い。
<李世民>
これは長期経営を実現する為の格言です。
よこしまな考え方や、誠実でない振る舞いは、身を滅ぼします。
その逆は”寿命を長くする”ので、そのような心掛けでいるべきだと思います。
どんな時代にも、人材はいると思う。
ただ我らの方がそれに気づいていないだけのことではないのか。
<李世民>
これはリーダーにとって耳が痛い話だと思います。
リーダーはいつも「適任がいない」「優秀な部下がいない」と嘆いていますが、どんな時代、会社、場所にも「優秀な人材は必ずいる」と李世民は語っています。
名君と言われる人は、集まった人材に適した仕事を与え、相手の力量に応じて使いこなしているのです。
それができなければ二流の経営者(リーダー)ということになります。
賞と罰こそは国家の重大事である。
<李世民>
きちんと実績を残した人に賞を与え、罪ある人だけを罰する仕組みにしなければ、全体のモチベーションが下がってしまいます。
李世民は「実績を残した人に罰を与えたり、罰を与えるべき人に実績を与えることは、絶対にしてはいけない」と語っています。
仕組み作りには十分注意しましょう。
林が深ければ、たくさんの鳥が棲みつき、川幅が広ければ、魚は群をなして集まってくる。
<李世民>
これは「仁義を持って、心の通った政治をすれば、人民は自然に慕って寄ってくる」という意味の比喩です。
李世民の「人民第一」という考え方が伝わってくる名言ですよね。
肝心なのは、あくまでも人材の登用である。
<李世民>
李世民は「本当に有能な人材であれば親族でも構わぬ。仇敵であってもためらってはならぬ。」と語っています。
敵側陣営だった魏徴と王珪を自らヘッドハンティングした李世民らしい言葉だと思います。
流水が澄んでいるか濁っているかは、源の良し悪しにかかっている。
君主と人民の関係を河に例えれば、君主は源であり、人民は流水のようなものだ。
<李世民>
これはつまり「頭が腐れば尻尾も腐る」ということです。
リーダーを目指す人が覚えておくべき格言だと思います。
君主たるもの、臣下に語るとき、わずかな失言もあってはならない。
たとい些細な失言でも、影響するところは大であって、庶民の失言とは同列に論じられない。
私はこのことを常に肝に銘じている。
<李世民>
これは「リーダーたるもの言葉に責任を持つべき」という意味の言葉だと思います。
言葉は君子にとってこの上なく重要なツールなのです。
我が身を不幸に落とし入れるのは、利益を貪ろうとするからである。
<李世民>
鳥は高い木を探して巣を作りますし、魚は岩陰に隠れています。
それでも人間に捕まってしまうのは、餌を求めて出てくるからです。
欲を出しすぎると、手痛いしっぺ返しを食らうかもしれません。
十分注意しましょう。
国の法令は単純明快であるべきだ。
<李世民>
これは法律について語った名言ですが、全てにおいて言えると思います。
例えば、料金プランが複雑だったり、サービス内容が複雑だと、お客様は理解しづらくなります。
何事においても「シンプルイズベスト」を心掛けましょう。
兵は凶器である。
万やむをえざる時に用いるものだ。
<李世民>
これは兵隊について語った言葉ですが、それと同時に戦をするリスクについても触れています。
つまり孫子の兵法に書かれている通り「戦わずして勝つ」というのが理想だと言ったのです。
孫子の兵法はビジネスパーソンの必読書なので、ぜひ下の記事も読んでみてください。
国内が平和に治まっていても、戦いを忘れてしまえば、侵略の危険にさらされる。
人民の疲弊は国家の滅亡を招き、侵略の危険は外敵の侮りを受ける。
<李世民>
これはつまり「戦いを忘れれば人危うし」ということだと思います。
常に緊張感を持って取り組みましょう!
自分自身のことは自分では分からぬものだ。
<李世民>
このような謙虚さが李世民の強みだと思います。
ビジネスリーダーが持つべき心得だと思うので、今一度心に刻んでおきましょう。
李世民は理想的なリーダー像
ここまで”貞観の治”を実現した太宗 李世民の言葉などをご紹介してきました。
太宗は絶対的な権力者である”中国の皇帝”なので、そのような人物に諫言するのは、非常に勇気のいる行動だったと思います。
実際、太宗自身も「臣下がなかなか諫言してくれない…」と魏徴にぼやくシーンが、貞観政要には何度も描かれています。
それに対して魏徴は「皇帝に対して諫言するのは非常に勇気のいることです。もしかしたら処刑されるかもしれないという恐怖を払いのける必要があるので、普通の臣下では無理でしょう。」とあっさり諦めています。
「それを改善する方法はないのか?」という太宗の質問に対して、「それは簡単な話ですよ、あなたが変わればいいだけです。」と言っています。
魏徴は「いつもニコニコして、とにかく怒らずに全て受け入れる姿勢が大切です。むしろ意見してくれたことに感謝しましょう!」と太宗に対して語っています。
それと同時に「君主と臣下の信頼関係が重要」とも語っています。
ビジネスはお互いの信頼関係によって成り立つので、いつの時代でもそれが土台となり、楔となり得るのです。
太宗の姿勢は、全てのビジネスリーダーが参考にするべきものだと思いますし、それが実践できれば間違いなく会社は変わるはずです。
一生懸命に頑張っているビジネスリーダーであれば、きっと太宗と同じようなシチュエーションを経験したことがあるはずなので、明君と呼ばれた太宗から学び取りましょう!
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