山本五十六(やまもと いそろく)と言えば、太平洋戦争時における日本の連合艦隊司令長官ですよね。
変わった名前の人ですが、その名前の由来は「父親が56歳の時に生まれたから」だと言われています。
名将と呼ばれていた人なので名前ぐらいは聞いたことあるかも知れませんが、実はたくさんの名言を残している人物でもあるのです。
そこで今回は、山本五十六の名言をまとめて解説してみました。
ビジネスパーソン必見の内容なので、是非ご覧ください。
目次
山本五十六の名言集
ここから山本五十六の名言をご紹介していきたいと思います。
山本五十六は日米開戦に反対しながらも、真珠湾攻撃を立案した軍人です。
劣勢な日本海軍が「どうすれば互角以上の戦いができるのか?」を真剣に考えて、実行した数少ない日本人だと言えます。
そんな山本五十六は人格者としても有名でした。
新潟県長岡市出身の人ですが、地元には「山本精神」という言葉も残るほどの人物なのです。
軍人でありながら、人のため、社会のために献身していたという記録が今でも残っています。
決して良家の出身ではないですが、ラッキーなことに先進的な教育が受けられ、厳しい時代でも前向きに生きた人なのです。
なので、山本五十六が残した言葉はどれも心に響くような名言ばかりで、人生の教訓になります。
この記事では言葉の意味も解説していくので、「座右の銘」になるようなお気に入りの名言を探してみてください。
1:常在戦場(じょうざいせんじょう)
この言葉は「常に戦場に在り」という意味が込められた言葉で、長岡藩の家臣団が守ってきた生活信条でもあります。
庶民出身の山本五十六は、日頃から無駄を省き、蓄財に心掛けていました。
厳しい時代を生き抜くために、創意工夫して行動するような気質が必要だったのです。
自分自身を戒める言葉として「常在戦場」は今も語り継がれています。
2:冬はこれ永久の良師たり、雪はこれ普遍の友たり
山本五十六は新潟県出身なので、越後の冬をよく知っています。
寒さはとても厳しいですが、それを乗り越えた人間は強くなることを理解しているのです。
雪は体温を低下させ、冷たい風は心を弱くします。
それらを超越した人だけが、人間的な美徳を有する事ができるのです。
それを手助けしてくれる冬や雪は、山本五十六にとって、とても重要だったのです。
3:死生命あり、論ずるに足らず
この言葉の意味は、「死ぬことも生きることも天命であり、あれこれ言うべきものではない」ということです。
戦争という時代を生きた軍人らしい言葉ですよね。
祖国日本のために身を捧げて、天子の御恩に報いることを心がける姿勢は、まさに自己犠牲の精神だと思います。
この言葉は日本海海戦の直前に送られた言葉なので、戦争の緊張感が伝わってきます。
4:私の皿廻しは、昨今の仕入物ではなく、四歳の時からの仕込みだ
皿廻しとは、お皿を両手で持って踊り、手に持った皿を落とさない妙技です。
これはつまりどういうことかと言うと、子供の頃に身につけた特技は、将来必ず役に立つことを伝えています。
山本五十六には、幼少の頃に見よう見まねで会得した皿廻しが、外国の出席したパーティーで役に立った経験があります。
子供の頃には食わず嫌いや選り好みをせず、色々な経験をすべきことを推奨しているのです。
5:奉公一途が自分一生の主義
この言葉は、山本五十六が「婚約者宛てに送った手紙の中」に記されていました。
山本五十六は、婚約者とほとんど会わずに結婚したのですが、事前に手厳しい内容の手紙を送っておいたのです。
この手紙に記された言葉には続きがあります。
奉公一途が自分一生の主義、一家の私事については、人一倍の御心労をかける。
「奉公一途が自分一生の主義」とは、「軍人としての使命を全うする」ことを意味しています。
そのような背景があり、「自分は家庭生活に関わることができず、人一倍苦労をかけるので、前もって断っておく」という山本五十六なりの思いやりが込められているのです。
「雰囲気で読み取ってほしい」とか「言わなくてもわかるでしょ?」と部下に言っている人は、この言葉から気遣いすることの大切さを理解して欲しいと思います。
6:病気で寝ている時、他人の親切が本当にわかる、その気持ちを大切にしろ。
この言葉は山本五十六が、自身の長男である義正に言った言葉です。
山本五十六は海軍軍人なので家族と過ごす時間が少なかったのですが、そんな短い時間の中でも、我が子に伝えたかった言葉なのだと思います。
義正が言うには、「山本五十六は軍人らしい勇ましい言葉は少なく、我が子や人を思いやる優しい言葉が多かった」そうです。
人の優しさを感じる機会は少ないかも知れませんが、自分が弱った時こそ「人の温かみ」を感じられるのです。
7:衣食住のことで文句を言うんじゃない。
この言葉も長男の義正に伝えた言葉ですが、この言葉には全文があります。
衣食住のことで文句を言うんじゃない。
取るに足らないことだ。
男子には大目的を貫徹することが一番で、それ以外は枝葉末節だ。
この言葉は、山本五十六の人生観が窺い知れる一文だと思います。
人が生活するために衣食住は必要不可欠ですが、そればかり追求していると、人は苦を忘れて楽を取り続ける傾向があります。
そうするとどんどん怠惰になっていき、弱い人間になってしまうのです。
「そのような人間になるなよ」という戒めを息子に伝えたかったのでしょう。
8:怜悧なる頭ニハ閉じたる口あり
怜悧(れいり)とは、頭がよく、利口なことを言います。
山本五十六は決しておしゃべりな人ではなく、どちらかと言うと口数が少ない人でした。
相手の心を冷静に読んで、的確な答えを導き出していたのです。
現代的な言葉で言えばポーカーフェイスですが、戦時中には「鋼鉄の笑」と揶揄されるほどでした。
戦時中という時代背景や山本五十六の立場もあり、このような言葉が生まれたのだと思います。
9:人間は淋しみを味わえる様にならぬと駄目だね。
山本五十六は「奉公一途が自分一生の主義」と言っている通り、ほとんど家に帰ることがなく、妻とも疎遠になっていました。
そのような状況を、山本五十六は素直に「淋しい」と感じていたそうです。
他の軍人は立場上「淋しい」とは言えず、「職務を全うする」とか「楽しんでいる」と答えるそうですが、山本五十六だけは人間味のある感想を述べたそうです。
このような様子から、周囲では「山本五十六は紳士的だ」と評価されていたようです。
10:自ヲ処スル厳、他ヲ処スル寛
この言葉は、部下が「座右の銘を書いて欲しい」と依頼した際、山本五十六がその部下に送った言葉です。
読み方は「みずからをしょするきびしく、たをしょするひろし」ですが、この言葉は「己に厳しく、他人に優しい」ことを言い表した座右の銘です。
これはなかなかできるものではありませんが、それを実践したのが山本五十六でした。