商売気を離れて油の用意をした。
私の客だけは油不足で仕事を休むようなことはなかった。
他の事業会社では油が切れて事業を休んだところがたくさん出た。
私はただ、お客のために油を用意しただけだ。
しかし戦争が済んだら、油は出光に任せておけということになった。
金は儲けなかったが、得意先を儲けたのだ。
<出光佐三 出光興産創業者>
「お客様にGiveする」という成功パターンの典型ですよね。
このようなやり方をセールスパーソンは見習いましょう。
出光佐三の名言集は下の記事をご覧ください。
いつも生活の設計図を会社の運命に結びつけて描いてきた。
平凡なようだが、顧みて幸せな男だ。
<石塚粂蔵 日本製鋼所社長>
石塚粂蔵は、日本製鋼所の社長、会長を歴任した人物です。
ワーク・ライフ・バランスが叫ばれている昨今ですが、自分の人生は会社と共にあったと語っています。
建設産業は、ある面から見れば受注産業の中から出られない宿命的な産業であり、経営規模もいたずらに大を望むべきではない。
<戸田利兵衛 戸田組(現・戸田建設)社長>
これは建設業界の在り方についての持論です。
戸田建設は大手企業ですが、今の会社があるのは地道に積み重ねてきた結果なのでしょう。
私は自分のためにのみ働いてきたため、ロンドンでわびしい思いをした。
今後は可能な限り人のために働こう。
<犬丸徹三 帝国ホテル社長>
これはホテルマンとして修行するためロンドンへ行った時の話です。
このような経験がいい接客に結びついたと語っています。
人間というものは、いつどういう仕事にぶつかるかもしれないものである。
その時に、その仕事を責任もってやれるだけの準備を平生しておくのは大事な心がけだと考える。
<河田重 日本鋼管社長>
これは準備について語った名言です。
チャンスは必ず訪れるので、その時に逃さないよう日頃から準備しておきましょう。
要は事情を尽くし、そうすることが相互の利益であるということを繰り返し繰り返し説明していると、そのうちに段々とわかってくる。
交渉事は短気は禁物、心情を吐露して、しかも粘ることが肝要である。
<和田恒輔 富士電機社長>
これは交渉のやり方について語った名言です。
独シーメンス社との交渉は相当ハードだったようで、その時の経験を語ったのです。
自動車を始めて私が得た信念は「金ができたら設備の方へ回せ。人間で能率を上げてはいかん。機械で能率を上げよ。」ということであった。
<石田退三 豊田自動織機社長>
ビジネスは仕組み化することが大切です。
まさにそれを語った名言だと言えます。
敵対国企業とはいえ、契約は守らなければならない。
日本人は約束を破るような卑怯なことをしてはならない。
<稲垣平太郎 横浜ゴム社長>
戦時中は敵味方に分かれていましたが、それをビジネスに持ち込んではいけないと語っています。
これと同じようなことが、戦国時代の上杉謙信と武田信玄に起こりました。
戦国武将の名言集は下の記事をご覧ください。
事業は尽きることのない永遠のものである。
そのためには、日に新たに絶えず己を更新してゆかねばならない。
<井村荒喜 不二越鋼材工業(現・不二越)創業者>
永続的なビジネスを実現させる為には、環境の変化に応じてアップデートしなければいけません。
そのことを諭した名言だと思います。
妨害はかえって私の闘志をかきたてた。
社員に対しては「社運を賭してこの事業を達成させなければならぬ」と決意を表明した。
<北沢敬二郎 大丸社長>
この言葉は、大丸東京店を開店するために奔走した時の言葉です。
ライバル百貨店から仕入先へ圧力があったそうですが、それを跳ね除けて大丸東京店を開業したのです。