本田宗一郎は、日本を代表する大企業「本田技研工業(ホンダ)」を創業した人物です。
伝説の経営者と呼ばれる一人なので、その名前は知っていると思いますが、本田宗一郎の苦労や具体的な実績まで知っている人は少ないでしょう。
そこで今回は本田宗一郎の名言をご紹介したいと思います。
この名言集を読めば本田宗一郎の生き方&考え方が理解できるので、ホンダの社員だけでなく、ビジネスパーソンはぜひご覧ください。
本田宗一郎の人生略歴
1906年(0歳) 静岡県浜松市に生まれる。
1914年(8歳) 生まれて初めて自動車を見る。
1922年(16歳) 東京の自動車修理業「アート商会」へ奉公
1928年(22歳) アート商会から独立し「アート商会 浜松支店」を開業。
1936年(30歳) ピストンリングの製造開発を目指し、東海精機重工業株式会社を設立。
1937年(31歳) ピストンリングの開発に成功。
1942年(36歳) 東海精機がトヨタの子会社となる。
1945年(39歳) トヨタに東海精機の株式を45万円(現在価値で約1億円)で売却。
1946年(40歳) 静岡県浜松市に本田技研研究所を創設。
1948年(42歳) 本田技研工業株式会社を設立し、本格的なオートバイ開発に着手。
1954年(48歳) 東京証券取引所に株式店頭公開。
1959年(53歳) アメリカ・ホンダ設立。
1961年(55歳) ヨーロッパ・ホンダ設立。
1964年(58歳) F 1グランプリ参入を正式発表。
1973年(67歳) 社長を退任し取締役最高顧問になる。
1983年(77歳) 本田技研取締役を辞任し終身最高顧問になる。
1991年(84歳) 肺不全のため逝去
本田宗一郎(ホンダ創業者)の名言集まとめ
手を見ればその人の職業や経歴がすぐ分かると言うけれど、確かにそうだ。
本田宗一郎は職人なので、手を見ればその人の人生がわかると語っています。
人間というのは困らなきゃダメだ。
絶体絶命の時に出る力が本物だ。
人間は本質的に怠ける生き物なので、自分を追い込まなければ一生懸命になれません。
もし自分を追い込むことができないなら、心理術を使うのが良いでしょう。
心理テクニックについては下の記事をご覧ください。
やってみもせんで何を言っとるか!
浜松の方言には「やらまいか」という言葉があるそうです。
これは「とりあえずやってみよう!」という意味なのですが、この「やらまいか精神」が本田宗一郎の原点なのです。
真似をして楽をしたものは、その後に苦しむことになる。
これは個人的に共感できる名言です。
模倣したところでオリジナリティがないので、結局は他者と比較されるだけなのです。
もっと個性を大切にしましょう。
人間はどこか抜けたところがないと面白くない。
それを一つの魅力とか、美しさにまで高めるのがデザインだと思う。
現代でも売れ続けているホンダのスーパーカブや、名作と言われるドリームのデザインは素晴らしいですよね。
少し野暮ったい部分のあるデザインですが、むしろそれが味になっていると思います。
能率を妨げるものにメンツというやつがある。
これがあるためにニッチもサッチもいかないということがあまりにも多い。
面子とはプライドとも言い換えできますが、無駄なプライドはビジネスにおいての妨げになると語っているのです。
開発というものは企業のためにやるんじゃない。
世の中に貢献するという気持ちがなければいけない。
これは企業経営について語った名言です。
企業は利益を求めますが、そんなものは後からついてきます。
まず意識すべきことは「お客様は喜ぶのか?」「社会をより良くできるのか?」ということだと思います。
石ころのような個性もあれば、ダイヤモンドのような個性もある。
石ころでもそれを最高の品質に高めることが重要である。
本田宗一郎は研究者なので、一般的には「職人」と呼ばれます。
そのような人物だったので、きっと自分のことを「石ころ」だと思っていたはずです。
自分が知っているということは、専門家に言わせたら本当にお粗末でナンセンスなものだ。
これは謙虚さについて語った名言です。
本田宗一郎は「自分の無知」を知ることで、謙虚さだけでなく、向上心も出ると語っています。
人間にとって大事なことは学歴などではなく、他人から愛され協力してもらえるような徳を積むことだ。
仕事は一人で行うものではありません。
周りの協力があってこそなので、協力してくれる人達に感謝しましょう。
会社のためじゃなく、自分が幸福になるために働け。
これはサラリーマンに伝えたい名言No.1です。
サラリーマンはどうしても「会社に貢献して出世したい!」と考えますが、「自分が何をやりたいのか?」というのが一番重要だと思います。
自分のやりたい仕事に就きましょう。
不良品の割合が1000台に1台しかなかったとしても、それをつかまされたお客さんにとっては1台の中の1台だ。
本田宗一郎は、100%ではなく120%の良品を目指していました。
絶対に不良品を出さないという精神だったのです。
人間の労働力は割り切り計算すると1/20馬力しかない。
人間が「考える能力」を捨てたらそんなもんだ。
1/20馬力とは、扇風機のモーターと同じぐらいだそうです。
つまり人間が機械に勝つのは難しいので、人間の価値とは「考えること」だと語ったのです。
修理という仕事は単に自動車を直すだけではダメだ。
故障の原因と処置を説明すればお客さんの心も修理できる。
本田宗一郎の原点は自動車修理業です。
その時の教訓が活かされている名言だと思います。
新しい大きな仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程に99%の失敗が積み重ねられている。
99%の失敗は決してネガティブな話ではなく、「成功しないやり方をたくさん発見した」ということです。
これと同じ名言を、発明王と呼ばれたトーマス・エジソンも残しています。
エジソンの名言は下の記事をご覧ください。
人間にも会社にも洪水は必要なんですよ。
洪水を起こさなけりゃウチみたいな後発の会社はどうにもならなかった。
ここで言う洪水とは「イノベーション」のことです。
ベンチャー企業はイノベーションを起こすことが存在意義であり、唯一の価値(=勝ち)なのです。
能力のない課長ほど自分の部下を欲しがる。
自分の課をなくしても、ちゃんと仕事ができていくようにするのが課長の目的でなきゃならん。
企業経営において最も重視すべきポストは、現場を直接管理する課長クラス(企業によっては部長クラス)であると本田宗一郎は考えていました。
そのような管理職の仕事は「仕組み作り」だと語ったのです。
ウチではオレをはじめ、ええかげんな奴が社長になっている。
だからみんなにはよほどしっかりやってもらいたい。
これは本田宗一郎が従業員や関係者の前で挨拶した時の言葉です。
従業員を信頼していることが伺える名言ですよね。
何より嫌いなのは人間に階級をつけることだ。
ウチでは私を含め全員が同じ社員だ。
身分の相違はひとつもない。
ホンダは1964年に役員個室を撤廃した為、社長室や役員専用の個室がないそうです。
現代ではむしろ「社長室なし(フリーアドレス)」が主流となっていますが、当時はかなり先進的だったと思います。
本当の人情が分からぬ人は、真の合理主義者にはなれない。
「企業経営は合理的でなければいけない」と本田宗一郎は語っています。
しかし義理・人情を理解していなければ、合理主義も理解できないと言ったのです。
人間は金と信用、両方欲しい。
しかし金がなければ、まず信用を先に取ることが本当だと思う。
これは営業活動も同じですが、お客様にGiveし続けるべきなのです。
仕組みさえ作れば、お金(売上)は後からついてくるので、まずは信用を得ることだけに集中しましょう。
人の紹介などで受験するのにロクなのはいない。
これはいわゆる「コネ入社」について語った名言です。
自分の人生は自分の力で切り開くべきだと、本田宗一郎は語っています。
需要がそこにあるのではない。
我々がそこに需要を作り出すのだ。
これは起業家らしい名言ですよね。
有名な経営学者であるピーター・F・ドラッカーは「顧客を創造する」ことが企業の目指すべき道であると語りました。
しかし個人的には顧客を創造する前に、市場を創造する必要があると考えています。
そして市場を創造するためには、価値を創造する必要があると思います。
よって、「価値を創造して、市場を創造して、顧客を創造する」のが、本当の起業家だと思います。
作りやすいがためにデザインを犠牲にしたり、売るのを犠牲にすることはできない。
少々作りにくくても、売れる商品が一番いい。
そうすれば安くなる。
これは需要と供給について語った名言です。
プロダクトを安く提供するためには、需要を最大化しなければいけません。
このような経済ロジックをきちんと理解した発言だと思います。
人間ギリギリの土壇場に追い込まれた時、やはり頼れるのは自分だけだと思う。
これはとてもストイックな言葉に聞こえますが、孤独感の漂っている言葉でもあります。
本田宗一郎は起業家(=経営者)なので、全て自分で判断しなければいけなかったはずです。
そのような孤独感も感じられる名言だと思います。
危険を察知したウサギは速い足に頼って逃げる。
しかし企業はそうあってはならない。
不幸を幸にするように解決しなければならない。
これはつまり「ピンチをチャンスに変える」ということです。
ピンチこそがチャンスなのだと心得ておきましょう。
レースでも何でも競争をやるからには首位にならなくてはダメだ。
トップを確保しないと、つい後ろを見て二位争いに甘んじてしまう。
ホンダは世界企業を目指していたので「日本一になろうと思うな。世界一じゃなければ日本一じゃねえんだ!」と従業員に喝を入れていたそうです。
独創的な新製品を作るヒントを得ようとしたら、市場調査の効力はゼロとなる。
世の中から出てくるアイデアは平凡なものばかりで、決してイノベーションを起こせるようなアイデアはありません。
本当に独創的なプロダクトを作ろうと思うなら、自分の知恵や感性に基づくしかないのです。
必要のない人間はいない。
人間に好き嫌いのある人は真の指導者になれない。
このような考え方であれば、企業内に多様性が生まれます。
個々人の個性が融合して、更なる高みへ昇華していくことがダイバーシティなのだと思います。
竹にはフシがある。
そのフシがあるからこそ雪にも負けない強さを持つ。
企業にもフシがある。
伸びない時、儲からない時が一つのフシだ。
このフシの時期が大切だ。
本田宗一郎は「フシは苦難によって形成されている」と語ります。
「節目」という言葉もあるように、フシの時期が大切なのだと思います。
二人とも半端な人間で、合わせて初めて一人前の経営者だったのだから、退くときも一緒にというのが二人の一致した考えになった。
本田技研の歴史を語る上で欠かせないのが「藤沢武夫」の存在です。
藤沢武夫は、本田技研工業設立(1948年)の翌年に常務取締役として入社しています。
本田宗一郎は技術者なので、経営知識が少なく、セールスも全くできませんでした。
その部分を担ったのが藤沢武夫というビジネスパートナーなのです。
勲章みたいなものは、俺に対する行為そのものなんだから心底嬉しくなる。
変に恥ずかしがるより、思い切り喜ぶことが大切だ。
本田宗一郎は数々の勲章を受賞しています。
- 全日本自動車競争選手権大会で優勝
- 小型エンジン開発の功績で藍綬褒章を受章
- マン島TTレースで完全優勝
- 上智大学より名誉光学博士号を授与
- イタリア政府よりグランデウフィチャーレ勲章を受章
- ベルギー国王よりレオポルド2世賞を受章
- 勲一等瑞宝章を受章
- フランス政府よりレジオンドヌール勲章を受章
- 日本人初の米国自動車殿堂入り
- 鈴鹿名誉市民賞を受章
- 勲一等旭日大綬章を受章
これは本田宗一郎が世界に貢献した証だと思います。
いたずらには子供の個性の芽がいっぱい潜んでいる。
子供のいたずらをこのような視点で見たことがないので、まさに目からウロコの名言でした。
確かに創造性が豊かな人ほど、たくさんの悪戯を思いつくはずです。
それを子どもの個性として受け入れることが、大人には必要なのかもしれません。
人生における夢とか目的といったものは、最上段のない終わりなき階段である。
夢を持つということは向上心があるということです。
前向きに生きるために、夢や目的を掲げるようにしましょう。
過去というものは何かと言えば人生の排気ガスだ。
どんどん捨て去らなければならない。
排気ガスに例える辺りは、自動車製造に関わっている本田宗一郎らしい名言ですよね。
実は過去と決別すべきことを世界の偉人が語っています。
過去から反省するのは良いですが、ズルズル引きずるのはデメリットしかないのです。
自分の意志でやっていることの苦労なんて、そうでない苦労と比べればまだ軽いことだ。
自分の人生をコントロールできるかどうかは非常に重要なポイントです。
その事を伝えている名言だと思います。
俺が死んでもお願いだから銅像だけは作らないでくれ。
銅像は権威の象徴なので、本田宗一郎はとても嫌ったのです。
「創業者は本田という人だったみたい…」くらいで良いと語っています。
なぜかといえば、企業経営する上で創業者が重要なのではなく、今現在働いている従業員が一番大切だからです。
真実であり妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である。
たとえ自分にとって不利だったとしても、それに賛同する勇気を持つべきだと語っています。
人間は私利私欲のある弱い存在ですが、全員がこのような心持ちであれば、世の中はもっと良くなると言ったのです。
人生は「見たり」「聞いたり」「試したり」の三つの知恵でまとまっているが、一番大切なのは「試したり」だ。
この三つはどれも経験を意味する言葉ですが、大きな違いがあります。
それは「試す」というのは失敗するリスクがあることです。
これを恐れているようでは、イノベーションなど起こせないのです。
芸者を呼んで彼女らが踊りや歌で座敷を勤めているのに、ほどよく注目してやれない人は私の友ではない。
これはつまり「相手の身になれ」という意味の名言です。
プライドを持って本職を務めている人には「敬意を持つべきだ」と語っているのです。
健康のために牛乳を飲むヤツより、牛乳を配達するヤツの方が健康だ。
俺は配達する方になりたい。
これは仕事に対する考え方を語った名言です。
考え方一つで仕事への取り組み方も変わっていくはずです。
嘘の生き方で苦労するよりも、自分をさらけ出した方がどんなに楽か分からない。
本田宗一郎は自然体なので、素直に自分の喜怒哀楽を表現しました。
裏表のない人柄が、みんなから好かれたのです。
「あなたのお父さん(またはお母さん)はとても良い方でした。お世話になりました。」
多くの人からそう言ってもらえることが、親が子に残す最高の遺産だ。
このような考え方であれば、生き方が変わるかもしれませんね。
禿げたのではない。
顔が大きくなったのだ。
これと同じようにユニークな名言をソフトバンク創業者「孫正義」が語っています。
孫社長の名言を知りたい人は、下の記事をご覧ください。
社長を辞めた後、全国700の事業所を回った。
一人一人手を握ったんだ。
士気を鼓舞する気じゃない。
自分が嬉しいからやるんだ。
1973年にホンダの社長を退任した本田宗一郎は「従業員に直接お礼が言いたい」と言って全国行脚を始めました。
この感謝の旅は世界にまで拡大し、全て終えるまで3年かかったそうです。
私は交通業者だ。
死んだからといって大勢集めて人様の交通の邪魔をするな。
これは本田宗一郎の遺言です。
自分が死んだ時に大規模な葬儀を行うなと言ったのです。
その遺言を守って、ホンダでは社葬を行わなかったそうです。
本田宗一郎の人となりが伝わる名言ですよね。
本田宗一郎は時代を駆け抜けた経営者
本田宗一郎は本田技研を創業した世界的にも有名な経営者ですが、ホンダを創業してからわずか6年で東京証券取引所に上場しています。
つまりその背景には、自動車産業の急速な成長があったはずです。
もちろん競争の中で選ばれる自動車を製造していた訳ですが、市場環境も追い風になったのは間違いないと思います。
そういった意味で、本田宗一郎は時代を駆け抜けた経営者だと思います。
ビジネスを大きくする上で、市場環境は無視できない存在なので、もしこれから独立起業する場合には「どの分野で戦うのか?」をしっかり見極めましょう。