誰もが、あえて出る釘になる決意をしなければ、時代はひらかれない。
「出る杭は打たれる」と言いますよね。
しかし、そのような人が出てこなければ、何も改善されないのです。
自分がこの親の血を引いているなんて考える必要はまったくない。
たまたま、偶然に生まれてきただけで、あまりこの親から生まれてきたとか考えない方がいいんだな。
「親ガチャ」という言葉がありますが、それは身勝手な発想だと思います。
ただ単に、できない自分を慰めたり、今の現在の状況に納得感をもたらすための言葉でしかありません。
人生の成功者と言われる人たちは、すべて裕福な家庭で、恵まれた環境で過ごしてきたわけではないはずです。
「親ガチャ」という言葉は、自分一人では何も解決できないと決めつけて、脳死しているのです。
人生は自分の手で切り開くしかないのです。
逃げない、はればれと立ち向かう、それが僕のモットーだ。
失敗するのは誰だって嫌なはずです。
初めての事にチャレンジする時は誰だって怖いはずです。
それでも立ち向かうことに意味があるのです。
食えなきゃ食えなくても、と覚悟すればいいんだ。
それが第一歩だ。
その方が面白い。
これは岡本太郎の覚悟が垣間見える名言ですよね。
人間は「何かを失うかもしれない…」と感じれば、怖気づいてしまいます。
しかし何も失うものがなければ、怖いものなど無いはずです。
命を投げ出す気持ちで自らに誓った。
死に対面する以外の生はないのだ。
その他の空しい条件は切り捨てよう。
そして、運命を爆発させるのだ。
とにかく一心不乱に取り組めば、なんだってできるはずです。
何か偉業を成し遂げたい場合は、命を賭ける覚悟が必要なのです。
ぼくは幸せ反対論者なんだ。
つまりね、簡単に言ってしまえば、人間が幸せと思っている時は、死が一番遠ざかったときなんだ。
「幸せ」とは、現状に満足している状態だと思います。
そのような状態では向上心が沸き起こってこないので、生を実感することができません。
つまり死を意識していない状態なのです。
殴り合いからお互いが理解できる場合だってある。
戦っていくことを忘れてはいけない。
「喧嘩するほど仲がいい」という言葉もありますよね。
お互いを理解するためには、時にぶつかり合うことも大切なのです。
絵は好きだったが、ただの絵描きになろうとは思わなかったな。
絵描きというのは、自分が書いた絵を売る職業ですよね。
しかし、岡本太郎はそのようなやり方を「空しい」と表現しています。
つまり、顧客のことだけを考えて、売れる作品を描くことが「空虚である」と言っているのです。
そうではなく、人間として言いたいことを言って、やりたいことをやるのが本当の人生だと語っています。
順番なんて本当の人間の価値とは何の関係もないんだよ。
勉強でもスポーツでも、人間は順位をつけたがります。
しかしそれを気にする必要はありません。
もっと大切な内面を磨き上げましょう!
中年を過ぎると、人生に対する意気込みが鈍るものだ。
その結果、生命が惜しくなってくる。
これは人間としての堕落だね。
中年になると、ある程度人生の終わりが見えてくるので、新たなチャレンジをしなくなると聞きます。
やりたかった趣味に没頭したり、世界中を旅行し始めるのです。
しかし、そのような状態を岡本太郎は「堕落である」と一刀両断します。