
ルキウス・アンナエウス・セネカは、古代ローマ帝国の政治家であり、哲学者、詩人です。
不遇な人生を送った偉人ですが、高い倫理観を持った人物だったので、たくさんの名言を残しているのです。
そこで今回は、古代ローマが生んだ偉大な政治家「セネカ」の名言集をご紹介したいと思います。
ルキウス・アンナエウス・セネカとは?
ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年~65年頃)といえば、第5代ローマ皇帝である「ネロ」の家庭教師だった人物として有名ですよね。
ネロは「暴君」として有名ですが、54年に17歳という若さでローマ皇帝に即位しました。
すると徐々に無慈悲な性格を表し始めたので、セネカは”徳”を説いて諫めようとしますが、そのようなセネカを邪魔に感じて、ネロは「師であるセネカ」を自殺へと追い込むのです。
このように悲劇的な生涯を送ったセネカですが、若い頃から数多くの不遇を経験することになります。
国家官僚になるための高等教育を受けていたセネカですが、皇帝カリギュラに嫌われて30歳の頃には一度処刑されそうになります。
それをなんとか回避したセネカでしたが、今度は新皇帝クラウディウスの御妃であるメッサリーナの怒りを買って、8年間もコルシカ島で不遇の時期を過ごす羽目になるのです。
そんな逆境にも負けず、哲学の研究を進めて、高い徳を身につけました。
その後にローマへ戻ると、見事に高級官僚へと返り咲き、当時12歳だった次期皇帝ネロの家庭教師に抜擢されます。
そして前述した通りですが、この出会いが基となって自殺へと追い込まれるのです。
セネカの名言集まとめ
人生が短いのではない。
我々がそれを短くしているのだ。
毎日をダラダラ過ごしていると、何もせずに時間だけを浪費してしまいます。
そのような人が「人生は短い」と言う羽目になるのです。
明日を考えて、今日を失う。
セネカは「我々にとって最大の障害は明日を考えることである」と語っています。
明日を思い煩うと、”今日という日”をないがしろにしてしまうのです。
「年を取って余裕ができてから人生を楽しめば良い」と考えるのは誤りだ。
ビジネスパーソンには、この言葉を発する人が多いですよね。
しかしセネカは「若いうちに楽しむ努力を怠る言い訳に過ぎない」と一刀両断しています。
人は一つの場所に腰を据えて生きるのが良い。
精神を安定させるためには「肉体を安定させなければいけない」とセネカは語っています。
誰かが述べた良い意見は、全て私の意見とする。
なんとなくジャイアンな雰囲気のする言葉ですが、決してそのような意味ではありません。
見聞きした全てが「自分の身となり糧となる」という意味の短い名言です。
怒りは欠陥である。
怒りを感じたら、それが自分の欠陥だと知れ。
喜怒哀楽の中で、ネガティブな感情は「怒り」だと思います。
もちろん『大切な人を守る為の怒り』もありますが、それも含めてネガティブだと言えます。
つまり怒りは”人間にとっての欠陥”ということです。
鏡を覗いて自分の顔を目の当たりにすると、貴重な知識と忠告が手に入る。
若い人であれば、自分の若さの素晴らしさ(=時間的余裕)を知って、もっと自分磨きに励むと思います。
年をとった老人であれば、シワのよった顔を見て、残りわずかな時間を浪費するのはもったいないと気づきます。
セネカは鏡について「人間が自分自身を熟知するために発明されたモノである」と語っています。
貧しさとは事実ではない。
思い込みに過ぎない。
年収500万円もあれば十分生活できますよね。
しかし、年収2000万円の知り合いがいると、相対的に貧しさを感じます。
その一方で、周りに年収200万円の人しかいなければ、年収500万円でも優越感を感じるはずです。
このように本人の気持ち次第で貧しさのベクトルは変わってしまうのです。
あらゆる行動には、他の誰でもない、自分の同意がまず必要なのだ。
セネカは「健康のために散歩しろ」と他人に命じられたとしても、「絶対に散歩はしない」と言い切っています。
自分自身が「散歩は健康に良い。だから散歩しよう!」と納得して、初めて外へ出掛けるそうです。
知るべき真実を知らせることは、あらゆる事情に優先するのである。
人間は、自分にとって都合の悪い事実を知りたがりませんよね。
そのように「知るべき事実から目をそらすことは悪である」とセネカは考えています。
確かにセネカの言うとおり、真実と向き合わなければ人間は成長できませんが、このような考え方がネロの怒りを買って、自殺へと追い込まれることになるのです。