
マルクス・アウレリウス・アントニヌスといえば、歴史上の偉人として有名な『第16代ローマ皇帝』ですよね。
世界史をかじった人であれば、名前ぐらいは聞いたことがあると思います。
アウレリウスが残した”有名な書物”といえば『自省録(じせいろく)』ですが、世界的な名著として現代でも多くの人に読み継がれています。
その中には数多くの名言や格言が書かれており、「ストア学派」の最重要書物とも言われているのです。
そこで今回は、哲人皇帝アウレリウスが書き残した「自省録」の名言集をご紹介したいと思います。
アウレリウスの自省録とは?

マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、121年~180年に生きた第16代ローマ皇帝です。
マルクス・アウレリウスが統治していた時代は「パックス・ロマーナ」と呼ばれて、いわゆる古代ローマが最も繁栄した頃でした。
パックス・ロマーナ(Pax Romana.)は、「ローマの平和」という意味の言葉です。前1世紀末帝政を樹立したアウグストゥス帝の時代から五賢帝の時代までの、約200年間続いた平和を指します。この時代は,辺境の守備も堅固で、異民族の侵入もなく、国内の治安も確立して交通・物資の交流も盛んとなり、ローマ帝国内各地では都市が繁栄し、全住民は平和を謳歌しました。
そのような時代を作り出した皇帝たちを「五賢帝」と呼んでおり、その最後の皇帝がアウレリウスです。
ネルウァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス=ピウス、マルクス=アウレリウス=アントニヌスの5人をいう。
アウレリウスは徳の高い人物だったため、「哲人君主」とか「哲人皇帝」という異名も持っています。
アウレリウスは政治だけでなく軍事のトップとして戦場を駆け回っていましたが、その最中で書かれた書物が『自省録(じせいろく)』だと言われています。
自省録には、アウレリウスがその時々に感じた「思い」や「内省の言葉」を、日記のようにつらつらと書き留められていますが、公開することを前提にしていなかった為、文章が整理されておらず、難解でとっつきにくいと評判なのです。
しかしその内容は「真の幸福とは何か?」「困難にはどう向き合えばいいのか?」「生と死とは?」など、普遍的なテーマが書かれているので、ギリシャ哲学である「ストア学派」における”最重要書物”として認知されています。
アウレリウスの名言集まとめ
生きるのに必要な心得は、正しい判断、他人への愛、正直さ。
そして、目の前に起こる全てのことに納得し、慣れ親しもうとする覚悟だ。
自省録では「正直(素直)に生きる」ことを推奨しています。
目の前にある現実を受け入れながら、正しい道を歩みましょう!
目の前のことを、「目の前のこと」として見るな。
これは物事を俯瞰的に見るように推奨している名言です。
アウレリウス曰く「より高い所に心を置いて、「ずっと下で起こっていること」という気持ちで観察する」ことが大切なようです。
この世で唯一価値あることは、真実と正義を奉じつつ、しかも嘘つきや不正な連中にも好意を抱きながら一生を送ることである。
自分の信念を貫くことは大切ですが、その一方で社会との協調性も持たなければいけません。
そのような心得を伝えている名言だと思います。
父であるピウス皇帝は、内政にも外交にも優れた政治手腕を称賛された。
しかし、私が父を最も尊敬するところは、重要な要件のある時は入浴しなかったことと、道楽に励まなかったことと、食事が質素だったことと、艶やかな衣服に関心を持たなかったことである。
アウレリウスの人柄がわかる名言ですよね。
このような側面があったため、アウレリウスは「徳の高い皇帝」と言われたのです。
怒りを抑える。
快楽の誘惑に負けない。
苦痛に耐える。
名声を求めない。
そして、非人情で感謝しない者たちを怒らず、穏やかに彼らを受け入れる。
それらができれば、人は理想的である。
お前にもできるはずだ。
最後に出てくる「お前にもできるはずだ。」の「お前」が指しているのは、きっとアウレリウス本人のことだと思います。
自省録は、アウレリウスがその時々の考えをつらつらと書き連ねた書物なので、おそらく自分自身への戒めとして書いた側面があるのだと思います。
人々は、自分を見つめ直すために旅に出る。
けれど、そんな旅は無駄で、子供じみた遊びに過ぎない。
実は人は、いつでもどこでも、自分を見つめ直せる力を持っているのだから。
旅が無駄だとは思いませんが、「自分を見つめ直す旅」というのは、確かに無意味かもしれません。
旅というのは自身の見識を広げたり、現地の生活や文化を肌で感じたりするために行います。
つまり、自分を見つめ直す為には「口実などいらない」ということです。
面倒なことから解放されたければ、そう願うだけで良い。
なぜなら、面倒なこととはすべからく、心の中にあるからだ。
これはつまり「何事も気持ち次第」ということだと思います。
私の人生は、苦しみ悩むほど大層なものではない。
悩みは尽きませんが、「ま~、なんとかなるだろう」と気楽に考えるぐらいが丁度良いと思います。
可能性は、常に目の前にある。
けれど、見過ごした可能性は、再び帰ってこない。
チャンスは何度もやってきますが、それを「チャンスだ!」と気づかなければ、見過ごす羽目になります。
なので、日頃から努力して、チャンスを掴みとる準備をしておきましょう。
邪悪な性格の持ち主とは、腹黒い者、狡猾な者、依怙地な者などである。
つまり、人ではなく”獣”のような者である。
邪悪な性格の反対が「誠実な性格」だと思います。
ビジネスを成功させるためには”誠実さ”が必要不可欠だと思います。
死後の名声にこだわるものは、彼の死後、彼を思い出してくれる人々も、ほどなく死んでしまうという事実を考えていない。
この名言が伝えたいのは「死後の名声にこだわるな」ということです。
そんなものに固執するのではなく、今現在「精一杯生きる」ことを推奨しているのです。
お前の魂が傷ついたのは、他人に背を向け、他人を傷つけたからだ。
いざという時に、人を助けると、とても感謝されますよね。
それと逆の行動をすると、感謝されないどころか、恨みを買う可能性すらあるのです。
十分注意しましょう。
肉体の腐敗は、病原菌が体に入り込んだせいである。
心の腐敗は、病原菌そのものである。
恐れるべきは”肉体の腐敗”ではなく、”心の腐敗”ということです。
これはストア派らしい名言だと思います。
他人を非難する暇があったら、ひたすら目標に向かって努力せよ。
ただ単に誹謗中傷するだけでは意味がありません。
そんな暇があったら、自己研鑽した方が良いと思います。
もし仮に、他人を批判する場面があったとしても、それは「目標達成するために必要な行動であり、物事の前進であるべき」だと思います。
肉体が不健全なのは悲しいことだ。
肉体が健全なのに、心が不健全なのは恥ずべきことだ。
「身体は資本」という言葉の通りだと思います。
健全に、穏やかに過ごしましょう!
友人が過ちを犯したなら、それを正せ。
それができないなら、その過ちを引き受けよ。
それもできないなら、もはやお前は彼の友人ではない。
これは友人が過ちを犯した時の行動について語った名言です。
このような判断基準を持っていれば、友達か否かの判断もつきやすいと思います。
幸福な人間とは、自分で自分に良い運命を与えられる人のことである。
「良い運命を与える」というのは「良い運命を呼び込む」と同義だと思います。
アウレリウスは「良い運命は、良い性格と、良い欲望と、良い行動によって生み出される」と語っています。
喜びを得る近道を教えよう。
それは、身近な人の長所を想うことである。
相手の嫌なところや、嫌いな部分に目を向けてしまうと、どんどんネガティブになっていきます。
しかし長所や良い部分に目を向けていくと、話はポジティブになっていくはずです。
自分で自分を認められない者は、他人の心に何の光も与えられない。
自分に自信がなければ、何も成し遂げることができません。
まずは自信を持つようにしましょう!
自信がつく名言集は下の記事をご覧ください。
誰にでも褒められたいと願う者よ。
お前は、1時間に3度もお前のことを呪うような人物から褒められたいのか。
全ての人から好かれる必要などありません。
自分を認めてくれて、承認してくれる人だけと付き合いましょう。
できないと思えることでも、挑戦を繰り返すのだ。
挑戦して失敗すれば、改善することができます。
それを繰り返していけば、いづれできるようになるはずです。
皇帝に祭り上げられた者のつらさは、容易に理解できるものではない。
ローマ皇帝として過ごしたアウレリウスならではの名言ですよね。
アウレリウスの苦悩が滲み出た言葉だと思います。
死とは、救い出されることである。
アウレリウスは、死が「欲望」「苦しみ」「痛み」などから、私たちを救い出してくれると考えていました。
このあたりはキリスト教と近い考え方かもしれませんね。
新約聖書の名言集は下の記事をご覧ください。
アレクサンドロス大王も、彼のロバの飼育係も、死んだら死者になった。
同じ立場になった。
この言葉は、なんとなく「共和制」を予感させますよね。
死ぬ前までは皇帝だった人でも、死んだらその役職が外れます。
つまり、人間は死んだ時にみんな平等になるということです。
皇帝自らがこのような考え方を持っていたので、かなり先進的だったと考えられます。
ソクラテスのような偉大な人も、今や墓の下である。
アウレリウスもソクラテスに対して敬意を払っていたようですね。
ソクラテスなど、世界の偉人が残した名言集は下の記事をご覧ください。
苦痛は他人に由来する。
だから、孤独になれば、多くの苦痛は軽減される。
ほとんどの悩みは”人間関係”に由来するといわれています。
これは心理学者であるアルフレッド・アドラーも同じことを言っています。
アドラーの名言集は下の記事をご覧ください。
信念はパンより尊く、学ぶことは信念より尊い。
何よりも”学問”を重要視していたアウレリウスらしい名言だと思います。
悪をなした者とは、実際に悪をなした者と、それを見ながら何もなさなかった者である。
これはなかなか手厳しい言葉だと思います。
中国の儒教家である孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」と言いました。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは、「目の前の困っている人を見かけたら、 見て見ぬフリをするのではなく、手を差し伸べることの出来る人こそが、勇気を持った 人である」という意味の言葉です。
この言葉に通じる名言だと思うので、ぜひ孔子の名言集もご覧ください。
自分なりにわずかでも前進したなら、それで納得せよ。
自分の力で得たなら、わずかな成果でも喜べ。
お前は賢人ではないし、賢人はお前ではない。
これはとても大事な考え方だと思います。
毎日少しずつでも前進していれば、必ず成長することができるので、欲張らずに一歩ずつ積み上げることが大切だと思います。
この言葉は”座右の銘”としてもオススメです。
人生は忙しさの中にある。
アウレリウスは仕事に忙殺されていましたが、そのような多忙な日々を送るほど、人生は充実していきます。
結局は、人生におけるすべて(お金、経験、友人、人脈、名誉、知識、社会との繋がり、社会貢献など)を提供してくれるのが”仕事”だということです。
どんな立派な劇場でも、いつも同じ演目ばかりかかっていれば、みんな飽きて足を運ばなくなる。
人の日常生活も同じである。
これは納得感のある言葉ですよね。
もし自分の人生にマンネリを感じるなら、そろそろ変化するタイミングなのかもしれません。

アウレリウスは哲人皇帝
ここまでアウレリウスの名言集をご紹介してきました。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、学ぶことが大好きで、その中でも特に、真理を追究する学問である”哲学”を愛していました。
なので「哲人皇帝」と呼ばれていたのです。
哲学を学んでいる人は高い”道徳観”や”倫理観”を身につけているケースが多く、そのような哲学者達はたくさんの名言も残しています。
その一方で、あまりに突き抜けているため、ニーチェやカントのように「変人」と呼ばれることもしばしばあります。
これは一般人の常識からかけ離れた思考になってしまうため、現代で言う「中二病」のように見えるのでしょう。
しかし知識が豊富で、知恵を身に着けている人が多いのは事実だと思います。
私も哲学は大好きなので、もし良ければ哲学者たちの名言集もご覧ください。