王貞治(おうさだはる)といえば、「世界の王」と言われるほど超有名な元・プロ野球選手ですよね。
プロ野球選手として活躍した後、プロ野球監督へ転身し、WBC日本代表監督も勤めました。
プロフェッショナル精神溢れる人物なので、今回は王貞治の名言集をご紹介したいと思います。
王貞治の名言集まとめ
何本もホームランを打ったけれど、私は一本たりとも同じ打ち方をしたことはないと思っている。
投手が違ったり、球種が違ったり…
野球のシチュエーションは毎回変わるので、一口に「一本足打法」と言っても毎回打ち方が変わるそうです。
状況(周りの環境)に応じてやり方を変えるというのは、ビジネスと一緒ですね。
一本足打法は好不調の波が大きい打法で、何度となくスランプに陥り、苦しんだものだ。
人によって成果の出るやり方は違うと思います。
例えば周りから変だと言っても、自分独自のロジックで自分なりの成功法則を組み立てましょう!
ご飯を食べ、風呂に入って寝る頃には午後11時を回っていたが、ちっとも辛いと思わなかった。
王貞治は早稲田実業高校に通っていましたが、朝学校に行ってから、夜帰る頃には23時を回っていたそうです。
毎朝仕事へ行って、自宅へ帰るのが毎日23時を回っていたら、きっとほとんどの会社員は仕事が嫌になってしまうはずですが、やはり好きなものには熱中できるので、まずは『夢中になれるような仕事』を見つけるのが先決かもしれません。
私は嬉しい時も、悔しい時も感情を出さないようになった。
王貞治は父親から「日本に来て、日本に生かされている」と聞かされていたので、人の反感を買わないようにと教育されていました。
それが中国出身である王家の生き方だったそうです。
巨人です。
王貞治は高校卒業後、大学へ進学する予定でしたが、最後の夏の甲子園へ出場できなかった為、プロに転身することを決意します。
すると、大型ルーキーとして注目されていた王貞治の元には、巨人や阪神、オリックス、中日などがスカウトに来たそうです。
その中でも父親や母親が勧める阪神ではなく、王貞治自身が「巨人へ入りたい」と決めたそうです。
これが伝説の始まりとなりました。
キャンプでは2人部屋で長嶋茂雄さんと同室になった。
この逸話を聞くだけでもワクワクしますよね。
巨人の黄金時代を築いたONコンビが初めて出会ったのは、王貞治がプロ入りした最初のキャンプだったそうです。
国鉄(現在のヤクルト)との開幕戦の先発メンバーに、私は7番1塁で名を連ねた。
プロ野球のシーズンが始まったのに全く結果が出ず、1年目は94試合で打率1割6分1厘、7本塁打という結果に終わってしまったそうです。
王貞治ほどの偉人でも、『最初から順風満帆』というわけにいかなかったようですね。
プロに入ってまだ右も左も分からなかったが、長嶋さんは人と違うのだということだけはよくわかった。
やはり王貞治から見ても、長嶋茂雄というスーパースターは特別だったみたいですね。
王貞治は一塁手でしたが、「サードを守っている長嶋茂雄からの送球は、他の選手と比較して一番綺麗だった」と語っています。
そろそろ稽古を始めようか、という時には大抵午前2時を回っていた。
めちゃくちゃなバッティングフォームを改善するために、王貞治はロッテの外野手として現役引退した年に巨人のバッティングコーチへ就任した荒川博の家へ毎日通っていたそうですが、この時に生まれたのが『一本足打法』です。
やはり偉業を成し遂げる人というのは、陰ながら努力していることが分かりますよね。
私の人生の節目、節目の決断の判断基準になったのは「人に不義理をしてはいけない」という父の教えだった。
王貞治の父親は中国人なので、もしかしたら孔子の論語を参考にしていたのかもしれません。
孔子は「義」「仁」「礼」など、人間が生きていく上での判断基準を示しているので、詳しく知りたい人は下の記事をご覧ください。
真剣でわら束を切るなど特殊な練習もした。
真剣を振っていた理由について「集中力を高めるためだった」と王貞治は語っています。
真剣は”本物の刀”なので、下手をすると大怪我になります。
なので常に神経を張り詰めて集中しておく必要がある上に、意外とわら束をスパッと切るのは難しくて、呼吸を整えたり、まっすぐに振り切る…
このように、真剣を振れば野球にも応用できる技術が学べます。
具体的に王貞治は「バットで球を切り込み、真っ二つにするイメージ」でバットを振っていたそうです。
みんながヘルメットを着用するようになってからも私はしばらく被らなかった。
今では信じられない話ですが、昔のプロ野球はヘルメットを被る習慣がなく、普通のベースボールキャップをかぶっていました。
もちろん肘当てやすね当てもなく、手袋もありません。
なので、投手も野手も殺気むき出しで、とてつもない集中力で試合へ臨んでいたそうですが、そのような過酷な環境が自分を鍛えてくれたと語っています。
あれもこれも同時にできるような器用なタイプではなく、野球なら野球に集中しないとダメなのだ。
王貞治は家庭のことを全て妻に任せて、世間の流行りなども全てシャットアウトし、とにかく野球に全集中していたそうです。
やはりそれくらい振り切らなければ、偉業を成し遂げることはできないということでしょう。
狙って取ったタイトルは一度もない。
王貞治は現役22年の間に、本塁打王15回、打点王13回、首位打者5回、三冠王に2回、MVP9回という輝かしい成績を残しています。
しかしそれについて「試合に出続けた結果がタイトルだった」と語っています。
打席に入る前から、一定の手順を踏み、リズムを作る。
一流と呼ばれる選手のほとんどがこのようなルーティンと呼ばれる「儀式」を行っているそうです。
メジャーリーグで活躍したイチロー選手も、このようなオリジナルのルーティンを持っていることで有名ですよね。
イチローの名言集は下の記事をご覧ください。
自分で何とかできる部分で100%、200%の努力をしよう。
自分がコントロールできないことを悩んでも仕方がありません。
自分で何とかできる部分だけに集中しましょう!
「生涯巨人」の思いを断ち、心機一転を図るには絶好のタイミングだった。
王貞治は現役を退いた後、巨人の監督に就任しますが、あまり良い結果を残せずに退きます。
しかしその後、ダイエー・ホークス(現在のソフトバンク)から熱心なオファーがあり、弱小チームだったダイエー・ホークスの立て直しを依頼されたのです。
そして監督に就任して5年目、ようやくパ・リーグ初優勝を果たしました。
試合があったら、出るのが選手の仕事。
王貞治の辞書には「休む」という言葉がなかったそうです。
「体調管理も仕事のうち」と言われるので、ビジネスパーソンは心得ておきましょう!
成功体験がいかに大事か、誰よりもこの身で体験していた。
厳しさに打ち勝った”成功体験”があれば、人間はどこまででも成長できます。
失敗を恐れずに挑戦し続けましょう!
ホームランの魅力を何と表現しよう。
とにかく私はそれに取り憑かれた人間だ。
王貞治といえば、やっぱりホームランですよね。
メジャーのホームラン王「ベーブ・ルース」の記録である714号を超えそうな辺りから大騒ぎになり、その時の世界記録だった755号の記録を持つハンク・アーロンからもメッセージをもらったそうです。
ちなみに王貞治の記録は、日本プロ野球記録として現役通算本塁打が868本、本塁打王は15回という歴代1位の記録ですが、2位の野村克也は通算本塁打657本、本塁打王は9回なので圧倒的な差ですね。
もちろん野村克也も日本プロ野球界を代表する人物なので、その名言集をご覧ください。
野球は日本に根付いた文化なのだと信じて前に進みたい。
野球人口は年々減っていると言われますが、それでも王貞治は「今の私があるのは野球のおかげ」と言って、野球へ恩返しするために行動し続けているそうです。
何かと冷めていると言われる日本の若い人たちが日の丸の旗を振って熱くなってくれたことが嬉しかった。
王貞治はワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の監督も務めましたが、それをオファーしたのはソフトバンク創業者である孫正義だったそうです。
孫正義の名言集は下の記事をご覧ください。
まとめ
ここまで王貞治の名言集をご紹介してきました。
プロスポーツ選手は”一流のプロフェッショナル”なので、かなりストイックで、その言葉には多くの学びがあると思います。
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