「ドンドンドン、ドンッキ~♪」の音楽でお馴染みのお店と言えば『激安の殿堂 ドン・キホーテ』ですよね。
その創業者である安田隆夫(やすだ たかお)はゼロからビジネスを始めた苦労人なので、経営者としては学ぶべき点が多いと思います。
そこで今回は安田隆夫の名言集をご紹介したいと思います。
安田隆夫の略歴
安田隆夫は1949年、岐阜県の大垣市に生まれました。
大学は慶應義塾大学の法学部を卒業しています。
卒業後に就職した不動産会社では好成績を残しますが、その会社が入社10ヶ月で倒産してしまったため、自ら東京の杉並区にディスカウントショップ「泥棒市場」を開業します。
このお店は深夜営業という珍しいスタイルが好評を博し、大成功を収めて事業売却へと至ります。
次にバッタ商品卸売の「リーダー」を開業しますが、こちらも大きな利益を上げ成功します。
しかし「卸売ではなくて、また小売業をやりたい」という思いから、1989年ドン・キホーテの1号店を東京の府中に開店します。
最初はやはり苦労しますが、それでも1996年には株式を店頭公開し、1998年には東証2部へ上場、2000年には東証1部へ上場しました。
現在は株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングスという持ち株会社となり、グローバル展開を推し進めています。
安田隆夫の名言集まとめ
はらわたの底から振り絞るようにして、何とか生き残るための活路を必死で考える。
様々なビジネスを経験した安田隆夫は、決して順風満帆に成功したというわけではなかったそうです。
思うように商品が売れなかったり、店舗では万引きが多発したり、お店が連続放火されたり、深夜営業について住民の反対運動が起こったり、様々なネガティブキャンペーンをやられたこともあったそうです。
しかし決して諦めることをせず、「もがき苦しみ、唸りながら考え抜いた」と語っています。
私が70歳までCEOを続けたら、自ら辞めるという決断を下す自信がない。
安田隆夫はドン・キホーテの創業者ですが、「65歳でCEOを退任する」と決めていたそうです。
実際には66歳で退任したのですが、「死ぬまで会社にしがみつく」という老害行為だけは絶対にやりたくなかったそうです。
人生を企業経営もそんなに甘くはない。
これまでの人生を振り返った時、常に順風満帆ではなかったそうですが、ずっと下落し続けることもなかったそうです。
結局は人生「山あり谷あり」ということですが、どん底での苦しみが、成功を引き寄せる”呼び水”になったと語っています。
私はことごとく業界の「逆張り」を実践してきた。
小売・サービス業は、強烈なリーダーシップを持ったカリスマ経営者が引っ張っていくイメージだと思いますが、ドン・キホーテでは全く逆のやり方をとっていたそうです。
具体的には1号店を開業した頃から、商品の仕入れ、陳列、販売に至るまで、全ての権限を店長に権限委譲し、一切口出しもしなかったそうです。
全ての権限を移譲された部下はやる気がみなぎり、「見違えるように働き出した」と語っています。
リスクを恐れるな。
今の日本という国は、多少の失敗をしたところで社会的に抹殺されたり、餓死したり、強制収容所に送り込まれたりするわけではありません。
そこまで大きなリスクはないので。みんな思い切ってチャレンジするべきだと語っています。
状況が自分にとって都合のいいように好転することなど、ほとんどありえない。
他力本願で待っていても何も変わらないので、現状を変えられるのは自分一人だけということです。
たまに「リフレッシュするために温泉へ行く」とか「自分探しの旅に出る」という人を見かけますが、安田隆夫は「状況が何ら変化しない中でのレジャーや旅行は”単なる逃げ”と一緒だ」と一刀両断しています。
よく考えてみれば、私には何の専門スキルも資格もない。
安田隆夫は起業するために必死で軍資金800万円を用意したのですが、愛嬌がなく、料理も下手で、ファッションセンスがなく、何らかの専門知識もなかったので、結果的に”物を売る”ことしかできなかったそうです。
ドン・キホーテの姿は、全て「泥棒市場」の成功と失敗の上に立脚していると言っても過言ではない。
安田が最初に立ち上げたのは「泥棒市場」というお店なのですが、それは企業倒産などに伴う金融処分品を扱う小売店でした。
いわゆる”バッタもの”が集まるお店ということです。
ちなみに、このお店のネーミングの由来は「インパクトがあって目立つから」というのが一番で、二番目は「看板のスペースがなくて、4文字ぐらいしか書けなかったから」というものでした。
お金がないから仕入れができない、仕入れができないからますます売れなくなるという、お決まりの悪循環に陥った。
泥棒市場の開業当初は、卸売業者と普通に取引していましたが、結局は良い商品が安く出回ることなど無いので、テンプレ通りの悪循環に陥ったそうです。
かなり追い詰められた段階で「そもそも一店舗しかない小売店が正攻法で勝てるわけがない…」ということに気づき、大手企業の処分品を引き取る直接取引に方向転換したそうです。
その結果、キズ物やサンプル品、廃番品などをタダ同然で仕入れることができるようになり、店中にガラクタ商品が積み上がったそうです。
これはいわゆる現代の「アウトレットショップ」ですね。
プロ雀士との行き詰まるような真剣勝負の中で、「運気の流れ」「勝負の勘所」などを見抜く力を身につけたと思っている。
新卒で入社した会社が倒産した時、特にやることがなかったので、安田隆夫は麻雀荘へ出入りしてフリー麻雀で稼いでいたそうです。
麻雀はとても奥深いゲームなので、プロ雀士の名言集もぜひ参考にしてください。