
ニトリといえば、誰もが利用したことのある大型家具店ですよね。
「お、ねだん以上。ニトリ♪」のCMキャッチコピーは、とても有名だと思います。
その創業者が似鳥昭雄(にとりあきお)なのですが、決してエリートとは言えない経歴ですし、勉強もできなかったそうです。
多くの失敗を重ねてきた苦労人なので、今回はニトリ創業者『似鳥昭雄』の名言集をご紹介していきたいと思います。
似鳥昭雄の言葉は勇気を与えてくれるので、ビジネスに課題感がある人は必見です!
似鳥昭雄の略歴
1944年 樺太島生まれ
1964年 札幌短期大学卒業、北海道学園大学へ編入
1966年 北海道学園大学経済学部卒業
1967年 似鳥家具店を札幌で創業
1972年 似鳥家具卸センター株式会社を設立
1973年 メーカーからの直接仕入れ制へ移行
1978年 会社名を株式会社ニトリ家具に変更
1979年 ホームファニシング宣言をしてプライベートブランドを強化
1985年 会社名を株式会社ニトリへ変更
1989年 札幌証券取引所に上場
2002年 東京証券取引所一部上場(現・東証プライム)
2003年 年間売上高1000億円を突破、100店舗を達成
2007年 海外進出を達成、台湾に1店舗目をオープン
2010年 持株会社制に移行
2013年 年間売上高3000億円を突破
2015年 年間売上高4000億円を突破
2019年 年間売上高6000億円を突破、アパレルブランド「Nプラス」を開始
2021年 株式会社島忠を完全子会社化
2022年 年間売上高8000億円を突破
ニトリ創業者の名言集まとめ
自分は落ちこぼれでも成功できたし、実は世の中にはそういう人が多い。
やればできる。
自信を持って欲しい。
似鳥昭雄には「旧帝大卒業」とか「海外留学経験」など、いわゆるキラキラした経歴はありません。
幼い頃から全く勉強ができず、成績表は5段階中の1と2ばかりだったそうです。
しかも対人恐怖症の為、学校ではいじめられっ子…
似鳥昭雄が自ら告白していますが、まったく勉強ができなかったので、高校は裏口入学(米一俵を校長へ進呈して補欠合格)したそうです。
無事に高校へ入学できても、やはり授業にはついていけず、試験はいつもカンニングしていました。
そして四年制の大学には全て落ちて、替え玉受験で短期大学に合格したそうです。
大学卒業後に就職した広告会社では、営業職なのに全く契約が取れず、たった半年で解雇されてしまいます。
その後に10社ほど面接を回ったそうですが、全て断られたので、仕方なく借金をして23歳で事業(似鳥家具店)をやり始めたのが現在のニトリへと繋がっていきます。
「勉強できないから、成功もできない」と思うのは間違いです。
大事なのは物の見方、考え方なのです。
ニトリには旧帝大出身(東大卒業や京大卒業など)が何人もいるそうですが、似鳥昭雄は出身大学を気にしていないそうです。
自分自身が高校を裏口入学しているくらいなので、自分の学力は中卒レベルだと思っているからです。
それでも成功する事はできるので、学歴なんて気にすることはないと語っています。
一番大切なのはロマンを抱くこと。
二番目に大切なのがビジョンを持つことです。
ロマンを抱くとは「人のため、世のために、人生をかけて貢献したい」という気持ちを持つことです。
そういった意味では「大志」と言い換えることもできるはずです。
似鳥昭雄の言う「ビジョン」とは長期目標のことです。
20年以上先に達成すべき目標に、数字をプラスして、さらに達成する期限まで入れた具体的な目標のことを指しています。
これらがなければ、決してビジネスで成功することはできないと似鳥昭雄は語っています。
意欲とは「できそうもないことに挑戦すること」です。
執念とは「目標を達成するまで諦めないこと」です。
好奇心とは「常に新しいものを発見しようとすること」です。
- ロマンを持つこと
- ビジョンを持つこと
- 意欲を持つこと
- 執念を持つこと
- 好奇心を持つこと
この5つが『成功するための5原則』だと語っています。
ダメダメだった私の人生が少し好転し始めたのは、妻と結婚してからです。
似鳥昭雄は23歳の時に似鳥家具店を創業しました。
しかし対人恐怖症だったので、全く接客ができず、ずっと赤字続き…
お金がないのでロクな食事もできず、肌はボロボロで唇が切れて出血し、「どうやって自殺しようか…」ばかりを考えていたそうです。
そんな時に両親から「結婚して嫁に接客をやってもらえ」とアドバイスを受けて、お見合いでたまたま今の奥さんと出会いました。
その奥さんが接客上手だったので、あっという間に事業が軌道に乗ったそうです。
アメリカのやり方のうち日本で何が受け入れられ、何が受け入れられないかなど、やってみなければわかりません。
だったら全部取り入れてみればいい。
やってみてダメなものがあったら、それだけやめればいいのです。
似鳥昭雄は27歳の時にアメリカ視察ツアーへ参加しますが、これが事業を飛躍させるきっかけになったと語っています。
日本では家具を一つずつバラ売りするのが当たり前でしたが、アメリカでは空間全体を設計する”トータルコーディネイト”が当たり前だったのです。
ニトリの店舗へ行くと、空間全体をコーディネートした素敵なディスプレイがありますよね。
アメリカでの視察経験が、ニトリの掲げる『ホームファニシング』へと繋がっていったのです。
まずはお客様が第一。
お客様を満足させられれば、利益は後からついてくる。
顧客満足度を高めれば、売上は増えていきます。
その利益を社員へ還元し、関係するステークホルダーへと分配していくのです。
つまり売上こそがすべての源泉であり、それを支払ってくれるお客様が一番大切なのです。
人間も会社も「あの人にいてほしい」「あの人がいてよかった」「あの会社があって助かった」と思われてこそ、存在する意味があるのです。
自分のためではなく「世のため、人のため」という気持ちが大切です。
どうすれば社会に貢献できるのか考えてみましょう。
誰かに話すということは、自分に対する暗示でもある。
これは心理学で言う「コミットメント効果」だと思います。
周りの人に話した場合「自分で口にした以上は、実行しなければ」という気持ちになるため、コミットメントが強まるのです。
このような心理術はビジネスに応用できるものが多いので、気になる人は下の記事をご覧ください。
私は、誰にも相手にされなかった時の気持ちを忘れずに、毎年の入社式では必ず「入社していただきまして、本当にありがとうございました」と挨拶をしています。
創業当時のニトリは小さな家具屋だったので、とても採用に苦労したそうです。
本人が入社すると決意しても、親御さんが反対するケースは多く、わざわざ自宅に出向いて親御さんを説得することもあったそうです。
それほど苦労して採用した社員が、数年後には8割ほど辞めてしまうのが当たり前だったので、その初心を忘れないようにしているそうです。
成功するには「素直であること」が大事です。
ダイエー創業者の中内功、イトーヨーカドー創業者の伊藤雅俊、パナソニック創業者の松下幸之助など、学歴がない偉大な経営者は意外と多いですよね。
似鳥昭雄は、自分を含めて偉大な経営者が成功できた秘訣は、人からのアドバイスを素直に聞き入れる『素直さ』だったのではないかと分析しています。
偉大な経営者の名言集は下の記事をご覧ください。
ウサギよりカメになれ。
小才より鈍重たれ。
これは似鳥昭雄が師と仰ぐコンサルタントの名言です。
この言葉は「鈍くてもいいから一歩一歩前に進むこと。そうすればそのうち小才が効いた自信過剰のウサギが休んで遊び出すから、一歩一歩追いつけばいい」という意味です。
大切なことは休まず止まらないことです。
たとえ頭が悪くても、計算ができなくても、正しい努力だけは裏切らないのです。
家具がたくさんあるのは貧しい証拠。
家具がないのが豊かなんだ。
これは”家具屋”として突飛な発言ですよね。
似鳥昭雄はアメリカ視察した後、モノの見方が変わったそうです。
日本の家の中にはたくさんの家具があって、その色調もバラバラです。

しかしアメリカの家の中には、必要最低限の家具しかなく、色調やデザインが揃っていて、見た目も美しいですよね。

このような”素敵な家”に住むことが「本当に豊かな生活だ」と言ったのです。
家の中のトータルコーディネートを提供できるのが”ニトリの価値”だと考えているそうです。
「ビジョンから現在取るべき行動を決めていく」というやり方は、日常の様々な場面で応用が利きます。
成功したかったら、それを自分自身の習慣にしてしまうことです。
これはビジョンから日常の行動を逆算するというやり方です。
同じようなアプローチですが、ワタミ創業者の渡邉美樹は「夢に日付をつける」と語っています。
そうすれば、現在やるべき行動が明確になるからです。
渡辺美樹の名言集は下の記事をご覧ください。
物事は何でも、あちらこちら多面的に捉え、立体としての正確な形を捉えた上で、どう処理したらいいのかを考えなければいけません。
似鳥昭雄は、表面的な部分を変えるのが「改善」であり、物事の根本が変わることを「改革」と呼んでいます。
世の中は平面ではなく、全て立体的なので、色々な角度から多面的に捉えなければいけないと語っています。
10年の目標を持つのが難しいようなら、せめて1年間の目標は持つべきです。
10年後の目標設定は大変かもしれませんが、1年後の目標設定であれば簡単ですよね。
1年後の目標を設定したら、それを四半期に分けて、それを月毎に分けて、今度は日毎にしていくのです。
それを愚直にこなしていけば、必ず目標達成できるはずです。
普通にやっていれば達成できそうな目標は、ビジョンとは言わないのです。
「普通にやっていたら、できそうもない」と感じる目標がビジョンなのです。
かなりスパルタな言葉ですが、高い目標だからこそ、立ち向かう価値があるのでしょう。
もし仮に達成できなかったとしても、その時に得られるものはきっと大きいはずです。
一人一人に「売る」努力を求めるのではなく、会社として「売れる」状態を作ってやる。
これはチェーンストア理論について語った名言です。
チェーンストアとは属人的な仕組みから脱却し、ビジネス全体をシステム化することです。
社員が特別な努力をしなくても、自然とそうなるようにしていくのが理想的だと語っています。
創業以来の私の課題は、「いい会社、社員が楽しく働ける会社を作ること」です。
似鳥昭雄は、お客様を喜ばせることを第一に考えますが、それと同じくらい社員の財産を増やす方法について考えているそうです。
だから社員にはストックオプションを与えて、「ニトリにいて良かった」と言われるような会社を目指しているそうです。
進み方は遅くても構いません。
大切なのは、成長を続けること。
決して立ち止まらないことです。
似鳥昭雄は、自分のことを「進むのが遅い人間」と評価しています。
その上、物覚えも悪く、数字にも弱く、ダメな部分が多いと語っています。
しかしそれでも、前に進む歩みだけは決して止めなかったそうです。
会社と社員も、社長と社員も、持ちつ持たれつ。
ニトリでは、誰が偉いということはないそうです。
もちろん役職はあるのですが、ビジネスは常に平等で、対等であるという考えに基づいています。
なので、役職に関係なく、全ての社員を「さん付け」で呼ぶ文化になっているそうです。
この仕組みによって、マネージャーも新卒社員も、お互い一人の人間として、対等に認め合うことができたそうです。
ある人と上手くやっていこうと考えたら、相手の短所は自分が補ってやり、自分の足りないところを相手に補ってもらう。
これがチーム力を強化する秘訣だと似鳥昭雄は語っています。
大事なのは、考えすぎないこと。
考えすぎると臆病になるので、結果的に行動できなくなります。
そうするとチャンスを逃してしまうので、成功できなくなってしまうのです。
なんでも一番でなければいけません。
これはゆとり教育に”喝”を入れる名言ですよね。
ニトリでは「一番主義」を掲げているので、何でも一番を目指す社風があるそうです。
なぜ一番を目指すのかといえば、圧倒的なアドバンテージが手に入るからです。
例えば、日本で1番高い山といえば富士山ですよね。
それでは、2番目に高い山はどこでしょうか?
日本で1番大きな湖といえば琵琶湖ですよね。
同じく、2番目に大きな湖を知っているでしょうか?
1番と2番では、それほど知名度に差が出てしまうのです。
何が問題で、何が課題であるか知るためには、頭で考える前に実際にやってみることが大切です。
机上の空論ではなく、自分の体で体験すれば、これまで気づかなかったことにも気が付くそうです。
似鳥昭雄は、頭で色々考えるのではなく、自分の目と身体で確かめることを推奨しています。
昔から「役員全員に反対されたものは絶対にやるべき」というのが私の中の鉄則でした。
なんとなくワンマンなイメージがする言葉ですが、似鳥昭雄がこのように考える理由とは、役員が常識人だからです。
一般的な役員は保守的なので、大きなリスクを冒そうとはしません。
普通の行動では「売上2倍」が達成できたとしても、「売上100倍」にすることはできないのです。
簡単にできるようなことなら、とっくに誰かがやっています。
目の前に高い壁が立ちはだかると、人間は諦めたくなります。
でも、難しいからこそ挑戦する価値があるのだと思います。
高い目標と強い志がなければ、努力は続けられないからです。
常にチャレンジ精神を持つようにしましょう!
人が育てば、事業は狙い通りに成長していくものです。
ニトリはフランチャイズ制を取らず、全て直営方式にこだわっているそうです。
何でも自分たちでやれば、そのぶん経験が身に付くので、スペシャリストと呼べる社員がたくさん出てくるのです。
「人の育て方」という部分にフォーカスした場合、直営方式が一番合理的だと語っています。
これまで値段が高くて普及していなかった種類の製品を、自社生産することで安く世の中に提供し、誰もが使える商品にしていく。
それはニトリのポリシーでもあります。
ニトリのポリシーは「とにかく安く提供する」ことです。
「1に安さ、2に安さ、3に安さ、4に品質、5にコーディネート」という標語があるぐらい、安さはこだわっているそうです。
社長というのは、我慢が仕事です。
これは経営者の苦労を感じさせる名言ですよね。
今では大企業となったニトリですが、ここに至るまでは何十回もガックリくるようなことや、逆境と言える出来事がたくさんあったそうです
その中でも、社員のクーデターには頭を悩まされたそうです。
優秀な人材をヘッドハンティングすると、その人が数人の部下を引き連れて入社してきます。
その結果、社内派閥が出来上がってしまうのです。
そうすると、思い上がった人がクーデターを起こそうと動き出すので、会社内がグチャグチャになるそうです。
そのような経験から、今でもニトリでは社内派閥を作るのが禁止になっています。
苦しい時期を我慢して、逆境乗り切って初めて、運が出てくるのです。
普段から努力し続けていれば、どんな困難な状況だったとしても、必ず状況は好転していきます。
諦めずに努力するからこそ、運が向こうからやってくるのです。
似鳥昭雄は”家具業界の海賊”
ここまでニトリ創業者『似鳥昭雄』の名言集をご紹介してきましたが、見事なぐらいの叩き上げなので、「自分も頑張ろう!」という勇気が湧きますよね。
顧客ニーズを満たす為なら「やれることは何でもやる!」という精神の経営者なので、とにかく行動力が凄まじい印象でした。
一つ逸話をご紹介すると、お客様への提供価格を安くするために、似鳥昭雄は「卸問屋を通さないやり方」について色々と考えたそうです。
その結果、メーカーとの直接取引を思いついたそうですが、家具業界はとても古くて、問屋を通すのが当たり前の商習慣になっていたのです。
なので、メーカーとの直取引することは業界として”御法度”で、そのような無法者は締め出しを食らうハメになります。
それでも消費者への提供価格を少しでも安くするため、まずは卸問屋の営業マンを接待して丸め込み、どのメーカーと取引しているのか情報収集をしたそうです。
そして話を聞いてくれそうなメーカーへと入り込み、直接交渉する機会を貰えたそうですが、やはり卸問屋を通す商習慣は変えられなかったそうです。
メーカー側にとっても、小売店(=似鳥昭雄)と直取引するのはリスク(問屋から締め出しを食らう)が大きいので、首を縦に振ってくれるメーカーは一つもありませんでした。
そこで似鳥昭雄は「誰もいない真夜中にトラックで取りに来て、その場で現金を支払うので売ってくれませんか?もちろん内緒にします。」と交渉したのです。
やはり目の前の札束は効いたようで、「それなら…」と渋々あるメーカーが了承してくれたそうです。
しかし卸問屋を通していない裏取引商品が店先に並んでいるのを卸問屋が見つけて、徐々にメーカーから取引NGを言われるようになってきました。
すると似鳥昭雄は、札幌がダメなら旭川、旭川がダメなら帯広…と、直取引してくれる北海道各地のメーカーを転々と渡り歩いたそうです。
そして北海道が全滅したら、次は青森、青森がダメなら岩手…
という具合で南下していき、最終的には九州にまでたどり着いたそうです。
とにかく直接取引してくれるメーカーがあるなら、日本全国どこへでも行ったみたいですね。
しかし九州でも取引停止をくらうと、もう日本は全滅です。
どこにも似鳥昭雄と直取引する勇気があるメーカーはいません…
それでも歩みを止めることはなく、「次は世界だ!」ということで近場の韓国へと飛んだそうです。
この頃の心境はさながら「逃亡犯」の気持ちだったそうですが、少しでもお客様へ安く提供するため、韓国や中国など海外の仕入先を開拓していったのです。
業界の商習慣すらぶち壊して、とにかくお客様のために汗をかき続ける”行動力”は、営業マンの鑑だと思います。
とんでもないバイタリティーで事業を拡大していった、まさに「海賊」のような人物が似鳥昭雄ですが、同じく行動派の経営者といえば、出光興産創業者の『出光佐三(いでみつさぞう)』を思い出します。
アポロステーション(ガソリンスタンド)で有名な出光石油の創業者が出光佐三です。

会社倒産の危機に何度も陥りながら、持ち前のガッツで日本を代表する大企業にまで育て上げた、こちらも「海賊と呼ばれた男」です。
出光佐三の名言に興味がある人は、下の記事もご覧ください。