人間が世の中で生きていくとき、「常識」というのは、どんな地位であっても必要であり、またどんな時にも欠けてはならないものです。
渋沢栄一は常識のことを「事にあたって、突飛なことをせず、頑固になりすぎず、物事の是非・善悪を見分け、利害・得失を識別し、言語と挙動のすべてが『中庸』にかなっているもの」と表現しています。
中庸とは、極端な行き方をせず穏当なこと。片寄らず中正なこと。
つまり常識の根本と言われている「智恵」「情愛」「意思」の3つがバランスよく備わっている人を「常識人」と表現したのです。
世の中で活動するにあたっては、自分の地位を築くと同時に社会のことも考えて働く。そして、できるだけプラスの働きをして、世の中を進歩させたい。
これは起業家としての一面を覗かせる名言だと思います。
ただ”金儲け”だけを求める起業家もいますが、ほとんどの起業家は「社会への奉仕」という大義名分を掲げています。
実際にそれだけを追求していけば、必然的にビジネスはうまくいくと数多くの偉人達も語っています。
有名な起業家たちの名言集は下の記事をご覧ください。
習慣とは、人の日常的な振る舞いが積み重なり、1つの固有性となったものです。
渋沢栄一は「日々の積み重ねが習慣になる」と語っていますが、それだけでなく「習慣は他人に感染する」とも言っています。
また「他人から感染する」こともあるので、そのような側面を考えた場合、付き合う相手は慎重に選んだ方がいいと思います。
つまり向上心があり努力家の人と付き合えば、自分もそのような努力家になれて、毎日ダラダラ飲み歩くような人と付き合えば、自分も怠惰になっていくということです。
「志」がどれだけ善良でまごころや思いやりに満ちていたとしても、「所作」がそれに伴っていなければ、世の中で信用を受けることはできない。
これは志と所作について語った名言です。
志が多少ねじ曲がっていたとしても、所作が機敏で人の信用を得られるレベルであれば、その人は成功できる確率が高くなるそうです。
これを表す逸話として、渋沢栄一は「絶世の美女でも汚物を浴びさせられたらみんな避けていく。反対に心は鬼みたいな女でも、おしとやかで色っぽい格好をしていれば男は寄ってくる」と表現しています。
確かに、ゴマすりがうまかったり、コミュニケーション能力に長けている人は、会社でも出世する傾向がありますよね。
人間は、志の善悪より所作の善悪の方に目が行きやすいので覚えておきましょう。
人の世で生きていく上で道を誤らないようにするためには、とにかく「論語」を熟読しろ。
渋沢栄一は「人生における全てが論語に詰まっている」と考えていたので、論語を推奨していました。
まだ論語を読んでいない人は必ず読んでおきましょう!
人間が世で生きていく上で、最も大事なこと。それは智恵を増していくことです。
智恵という言葉には「十分な知識があり、道徳心もあり、それを基にした行動力が備わっている」という意味合いがあります。
渋沢栄一だけでなく「智恵を身につけることが成功への近道だ」と多くの偉人が語っているので、ここで覚えておきましょう!
「智力を働かせる」というのは、つまり日々勉強して頭を使うことであって、その勉強が伴わないと、ものすごい智も全く活用できないのです。
勉強というのは一時の努力だけでなく、「死ぬまで一生続けることが大切」だと渋沢栄一は語っています。
「論語と算盤」は渋沢栄一が74歳の時に書かれた本ですが、それだけの智恵があっても、まだ学ぶことをやめなかったそうです。
「事業を発展させたい」「利益を拡大したい」という欲望は人間の心になくてはならないものだ。
しかし、その欲望は「道理」によってしっかりとコントロールされていなければならない。
「自分さえよければいい」という考え方では、絶対に会社は大きくできません。
このような考えの人は平気で未払いを起こしたり、不誠実な対応をするものです。
この考え方は自滅を引き寄せてしまうので、十分注意しましょう。
カネというのは意志を持たないモノに過ぎません。
拝金主義が行き過ぎると、とにかく「金儲けこそが善」という話になってしまいます。
しかしカネは「単なるツール」なので、それをどう使うかが重要なのだと思います。
- 善いカネ使いか?
- 悪いカネ使いか?
それを決めることができるのは、意思を持った自分だけということです。
富豪が慈善事業に資金を投じるにしても、出来心の慈善、見栄からくる慈善は決していいものではないということです。
世の中は問題が山積みなので、少しでもそれを解決したいと考えますよね。
でも、そのやり方は考えた方が良いと思います。
慈善活動家として有名なマザー・テレサは「自国を放っておきながら、外国へ寄付したり、貧しい国を支援することは単なる偽善だ」と一刀両断しています。
なぜかといえば、困っている人がすぐそばにいるのに、その人たちを放っておいて、遠くの国へ目を向けることは、単に「目の前の課題から逃げているだけ」だからです。
マザー・テレサの名言集は下の記事をご覧ください。