調子に乗るのは良くない
渋沢栄一は「チャンスを掴むのはいつも貧乏で苦しい時で、失敗するのはいつも得意になっている時だ」と語っています。
精神が衰弱しないようにするには、学問をするしかありません。
これは常に学び続けることを諭した名言です。
渋沢栄一はダラダラして生きることを「ただ肉の塊として生きるのは嫌だ」と痛烈に批判しています。
前進することをやめた時、人間の衰退は始まるので、休むことなく学び続けましょう!
物質文明が進んだ結果、精神の進化がダメになった。
技術は進歩して、国は豊かになったのに、精神教育が追いついておらず、道徳が消滅してしまったと渋沢栄一は語っています。
日本人の道徳といえば”武士道”なので、まずは武士道精神を学びましょう!
青春時代に「正しいことをしようとしているのに、失敗するのが怖い」というような人は、まるで見込みのない人物です。
「これは正義だ!」と考えるのであれば、それを成し遂げるために全身全霊をかけて、全力で取り組むべきだと思います。
岩をも貫く鋼のような意思を持っていれば、この世にできないことはない。
重要なのは「○○を絶対に成し遂げたい!」と考える自分の意志です。
その強い意志は外部環境すら変えてしまうので、渋沢栄一はこのように表現したのだと思います。
ごちそうを並べた上に、口に運んでやるほど、先輩たちや世の中は暇ではないのです。
- 自分のことを評価してくれない
- 後ろ盾になってくれる人がいない
- 努力が報われない
このように愚痴をこぼす人は多いのですが、それはまだ努力が足りないだけかもしれません。
現実的な話として、安心して仕事を任せられる部下はとても少ないと感じています。
もしあなたが仕事を任せられる人であれば、必然的かつ自然と先輩から頼りにされるはずです。
どんなに些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部分になっています。
新人の頃は、たとえつまらない仕事であっても、不平不満を言わずにしっかり取り組むべきだと思います。
なぜかといえば、新人の頃に与えられる仕事は簡単なものばかりですが、それが仕事の土台になっているからです。
つまり基礎ができていない人には、応用(難しい仕事)も務まらないということです。
長所の中で最も優れたところを活かせるように志を定めてください。
志は「夢」と言い換えることもできますが、それを決める時にはまず自分の長所&短所を正確に理解することが必要です。
その上で、渋沢栄一は「大立志」と「小立志」に分類する必要があると言っています。
「大立志」は一生通じて成し遂げたい大きな志のことで、「小立志」は日々過ごす中で出てくる小さな志のことです。
この2つが決して矛盾しないようにしましょう。
山は高いし谷は深い。
森林は連なり、川幅は広い。
それでも正しい道を探し出して進んでいくと、高い山に出くわして、どんなに登っても頂上にたどり着けない。
これは現実社会を比喩した言葉です。
現実社会は複雑なので、自分が思っていたよりも高い山だったり、広い川だったりすると、そこで心が折れてしまう人が多いと聞きます。
たとえ正しい道が見つかったとしても、なかなか頂上までたどり着けなければ、疑心暗鬼になって、途中で挫折してしまうのです。
このような暗中模索する中で、絶対的な道標となりえるのが”信念”です。
絶対に揺らぐことがない信念を持ちましょう!
品性が低いと、人は勇気というより野卑(やひ)な狂暴に流れがちです。
品性というのは「知識がある」「道徳心がある」などが含まれた言葉ですが、特に若い人には「品性が足りない」と渋沢栄一は語っています。
若い人は経験値が少なく、学びも少ないので、ある意味では品性がなくて当然だと思いますが、論語の主人公とも言える孔子は、下のような言葉を残しています。
吾れ十有五(じゅうゆうご)にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず。
<訳>私は十五歳で学問に志した。三十歳で独り立ちした。四十歳になって迷わなくなり、五十歳で天命を知った。六十歳で人の言葉が素直に聞けるようになり、七十歳でやりたいことを自由にやっても間違うことがなくなった。
個人的にはこの孔子の言葉とリンクしていて、30歳になるまでは若年層と言えるので、まだまだ大人ではありません。
そして40歳になるまでは、一人で”正しい判断”をすることなどできないと思っています。
自分自身の経験も含めて、品性がない若年層は粗暴で傲慢な態度を取るケースが多いので十分注意しましょう。