
渋沢栄一は「近代日本経済における父」として知られていますよね。
1万円札紙幣の肖像画にも選ばれた人物なので、ほとんどの人がその存在くらいは知っているはずですが、数多くの会社設立や経営に関わったことでも有名なのです。
その会社の多くは今でも存続しており、渋沢栄一が設立に関わった会社は500社を超えるとも言われています。
- みずほ銀行
- 東京電力
- 東京ガス
- 東京海上
- 火災保険
- 王子製紙
- 太平洋セメント
- 帝国ホテル
- 東京証券取引所
- 日本商工会議所
- キリンビール
- サッポロビール
しかし三菱や三井などの財閥と違って、「渋沢」という名前の会社は1つもありませんよね。
これは渋沢栄一が信条としていた「利益の独占は道徳に反する」という考え方に基づくからです。
つまり「会社とはパブリックな公器であり、誰かが儲けるために作るのではない」という考え方なので、会社を作って仕組み化しては、経営を人に任せるというのを繰り返していったのです。
そのような日本を代表する経済偉人が渋沢栄一なのですが、渋沢栄一が残した「論語と算盤(そろばん)」を読んだ人は少ないかもしれません。

そこで今回は、「論語と算盤」の名言集をご紹介したいと思います。
重要なポイントだけを抜粋しているので、わかりやすく要約した内容となっています。
ビジネスパーソンの必読書と言われている「論語と算盤」なので、ぜひ教訓としてもご覧ください!
「論語と算盤」の名言集まとめ
ソロバン(金儲け)は「論語(道徳)」によって上手くいく
一見すると「論語と算盤(そろばん)は関係がないもの」と思われがちですが、実はとても”近い存在”だと言われています。
むしろこの2つが揃わなければ、ビジネスで成功することはできないと言われているのです。
士魂商才
菅原道真は「和魂漢才」を唱えていましたが、それに対して渋沢栄一は「士魂商才」を唱えました。
和魂漢才とは「日本人だけが持っている『大和魂』を基本としつつも、中国の文物や学問を身につけて才能を伸ばすこと」ですが、士魂商才とは「武士のような心の強さで、商売すること」を言います。
真の商才の根底には”道徳心”が必要だと、渋沢栄一は考えたのです。
第一印象はだいたい合っている
人間は何度も会うようになると、馴れ合いになったり考えすぎてしまって、結果的に間違った判断をするようになります。
逆に初めて会った時、よくその人のことを観察しようとすれば、第一印象が合っていることに気づくはずです。
人間を道具のように使って自分の権力基盤を築くとか、どうのこうのといったわがままな気持ちは私には全くありません。
「人間は自由に活動できなければいけない」という考えのもと、渋沢栄一は「適材適所」に努めました。
それが結果的に日本経済の発展につながり、日本人を豊かにすると信じていたからです。
私のことをお手本だと思う人がいる一方で、私もまた他の人をお手本にしています。
このような謙虚な気持ちはとても大切だと思います。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という有名な言葉もありますが、役職者の人ほどこのような気持ちを忘れないようにしましょう。
争いは絶対ダメなわけではなく、社会に必要なものじゃないだろうか。
争いを嫌う人は多いですが、渋沢栄一は「争いが人類を進歩させるきっかけになる」と考えていました。
もちろん武力で争いではなく、意見の食い違いや、真剣なディスカッションの話なので、殴り合いの喧嘩は避けましょう!
時代の流れによって、人生に小さな波乱があるのは仕方のないことです。
波乱とは”環境の変化”なので、基本的には受け入れられるしかないと思いますが、大切なことは「それにどう立ち向かうのか?」という部分だと思います。
自然発生した逆境は「自分のことを試している」と考えて、どうやって乗り越えるかを前向きに考えましょう。
世の中にはずいぶん自分の力を過信して、実力とかけ離れた野望を持つ人もいます。
大きな夢を持つのは良いですが、地に足をつけることも重要です。
ビジョンとミッションは違うので、履き違えないようにしましょう。
私も酒を飲んだし遊びもしましたが、いつも「色に狂わず、人を傷つけず」というルールを守ってきました。
渋沢栄一は「喜怒哀楽の感情を調節することが必要である」と語っています。
それがつまり、渋沢栄一の「軸」なのだと思います。
いつでも大事と小事について細心の注意を払っていないと、思いもしない過ちを招いてしまうものだということを忘れてはなりません。
忙しくなったり、順風満帆だと、些細なことが気にならなくなります。
それは小さなほころびとなり、大事に至る可能性があるので注意しましょう。
調子に乗るのは良くない
渋沢栄一は「チャンスを掴むのはいつも貧乏で苦しい時で、失敗するのはいつも得意になっている時だ」と語っています。
精神が衰弱しないようにするには、学問をするしかありません。
これは常に学び続けることを諭した名言です。
渋沢栄一はダラダラして生きることを「ただ肉の塊として生きるのは嫌だ」と痛烈に批判しています。
前進することをやめた時、人間の衰退は始まるので、休むことなく学び続けましょう!
物質文明が進んだ結果、精神の進化がダメになった。
技術は進歩して、国は豊かになったのに、精神教育が追いついておらず、道徳が消滅してしまったと渋沢栄一は語っています。
日本人の道徳といえば”武士道”なので、まずは武士道精神を学びましょう!
青春時代に「正しいことをしようとしているのに、失敗するのが怖い」というような人は、まるで見込みのない人物です。
「これは正義だ!」と考えるのであれば、それを成し遂げるために全身全霊をかけて、全力で取り組むべきだと思います。
岩をも貫く鋼のような意思を持っていれば、この世にできないことはない。
重要なのは「○○を絶対に成し遂げたい!」と考える自分の意志です。
その強い意志は外部環境すら変えてしまうので、渋沢栄一はこのように表現したのだと思います。
ごちそうを並べた上に、口に運んでやるほど、先輩たちや世の中は暇ではないのです。
- 自分のことを評価してくれない
- 後ろ盾になってくれる人がいない
- 努力が報われない
このように愚痴をこぼす人は多いのですが、それはまだ努力が足りないだけかもしれません。
現実的な話として、安心して仕事を任せられる部下はとても少ないと感じています。
もしあなたが仕事を任せられる人であれば、必然的かつ自然と先輩から頼りにされるはずです。
どんなに些細な仕事でも、それは大きな仕事の一部分になっています。
新人の頃は、たとえつまらない仕事であっても、不平不満を言わずにしっかり取り組むべきだと思います。
なぜかといえば、新人の頃に与えられる仕事は簡単なものばかりですが、それが仕事の土台になっているからです。
つまり基礎ができていない人には、応用(難しい仕事)も務まらないということです。
長所の中で最も優れたところを活かせるように志を定めてください。
志は「夢」と言い換えることもできますが、それを決める時にはまず自分の長所&短所を正確に理解することが必要です。
その上で、渋沢栄一は「大立志」と「小立志」に分類する必要があると言っています。
「大立志」は一生通じて成し遂げたい大きな志のことで、「小立志」は日々過ごす中で出てくる小さな志のことです。
この2つが決して矛盾しないようにしましょう。
山は高いし谷は深い。
森林は連なり、川幅は広い。
それでも正しい道を探し出して進んでいくと、高い山に出くわして、どんなに登っても頂上にたどり着けない。
これは現実社会を比喩した言葉です。
現実社会は複雑なので、自分が思っていたよりも高い山だったり、広い川だったりすると、そこで心が折れてしまう人が多いと聞きます。
たとえ正しい道が見つかったとしても、なかなか頂上までたどり着けなければ、疑心暗鬼になって、途中で挫折してしまうのです。
このような暗中模索する中で、絶対的な道標となりえるのが”信念”です。
絶対に揺らぐことがない信念を持ちましょう!
品性が低いと、人は勇気というより野卑(やひ)な狂暴に流れがちです。
品性というのは「知識がある」「道徳心がある」などが含まれた言葉ですが、特に若い人には「品性が足りない」と渋沢栄一は語っています。
若い人は経験値が少なく、学びも少ないので、ある意味では品性がなくて当然だと思いますが、論語の主人公とも言える孔子は、下のような言葉を残しています。
吾れ十有五(じゅうゆうご)にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰えず。
<訳>私は十五歳で学問に志した。三十歳で独り立ちした。四十歳になって迷わなくなり、五十歳で天命を知った。六十歳で人の言葉が素直に聞けるようになり、七十歳でやりたいことを自由にやっても間違うことがなくなった。
個人的にはこの孔子の言葉とリンクしていて、30歳になるまでは若年層と言えるので、まだまだ大人ではありません。
そして40歳になるまでは、一人で”正しい判断”をすることなどできないと思っています。
自分自身の経験も含めて、品性がない若年層は粗暴で傲慢な態度を取るケースが多いので十分注意しましょう。
人間が世の中で生きていくとき、「常識」というのは、どんな地位であっても必要であり、またどんな時にも欠けてはならないものです。
渋沢栄一は常識のことを「事にあたって、突飛なことをせず、頑固になりすぎず、物事の是非・善悪を見分け、利害・得失を識別し、言語と挙動のすべてが『中庸』にかなっているもの」と表現しています。
中庸とは、極端な行き方をせず穏当なこと。片寄らず中正なこと。
つまり常識の根本と言われている「智恵」「情愛」「意思」の3つがバランスよく備わっている人を「常識人」と表現したのです。
世の中で活動するにあたっては、自分の地位を築くと同時に社会のことも考えて働く。そして、できるだけプラスの働きをして、世の中を進歩させたい。
これは起業家としての一面を覗かせる名言だと思います。
ただ”金儲け”だけを求める起業家もいますが、ほとんどの起業家は「社会への奉仕」という大義名分を掲げています。
実際にそれだけを追求していけば、必然的にビジネスはうまくいくと数多くの偉人達も語っています。
有名な起業家たちの名言集は下の記事をご覧ください。
習慣とは、人の日常的な振る舞いが積み重なり、1つの固有性となったものです。
渋沢栄一は「日々の積み重ねが習慣になる」と語っていますが、それだけでなく「習慣は他人に感染する」とも言っています。
また「他人から感染する」こともあるので、そのような側面を考えた場合、付き合う相手は慎重に選んだ方がいいと思います。
つまり向上心があり努力家の人と付き合えば、自分もそのような努力家になれて、毎日ダラダラ飲み歩くような人と付き合えば、自分も怠惰になっていくということです。
「志」がどれだけ善良でまごころや思いやりに満ちていたとしても、「所作」がそれに伴っていなければ、世の中で信用を受けることはできない。
これは志と所作について語った名言です。
志が多少ねじ曲がっていたとしても、所作が機敏で人の信用を得られるレベルであれば、その人は成功できる確率が高くなるそうです。
これを表す逸話として、渋沢栄一は「絶世の美女でも汚物を浴びさせられたらみんな避けていく。反対に心は鬼みたいな女でも、おしとやかで色っぽい格好をしていれば男は寄ってくる」と表現しています。
確かに、ゴマすりがうまかったり、コミュニケーション能力に長けている人は、会社でも出世する傾向がありますよね。
人間は、志の善悪より所作の善悪の方に目が行きやすいので覚えておきましょう。
人の世で生きていく上で道を誤らないようにするためには、とにかく「論語」を熟読しろ。
渋沢栄一は「人生における全てが論語に詰まっている」と考えていたので、論語を推奨していました。
まだ論語を読んでいない人は必ず読んでおきましょう!

人間が世で生きていく上で、最も大事なこと。それは智恵を増していくことです。
智恵という言葉には「十分な知識があり、道徳心もあり、それを基にした行動力が備わっている」という意味合いがあります。
渋沢栄一だけでなく「智恵を身につけることが成功への近道だ」と多くの偉人が語っているので、ここで覚えておきましょう!
「智力を働かせる」というのは、つまり日々勉強して頭を使うことであって、その勉強が伴わないと、ものすごい智も全く活用できないのです。
勉強というのは一時の努力だけでなく、「死ぬまで一生続けることが大切」だと渋沢栄一は語っています。
「論語と算盤」は渋沢栄一が74歳の時に書かれた本ですが、それだけの智恵があっても、まだ学ぶことをやめなかったそうです。

「事業を発展させたい」「利益を拡大したい」という欲望は人間の心になくてはならないものだ。
しかし、その欲望は「道理」によってしっかりとコントロールされていなければならない。
「自分さえよければいい」という考え方では、絶対に会社は大きくできません。
このような考えの人は平気で未払いを起こしたり、不誠実な対応をするものです。
この考え方は自滅を引き寄せてしまうので、十分注意しましょう。
カネというのは意志を持たないモノに過ぎません。
拝金主義が行き過ぎると、とにかく「金儲けこそが善」という話になってしまいます。
しかしカネは「単なるツール」なので、それをどう使うかが重要なのだと思います。
- 善いカネ使いか?
- 悪いカネ使いか?
それを決めることができるのは、意思を持った自分だけということです。
富豪が慈善事業に資金を投じるにしても、出来心の慈善、見栄からくる慈善は決していいものではないということです。
世の中は問題が山積みなので、少しでもそれを解決したいと考えますよね。
でも、そのやり方は考えた方が良いと思います。
慈善活動家として有名なマザー・テレサは「自国を放っておきながら、外国へ寄付したり、貧しい国を支援することは単なる偽善だ」と一刀両断しています。
なぜかといえば、困っている人がすぐそばにいるのに、その人たちを放っておいて、遠くの国へ目を向けることは、単に「目の前の課題から逃げているだけ」だからです。
マザー・テレサの名言集は下の記事をご覧ください。
国や社会の助けがあって初めて、人間は自分の利益を求めることができ、安全に生きることができるのです。
人間は自分一人で生きていくことができません。
毎日美味しい食事を食べたり、快適な家に住んだり、安全な医療が提供されているのも、様々な人々に支えられ、国の支援制度に助けられているからですよね。
そのような保証があってこそ、自らの利益を追求することができるのです。
そう考えた場合、富を持てば持つほど社会の助けを得ていることが理解できるはずです。
「義理合一」の信念を確立するように努めなければなりません。
義理合一とは、道徳心と合理精神とが一致している状態を指していて、孔子や孟子の思想としても知られています。
この精神がなければ「自分さえ儲かればいい」という発想になってしまうので、そのような人ばかりになると「社会全体に悪影響を及ぼす」と渋沢栄一は警鐘を鳴らしています。
本当に資産運用がうまい人は、「よく集める」と同時に「よく散じる」ようでなくてはなりません。
生活する上での支出はもちろんですが、ビジネスセンスのある人はたくさん儲けたお金をたくさん使うべきだと渋沢栄一は語っています。
ただし、この時のお金の使い方は「善用である」ということが前提なので、単なる浪費ではありません。
使い方には十分注意しましょう。
どのようなことであれ自分の仕事に深い「趣味」を持ち、力を注いで欲しいのです。
ただ命令された仕事をこなすだけでは、クリエイティブな成果など出せません。
仕事の中に趣き(趣味)を見いだせば、「こうしたら良いのでは?」とか「こう改善したい!」という意思が出てくるので、きっと仕事も楽しくなるはずです。
私は「客観的人生観」の側に立ち、「主観的人生観」を退けるのです。
- 客観的人生観:他人や社会がメインで自分のことはサブと考える
- 主観的人生観:自分がメインで他人や社会はサブと考える
渋沢栄一は、全ての人が「客観的人生観」を持てば、国家や社会はより良くなると考えているようです。
現実だけで十分なわけではなく、また理論だけでも立つことはできない。
理論と現実、学問と事業とがお互いに発達していかないと、相乗効果が生まれないと渋沢栄一は語っています。
世の中、だいたい自分の思い通りにはならないものです。
基本的に物事がスムーズに進むことは少ないので、問題が起こる前から、起きた時の心構えをしておいた方が無難です。
これを渋沢栄一は「普段の心掛け」と呼んでいます。
人は十分に修養すれば、1日1日と、過ちを少なくし、善いことをするようになり、聖人に近づいていくのです。
修養とは「身を修め、徳を養う」ことですが、具体的には「1人の人間が聖人や君主の領域にだんだん近づいていけるように努める」ことを指しています。
ちょっと宗教的な感じもしますが、渋沢栄一は「修養は人間の知性を高める」と語っています。
みんな「国を豊かに強くする」というより「自分が金持ちになる」ことの方が、主な目的になっています。
渋沢栄一は「自分さえ金持ちになれば満足だ」という利己主義に警鐘を鳴らしています。
まず社会に奉仕して、周りから感謝されれば、結果的に自分が金持ちになる、という資本主義のロジックを理解してない人が多いそうです。
競争というのが、成長や進歩の母であるのは事実です。
競争することは基本的に”善”だと言えます。
しかしズルしたり、他人を邪魔したりするのは「悪い競争」のやり方なので、道徳的にNGだと言えます。
これは人に害を与えるだけでなく、自分も損して、さらに国家の品位も台無しにするので、絶対にやめましょう!
大きな喜びと感動を胸に抱いて仕事に取り組むなら、たとえどんなに忙しかろうと、どんなに大変だろうと、飽きや嫌気といった苦痛を感じることはありません。
要するに、何事も自分の気持ち次第ということです。
人は真面目に努力し、自分で運命を切り開くことが大切です。
自分の人生なので、誰かに頼るのではなく、自分の力で切り開くしかありません。
人生を良くするためにはチャレンジし続けなければいけませんが、もし失敗したとしても何も問題ありません。
たとえ失敗したとしても、努力し続けるのであれば、いつか必ず報われて成功するからです。
諦めずに前進し続けましょう!
「論語と算盤」には多くの学びがある
ここまで渋沢栄一が残した名著「論語と算盤」の名言をご紹介してきました。
渋沢栄一は「日本を代表する経済人」なので、その考え方には多くの学びがあるはずです。
他にも渋沢の名言を知りたい人は下の記事もご覧ください。