
生きる上で、必ず人間は”死”について考えることがあると思います。
しかし死を経験したことがある人はいないので、とても漠然としていて、なんとなく怖さもありますよね。
そこで今回は、生と死について語った偉人たちの名言集をご紹介したいと思います。
充実した人生を送るために必要な考え方だと思うので、ぜひ参考にしてください。
生と死の名言まとめ
人生はマラソン。
短距離で一等をもらってもしょうがない。
<元東芝社長 石坂泰三>
長い人生を『長距離マラソン』に例えた名言です。
とてもしっくりくるので、使い勝手の良い表現だと思います。
明日死を迎えるとしても、今日から幸福になって遅くないのです。
<思想家 中村天風>
中村天風は、各界を代表する人物たちに影響を与えた日本の偉人です。
銀行の頭取まで勤めた実業家という側面の一方で、非科学的な思想を全て排除した、常識的かつ合理的な思想を広めた思想家という側面もあります。
その思想は、今でも中村天風財団が引き継いでいるようです。
錆びつくより、擦り切れる方がマシ。
<土光敏夫>
土光敏夫は「ミスター合理化」という異名を持っている経営者で、IHI(石川島播磨重工業)や東芝の社長、経団連会長などを歴任した、いわゆる経済界のドンと言える人物です。
しかしその偉そうな肩書きとは裏腹に、身を切るタイプ(=自己犠牲タイプ)の経営者なので、今でも多くのファンがいるようです。
門松は冥途の旅の一里塚
めでたくもあり
めでたくもなし
<一休禅師>
正月に飾る門松は、一年の始まりを祝うものですが、よく考えると「死に一歩近づいた」という意味も含まれています。
これは、その様子を揶揄した言葉です。
生きることは、この世に用があって生きている。
<作家 石牟礼道子>
これは天命について語った名言です。
「天命」と聞くと、なんとなく宗教的に感じますが、とても前向きなので個人的には大好きです。
- なぜ生きているのか?
- そして何のために死ぬのか?
このような疑問を誰でも一度は抱いたことがあると思います。
結論から言ってしまうと、それに意味など無いと思います。
要するに「自分がそれをどう捉えて、どのように定義付けし、どうやって人生を全うするか?」というだけだと思います。
生き方に意味付けをした方が、きっと人間は前向きに生きられるはずです。
実に多くの職人たちは、その名をとどめずにこの世を去っていきます。
<思想家 柳宗悦>
偉人として名前が残る人はごく一部ですよね。
しかし”偉人”と呼ばれた人たち以外にも、何らかの仕事に従事していて、世の中に貢献している人はたくさんいたはずです。
つまり、名前は残らなかったとしても、その実績は残り続けているということです。
生あるものは必ず死ぬ。
死を受け入れなければ、生の意味を理解できない。
<精神科医 斎藤茂太>
例えば不老不死だった場合、その人は死ぬことがないので、生についての執着がなくなるはずです。
すると必然的に、今日一日を無駄に過ごすことが多くなるはずです。
「また明日やればいいや…」という思考では、偉業を成し遂げることができませんよね。
しかし喜ばしいことに、人間は必ず死にます。
それを受け入れるからこそ、「どのような一生にするべきか?」という思想に達するのです。
これでも死んでいる人よりましや。
<松下幸之助>
短い言葉ですが、「生きているという価値」について再認識させられる名言だと思います。
松下幸之助はパナソニック(旧・松下電器産業)の創業者なので、たくさんの名言を残しています。
気になる人は下の記事もご覧ください。
人間の死には、早すぎる死か、遅すぎる死しかない。
<作家 山田風太郎>
確かに、この言葉の通り「早すぎる死か、遅すぎる死しかない」と思います。
偉業を成し遂げた人であれば「早すぎる」と言われますが、何も成し遂げてないのであれば、「何をして生きていたのか?」という意味を含めて「遅すぎる」と言われるはずです。
それであれば「早すぎるよ…」と言われる人生にしたいですよね。
人生は意義ある悲劇だ。
<芸術家 岡本太郎>
ストレートに読み解くとネガティブに見える言葉ですが、岡本太郎の思想を理解していれば、とてもポジティブな言葉に見えてくるはずです。
岡本太郎をあまり知らない人は、下の名言集をご覧ください。
人間は二度死にます。
まず死んだ時。
それから忘れられた時。
<放送作家 永六輔>
人間が本当に死ぬのは「人から忘れられた時」だと言われています。
そう考えた場合、今でも語り継がれる徳川家康や坂本龍馬は、まだ死んでいないことになりますが、偉人というのは歴史に名を刻んで不老不死を得ているのだと思います。
死なむと戦えば生き、生きむと戦えば必ず死するものなり。
訳:死ぬ覚悟で戦えば生き残り、生き残ろうとして戦えば必ず死ぬものだ。
<戦国武将 上杉謙信>
死ぬ覚悟で戦えば必死になるので、その分だけ生き残る可能性が高まり、生き残ろうと思えば油断が出るので、その分だけ死ぬ可能性が高まるということです。
命のやり取りをしていた戦国武将ならではの名言だと思います。
死をおそれる人間は、もちろん談(はな)すには足らないけれど、死を急ぐ人も、また決して褒められないヨ。
<勝海舟>
志の高い武士は熱くなりがちですが、死んでしまっては元も子もありません。
生きてこそ、勝海舟のような偉業(江戸城の無血開城)を成し遂げられるのです。
寝屋を出るより、其日を死番と心得べし。
訳:寝所を出たその時から、その日に死ぬ覚悟をせよ。
<戦国武将 藤堂高虎>
これだけ腹をくくれた人間は強いと思います。
もちろん人生も充実するはずなので、今日一日を全力で生きましょう!
目的への道中で死ぬべきだ。
<作家 司馬遼太郎>
人生は短すぎるので、全てを成し遂げることはできないはずです。
その前提に立ってしまえば、「やり残し」という考え方もなくなりますよね。
自分の”命(時間)”を費やすべきことを、早めに見つけましょう!
死して不朽の見込みがあらばいつでも死ぬべし。
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。
訳:死ぬことで不朽の仕事ができるならいつでも死に、生きて大業を成し遂げられるなら生きるべきだ。
<吉田松陰>
武士には「切腹」という精神があったので、吉田松陰はこのような名言を残したのだと思います。
吉田松陰の名言集は下の記事をご覧ください。
まず命を救え。
アメリカ人だろうが、アフガン人だろうが、日本人だろうが、命は命です。
<医師 中村哲>
アフガニスタンで井戸を掘って、現地の緑地化に尽力した人物ですが、2019年に現地で銃撃されて亡くなりました。
中村先生の意思は、今もなお現地で生き続けていると聞きます。
物がおいしい間は、死ぬんじゃつまりませんよ。
<脚本家 向田邦子>
シンプルですが、とても前向きな言葉だと思います。
食欲は三大欲求の一つなので、それを生きる糧にするのもアリですね。
道においては死をいとわず思う。
<宮本武蔵>
宮本武蔵にとっての道とは「武道」のことです。
つまりこの言葉は伝えたいのは「もし何か追求したいことがあるなら、命を賭ける気概で取り組め」ということです。
命を使うと書いて「使命」と言います。
使命のある限り、生きる意味がある。
<医師 日野原重明>
とてもシンプルで分かりやすいですよね。
生きる意味が見つからない人にはピッタリな言葉だと思います。
人生は何事も為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い。
<作家 中島敦>
もし「毎日暇だなぁ」とか思っているなら、死ぬ時に「何事も為さなかった人」というレッテルを貼られるかもしれません。
人生は「時間が足りない!」「忙しすぎる!」くらいが丁度いいのだと思います。
人間は、何か一つ触れてはならぬ深い傷を背負って、それでも、堪えて、そ知らぬふりして生きているのではないのか。
<太宰治>
太宰治らしい名言ですよね。
太宰の言葉の通りだと思うので、あまりネガティブに考えない方が良いと思います。
一年半、もし短といはん欲せば、十年も短なり、五十年も短なり、百年も短なり。
<中江兆民>
厳しい言い方かもしれませんが、言い訳する人は『結局何もできない&しない人』だと思います。
とりあえず行動しましょう!
まとめ
ここまで生と死についての名言集をご紹介してきました。
どの偉人の言葉にも共通しているのは、決して死を怖がっているわけではなく、むしろ死があることを喜んでいたり、歓迎している風潮すらあると思います。
つまり”死”というものを『必然的なライフイベント』と捉えて、それを前提に生きていくポジティブさが感じられたはずです。
人間は必ず死ぬ生き物なので、それであれば「どのように死ぬのが理想的か?」と考えて、その信念に基づいた行動をし続けるのが良いと思います。
その究極系が”武士”だと思いますが、武士道精神を知りたい人は下の記事もご覧ください。