手塚治虫の名言集25選!アトム、火の鳥を生み出した天才漫画家の言葉

誰もが一度は”手塚作品”を読んだことがありますよね。

個人的に大好きな漫画家なのですが、クリエイターとして、又ビジネスパーソンとして学ぶべき部分も多いはずです。

そこで今回は、数多くの名作を残した天才漫画家「手塚治虫」の言葉をまとめてみました。

日本を代表する一流クリエイターである”手塚治虫”のメッセージから、イノベーターとしての姿勢&考え方を学びましょう!

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手塚治虫の略歴

手塚治虫は、1928年に大阪府豊中市で生まれました。

そして兵庫県宝塚市で育ったので、宝塚歌劇団には親しみがあり、それが将来「リボンの騎士」の構想へと繋がっていきます。

1946年に「マアチャンの日記帳」で漫画家デビューしますが、1947年の「新寶島」が大ベストセラーとなり、漫画界に衝撃をもたらします。

1950年にジャングル大帝の連載がスタートしますが、翌年には大阪帝国大学附属医学専門部を卒業します。

1952年に上京し、翌年にはトキワ荘へ入居します。

1961年、奈良県立医大で医学博士号を取得しますが、同年に手塚治虫プロダクション動画部を設立し、様々なテレビ作品をリリースします。

動画アニメの代表作には「鉄腕アトム」「W3」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「どろろ」などがあります。

1973年に名作と言われる「ブラック・ジャック」がスタート。

1989年、入院中の半蔵門病院で逝去(享年60歳)

手塚治虫の名言集まとめ

手塚治虫の名言1

漫画を描くときにも、小説を読んだり、落語を聞いたりして、聞き好きになることが一番なのだ。

様々な名著を読むことで、話の組み立て方やコツが理解できます。

そのような積み重ねが「漫画を描く時に役立った」と語っています。


手塚治虫の名言2

僕のペンネームに「虫」がついているのは、オサムシという虫の名を借りたものである。

手塚治虫の本名は「手塚治」なので、本当は「虫」がついていません。

小学生の手塚少年は昆虫マニアだったので、小学5年生の時に「手塚治虫」というペンネームを思いついたそうです。


手塚治虫の名言3

小さい頃、宝塚の少女歌劇に夢中になったり、天体や昆虫の世界に好奇心を燃やしたりしてましたけど、何と言っても9歳の時に見たディズニーの映画が忘れられませんね。

手塚治虫がディズニーに影響されていたなんて、なんとも意外な事実ですよね。

ディズニーのアニメーションに影響された手塚治虫は、後々「鉄腕アトム」などのテレビアニメーション制作に取り掛かります。

この「鉄腕アトム」がウォルト・ディズニーに褒められたことを、手塚治虫は生涯自慢していたようです。

夢の国を作り上げたウォルト・ディズニーの名言集は下の記事をご覧ください。


手塚治虫の名言4

医者になれば軍医として時間待遇を受けられるし、強制徴兵も免れるとあって、阪大を受けた。

手塚治虫が医者を目指した動機は不純ですが、医学部に入学できたタイミングで終戦となったそうです。

しかしそれは結果的に「ブラック・ジャック」という名作を生み出すことになります。


手塚治虫の名言5

ただ一つ、これだけは断じて殺されても翻せない主義がある。

それは「戦争はご免だ」ということだ。

手塚治虫は”戦争反対”を生涯描き続けました。

それと同じく平和をテーマにした漫画が多いのも、「戦争はご免だ」という信念に基づきます。


手塚治虫の名言6

そういえば、白いライオンというのは、今までになかったぞ。

これは使えるぞ。

手塚治虫は「動物絵本の制作」を頼まれたので、動物園へ出向いて写生して、一晩かかって書き上げました。

しかしライオンを黄色く塗ったつもりが真っ白だったので、出版社でボツにされたそうです。

その絵を3年間寝かせて、昭和25年に描いた漫画が「ジャングル大帝」です。


手塚治虫の名言7

ヒゲオヤジ。

僕の主人公のナンバーワンだ。

「手塚治虫の絵といえば…」でお馴染みのヒゲオヤジについて語った言葉です。

実は中学生の頃にヒゲオヤジは完成していて、その頃から手塚治虫の作品に出続けていたそうです。

手塚治虫は似たような風貌のキャラクターを、様々な漫画に登場させていますが、一般的な感覚で言えば、同じ風貌のキャラクターを他の漫画に使い回すことはありませんよね。

実はこの”使い回しシステム”を構築したのが「手塚治虫のイノベーション」だと言われています。


手塚治虫の名言8

僕はチャップリンに憧れた。

チャップリンの帽子や、ステッキが欲しかった。

手塚治虫は喜劇王と呼ばれたチャールズ・チャップリンの大ファンだったそうです。

手塚作品にガニ股スタイルのキャラクターが多い理由は、「チャップリンを真似しているから」ということです。


手塚治虫の名言9

プロというのは、何もないところから出さなきゃダメだ。

引き出しを開けたら何もなくて、しかし何かを出さないことには締め切りが迫っている。

そこで無から有を生ずるのが、プロですよ。

これは手塚治虫が考える”プロフェッショナル像”です。

まさにイノベーターらしい名言ですよね。


手塚治虫の名言10

僕の漫画には、昭和の初めからの一種の漫画史の影響が全部あるんですよ。

手塚漫画は昭和の漫画史のカリカチュアライズしたものと言ってもいいと思いますね。

カリカチュアライズとは、人や事物の欠点や弱点などをおもしろおかしく誇張、単純化して、風刺的に表現することです。

先人たちが積み上げてきた作品や技法に対してのリスペクトを伝えた言葉だと思います。


手塚治虫の名言11

こんな無味乾燥な四畳半で、ボクは連載中の鉄腕アトムやジャングル大帝を描き続け、宝塚的で派手なリボンの騎士などは、ここで交渉を立てたのである。

これはトキワ荘について語った名言です。

人気漫画家をこぞって排出したトキワ荘は、1982年に解体されてしまいましたが、手塚治虫はトキワ荘を気に入っていたそうです。


手塚治虫の名言12

アトムは元々女性のロボットとして考え出したのです。

初めは、お色気たっぷりな美人のアンドロイドとして誕生したはずだったのです。

ところが誕生した場所が、たまたま少年雑誌だったもので「鉄腕」がついちゃったのです。

これは眉唾物の話ですが、もともとは女性ロボットの構想だったみたいですね。


手塚治虫の名言13

鉄腕アトムの頭の両方に、ピンと立ったもの、あれをツノだという人がいる。

あれは髪の毛なのです。

鉄腕アトムのビジュアルのモデルは、手塚治虫本人みたいです。

手塚治虫は天然パーマだったので、風呂上がりに鉄腕アトムのような髪型になってしまうので、それをモデルに作られたキャラクターが鉄腕アトムです。


手塚治虫の名言14

作品としての評価は別として、主人公の魅力の点では、未だにアトムは、実の息子のように、いや、それ以上に僕は好きです。

ビジネスパーソンは”自社プロダクト”に惚れ込まなければいけません。

自分すら好きになれないプロダクトが、世の中に受け入れられるわけないからです。


手塚治虫の名言15

ジャングル大帝が終わったので、僕は南方民族漂着説を独断と偏見に満ちたSF物語として描き始めた。

これが「火の鳥」である。

手塚作品の中で、個人的に一番好きなのが「火の鳥」です。

何度見ても飽きませんし、その奥深さには舌を巻きます。

永遠に読み継がれる名作だと思っていますが、まだ読んだことがない人は、是非一度読んでみてください。


手塚治虫の名言16

天才?

とんでもない。

私ほど苦しんでいる人間はいないんじゃない。

これは手塚治虫の”苦悩”が垣間見える言葉ですよね。

全て努力の賜物ということです。


手塚治虫の名言17

生き物は、必ず動く。

この動きを絵に書くのがアニメーションだ。

手塚治虫は作品に”動き”を求めました。

紙の漫画だったとしても、まるで生きているかのように感じなければダメだと思っていたそうです。

その理想像を、万人でも理解できる形に表現したのがアニメーションだと語っています。


手塚治虫の名言18

漫画は消耗品で、その都度屑箱に捨てられるかもしれないけれど、その漫画の内容や主人公は、いつまでも読者の胸の中に生きている。

手塚治虫は亡くなりましたが、作品は今でも読み継がれて、読者の中で生き続けています。

これはつまり”不老不死”を手に入れたのと同義だと思います。


手塚治虫の名言19

お先真っ暗で、不合理で、不安定な現代生活。

鬱積したものを一番手っ取り早く、一番はっきり周囲に伝える手段…

それは結局漫画と呼ばれている表現方法ではないか。

手塚漫画の特徴は「メッセージ性が強い」ことです。

火の鳥もブラックジャックも、様々な社会問題にメスを入れています。

そのような視点で本を読めば、また新たな楽しみが発見できるはずです。


手塚治虫の名言20

正直な話、藤子氏の作品に解説はいりません。

買った、読んだ、面白かった、のシーザーもどきの感嘆で全てということです。

これはユリウス・カエサル(シーザー)の「来た、見た、勝った」をもじった言葉です。

漫画にもったいぶった評論は不要で、ただ単純に「面白かった!」だけで十分だと語っています。

カエサルが活躍した時代の名言集は下の記事をご覧ください。


手塚治虫の名言21

冷酷と言うか、冷たいんです僕のマンガは。

自分でわかるんだ。

読み返してみるとずいぶん白けているな、という気がする。

手塚治虫は自分のことを「冷めている部分がある」と評価しています。

漫画の世界観にのめり込むことができず、一人で悩んでいたそうです。


手塚治虫の名言22

僕は昭和20年からベレー帽をかぶっている。

これは横山隆一さんのベレー姿に憧れたのは原因だ。

手塚治虫といえばベレー帽姿ですよね。

その格好をしている理由はシンプルだったようです。


手塚治虫の名言23

僕の作品で、当時全く受けないで、途中でブッ切られたり忘れ去られた作品が多い。

天才と言われた手塚治虫でも、数多くの失敗があったそうです。

同じくカリスマ経営者と呼ばれている柳井正も「一勝九敗」がせいぜいだと語っています。


手塚治虫の名言24

そもそも漫画はフィーリングとインスピレーションの産物ですから、文学や戯曲の創作のような論理的な組み立てはありません。

即興的なものです。

そこが面白いんです。

手塚治虫の言葉を引用すれば、「マンガは感覚で楽しむもの」なのだと思います。


手塚治虫の名言25

精一杯生きていく生き物たちの賛歌を、「火の鳥」でうたいあげようと思いました。

火の鳥のテーマは「生と死」、そして「時間」と「永続性」です。

これだけ有名な作品なのにも関わらず、「未完」で終わっているのが奥深いですよね。

まとめ

ここまで手塚治虫の名言をご紹介してきました。

手塚治虫は日本の漫画史を変えた人物ですが、クリエイターとしても超一流なので、ビジネスパーソンは手塚治虫から学ぶべきだと思います。

手塚治虫と同じく、「左脳」で考える人の思考回路は面白いので、ぜひ日本を代表する芸術家「岡本太郎」の名言集もご覧ください。

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