できないと思えることでも、挑戦を繰り返すのだ。
挑戦して失敗すれば、改善することができます。
それを繰り返していけば、いづれできるようになるはずです。
皇帝に祭り上げられた者のつらさは、容易に理解できるものではない。
ローマ皇帝として過ごしたアウレリウスならではの名言ですよね。
アウレリウスの苦悩が滲み出た言葉だと思います。
死とは、救い出されることである。
アウレリウスは、死が「欲望」「苦しみ」「痛み」などから、私たちを救い出してくれると考えていました。
このあたりはキリスト教と近い考え方かもしれませんね。
新約聖書の名言集は下の記事をご覧ください。
アレクサンドロス大王も、彼のロバの飼育係も、死んだら死者になった。
同じ立場になった。
この言葉は、なんとなく「共和制」を予感させますよね。
死ぬ前までは皇帝だった人でも、死んだらその役職が外れます。
つまり、人間は死んだ時にみんな平等になるということです。
皇帝自らがこのような考え方を持っていたので、かなり先進的だったと考えられます。
ソクラテスのような偉大な人も、今や墓の下である。
アウレリウスもソクラテスに対して敬意を払っていたようですね。
ソクラテスなど、世界の偉人が残した名言集は下の記事をご覧ください。
苦痛は他人に由来する。
だから、孤独になれば、多くの苦痛は軽減される。
ほとんどの悩みは”人間関係”に由来するといわれています。
これは心理学者であるアルフレッド・アドラーも同じことを言っています。
アドラーの名言集は下の記事をご覧ください。
信念はパンより尊く、学ぶことは信念より尊い。
何よりも”学問”を重要視していたアウレリウスらしい名言だと思います。
悪をなした者とは、実際に悪をなした者と、それを見ながら何もなさなかった者である。
これはなかなか手厳しい言葉だと思います。
中国の儒教家である孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」と言いました。
「義を見てせざるは勇なきなり」とは、「目の前の困っている人を見かけたら、 見て見ぬフリをするのではなく、手を差し伸べることの出来る人こそが、勇気を持った 人である」という意味の言葉です。
この言葉に通じる名言だと思うので、ぜひ孔子の名言集もご覧ください。
自分なりにわずかでも前進したなら、それで納得せよ。
自分の力で得たなら、わずかな成果でも喜べ。
お前は賢人ではないし、賢人はお前ではない。
これはとても大事な考え方だと思います。
毎日少しずつでも前進していれば、必ず成長することができるので、欲張らずに一歩ずつ積み上げることが大切だと思います。
この言葉は”座右の銘”としてもオススメです。
人生は忙しさの中にある。
アウレリウスは仕事に忙殺されていましたが、そのような多忙な日々を送るほど、人生は充実していきます。
結局は、人生におけるすべて(お金、経験、友人、人脈、名誉、知識、社会との繋がり、社会貢献など)を提供してくれるのが”仕事”だということです。
どんな立派な劇場でも、いつも同じ演目ばかりかかっていれば、みんな飽きて足を運ばなくなる。
人の日常生活も同じである。
これは納得感のある言葉ですよね。
もし自分の人生にマンネリを感じるなら、そろそろ変化するタイミングなのかもしれません。
アウレリウスは哲人皇帝
ここまでアウレリウスの名言集をご紹介してきました。
マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、学ぶことが大好きで、その中でも特に、真理を追究する学問である”哲学”を愛していました。
なので「哲人皇帝」と呼ばれていたのです。
哲学を学んでいる人は高い”道徳観”や”倫理観”を身につけているケースが多く、そのような哲学者達はたくさんの名言も残しています。
その一方で、あまりに突き抜けているため、ニーチェやカントのように「変人」と呼ばれることもしばしばあります。
これは一般人の常識からかけ離れた思考になってしまうため、現代で言う「中二病」のように見えるのでしょう。
しかし知識が豊富で、知恵を身に着けている人が多いのは事実だと思います。
私も哲学は大好きなので、もし良ければ哲学者たちの名言集もご覧ください。