中国4000年の歴史と言われる通り、中国にはたくさんの偉人たちがいました。
孔子や孟子のような儒教家や、曹操や劉備のような軍人、始皇帝や太宗のような君子まで様々です。
そこで今回は、中国を代表する偉人たちの名言録を一覧にまとめました。
どれも有意義な言葉ばかりなので、ぜひ座右の銘にしてください!
中国古典の名言集まとめ
帝力何か我にあらんや。
訳)天子さまのお力なんぞあってもなくても同じこと。
堯(ぎょう)
堯は、古代中国にいたとされる聖天子です。
非常に優れた君子だったことで有名で、堯の治世は「百姓昭明にして万邦を協和す」と言われていたので、それにあやかりたいと日本の年号「昭和」が作られました。
町人が「帝力何か我にあらんや。」と言っているのを聞いた堯は、「ああ、天下はよく治まっているな」と安心したそうです。
地平かに天成り、六府三事允に治まり、万世永く頼るは、これ乃の功なり。
訳)地上は平和に治まり、天は順調に巡り、6つの府庫は充実して教育も行き届き、国民は安心している。後々まで手本と仰れるこのような時代を迎えることができたのは、全てそなたの功績である。
舜(しゅん)
これは後を継いで天子の地位についた禹(う)に、前任者の舜が伝えた言葉です。
この言葉の始まりである「地平かに天成り」から、日本の「平成」という年号が作られました。
苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり。
殷の湯王
湯王(とうおう)は、手のつけられない暴君と呼ばれていた「桀王(けつおう)」を倒し、殷王朝を設立した名君です。
言い伝えによると、湯王はこの言葉を洗面器に印字して、顔を洗う度にそれを見ながら自分の気持ちを奮い立たせていたそうです。
常にトップとしての責任を自覚して、緊張感を持っていたのだと思います。
慮らずんば胡(なんぞ)ぞ獲ん、為さずんば胡ぞ成らん。
訳)思慮深くなければ成果を上げることはできないし、断固実行しなければ物事を成し遂げることはできない。
伊尹
伊尹(いいん)は、殷の湯王を補佐して、殷王朝の基礎を固めた人物です。
この言葉は、殷王朝の4代目に就任した太甲に伝えた言葉だと言われています。
伊尹は部下からの諫言(かんげん)を推奨していたので、この辺りは唐の太宗と同じだったようです。
「貞観の治」を実現した名君”太宗”の名言集は下の記事をご覧ください。
一沐に三たび髪を握り、一飯に三たび哺を吐き、起って以って士を待つも、なお天下の賢人を失わんことを恐る。
訳)一度の洗髪中に三度の訪問があり、一度の食事中にも三度の訪問があったので、それぞれ途中で対応したが、それほど気を使っても優れた人物を逃しているのではないかと心配でならない。
周公旦
周公旦(しゅうこうたん)は周の宰相として活躍した人物ですが、この言葉は「自分の息子」に伝えた戒めです。
どんなに立場が上だったとしても、決しておごらずに、「謙虚な気持ちでいろ!」と伝えたかったのだと思います。
賢を尊びて功を尚ぶ。
訳)積極的に人材を登用し、功績による評価を重視している。
太公望
太公望(たいこうぼう)は、武王が紂を討伐する時に活躍した人物です。
出身や学歴などは気にせずに、優秀だと思った人物を積極的に登用し、成果を出した人物を抜擢する…
これは現代にも通じるやり方だと思います。
疑いを蓄えれば謀(はかりごと)を敗り、怠忽(たいこつ)なれば政に荒む。
訳)迷いが多くなると仕事は失敗するし、いい加減な姿勢で取り組めば政治は荒廃する。
周の成王
これはつまり「真剣に取り組め!」という意味の格言です。
真剣勝負をした時だけ人間は成長するので、何事も真面目に取り組みましょう!
我を産む者は父母なるも、我を知る者は鮑子(ほうし)なり。
菅仲
鮑子(鮑叔)は菅仲の幼馴染であり友人です。
菅仲(かんちゅう)は宰相まで上り詰めた人物ですが、鮑子がいなければ、それは実現できなかったと語っています。
つまりこの言葉は、「偉業を成し遂げるためには、それを支えてくれる友人が必要である」という意味の格言なのです。
君子は人を役に困しめず、列を成さざるに鼓せず。
訳)敵の難儀につけ込むなど、君子のやることではない。相手の陣形が整わないのに、どうして攻撃命令が下せようか。
宋の襄公(じょうこう)
まるで武田信玄と上杉謙信みたいですよね。
相手の陣形が整うのを待ってから、宋の襄公は攻撃命令を下したので、結果的に戦で大敗することになります。
その様子を見た国民から大きな非難を浴びたのですが、そこからできた言葉が「宋襄(そうじょう)の仁」です。
宋襄の仁とは、無用の仁義を通すことで、かえってひどい目にあうこと。 深情けが裏目に出ること。
攻め時を間違うと大変な目に遭うので、タイミングを逃さないようにしましょう!
善馬の肉を食らいて酒を飲まざれば、人を傷つく。
訳)名馬の肉を食べた時、酒を飲まないと体に毒だという。
秦の穆公(ぼくこう)
これは「穆公の飼っていた名馬が逃げ出してしまい、その馬を見つけた村人が知らずに食べてしまった」という逸話に基づきます。
それを知った穆公は怒ることをせず、「君子は家畜を殺されたからといって、人を傷つけたりしないものだ。」と語った上で、酒まで振る舞ってあげたそうです。
かなり器の大きい王様ですが、相手に悪気が無かったのであれば、このような対応が正解かもしれません。