山県有朋(やまがたありとも)の名言

山県有朋(1838年~1922年)は長州萩藩出身の偉人です。

吉田松陰の松下村塾に学び、高杉晋作の奇兵隊軍監として活躍します。

明治政府設立後は「軍人勅諭」を起草し、軍隊の整備や内閣組織などにも携わりました。


山県有朋の名言

ひつじのみ群る世こそうたてけれとらふす野辺に我はゆかまし

この言葉は「世の中では弱い羊ばかりで嫌になる。私は虎が野に寝そべっていても突き進んでいくぞ。」という意味です。

山県有朋の意気込みが感じられる名言だと思います。

島津斉彬(しまづ なりあきら)の名言

島津斉彬(1809年~1858年)は、第11代薩摩藩主です。

明治維新で重要な役割を果たした薩摩藩のトップですが、西洋事情に明るくとても革新的な人物だったと言われています。


島津斉彬の名言

西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も人なり、退屈せず益々研究すべし

この言葉は「西洋人も人であり、佐賀人も薩摩人も人である。諦めることなく益々研究を重ねるべきである」という意味です。

島津斉彬は、集成館を立ち上げて、反射炉を建設し、西洋式の大砲を薩摩藩で作れるようにしたのです。

そのような研究熱心な人物だったからこその名言だと思います。

明治天皇の名言

明治天皇(1852年~1912年)は、明治維新によって倒幕が行われたので、その後の政府を率いた人物です。


明治天皇の名言

けいらは辞表を出せば済むも、朕は辞表は出されず

これは明治天皇が伊藤博文に語った名言です。

この言葉は「みんなは辞表を出せばすむけれど、私は辞表出すわけにいかない。」という意味ですが、明治天皇の覚悟と苦悩が見て取れる名言だと思います。

伊藤博文の名言

伊藤博文(1841年~1909年)は、初代内閣総理大臣となった人物です。

元々は農家出身でしたが、吉田松陰の松下村塾で学び、木戸孝允や高杉晋作とも交流がありました。

維新の三傑(西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允)の死後、明治政府の指導者として活躍します。


伊藤博文の名言

現在の日本は地平線から出たばかりの太陽である

まさに日本国旗を表現したような名言ですよね。

新しい時代の幕開けにふさわしい言葉だと思います。

板垣退助の名言

板垣退助(1837年~1919年)は長いヒゲが特徴的なので、社会の教科書で見覚えがありますよね。

明治維新の前は土佐藩士として倒幕運動に従事していましたが、維新後は西郷隆盛の推挙を受けて参与となります。

高知県で立志社を創立するなど自由民権運動に注力し、第1次大隈内閣では内相を務めました。


板垣退助の名言

其楽を共にせざるものは、其憂を共にせざる所以

この言葉は「支配者が領民と楽しみを共有しないことは、苦境に陥った時、領民たちが協力しない原因となりうる」という意味です。

君主論に通じる言葉ですが、政治家らしい名言だと思います。


板垣退助の名言

板垣死すとも自由は死せず

これは自由民権運動の遊説中、刺客に襲われた板垣退助が叫んだとされる言葉です。

とても有名な言葉なので、教科書でも見たことがありますよね。

これで板垣退助が死ぬことはありませんでしたが、自由民権運動がさらなる盛り上がりを見せたそうです。




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