「これくらいしてやっているのに、なぜ礼を言わんのか」と言ったら、「これだけ俺にくれておいて、お前は嬉しゅうないのか」と言うて逆ネジを食わされたという話がある。
せっかくやるのなら、無心でやったら良いじゃないか。
相手からの見返りを求めてはいけません。
ただ与えるだけで良いのです。
誰でも、いくらもらえばそれでたくさんだとは言わない。
もっと欲しい欲しいで血眼になっている。
ところが、やる側には限りがある。
貰う側には限りがない
求めるのではなく与えましょう。
人間の欲求は底知れないのです。
小欲の人は、どっしりして腰がすわってくる。
腹がすわれば、度胸がすわる。
勇気が出てくる。
欲の深い者に本当の勇気などあろうはずがない。
欲が少ない人ほど、失うものがありません。
しかし、欲が大きい人ほど、失うものも大きくなるのです。
我々人間というやつは内側に持っておれば良いものを、すぐ外側へ出したがる。
内側へ戻すということが肝心である。
「口は災いの元」とも言いますよね。
後先考えない行動は、トラブルの原因になるので注意しましょう。
砂糖はどんなものかいってみようと言われても、砂糖はこんなこんなものだということはできない。
舐めてみるより仕方ない。
舐めなければ砂糖の味がわからない。
「百聞は一見にしかず」と言いますが、何事も経験することが一番手っ取り早いと思います。
そして、実際に経験しなければ、その本質もわからないのです。
この世界を、死んで眺めるということが大切である。
棺桶の中から見物したら、この世界は面白い。
棺桶の中というのは、自由に動けませんよね。
そのような不自由な状態になった時こそ、現実の自由が実感できるのです。
今からだって何でもできるのです。
負けるなら、心地よく負けたらいいじゃないか。
それを気持ち悪く負けて、恨んで、畜生と喧嘩腰になって、腹を立てている。
馬鹿馬鹿しいことだ。
自分の全力を出し切って負けたなら仕方ありません。
そこでイライラするより、それを教訓とした改善に繋げていきましょう!
迷いというものは体と心が離れ離れになっていることである。
魂と胴体が別々になっていることである。
頭では冷静に考えていたとしても、心が納得してないケースはあると思います。
そのような時に身体はちぐはぐになってしまうのです。
自分でバタバタしないことである。
しかし努力しないことじゃない。
「人事を尽くして天命を待つ」と言うが、それこそ人事を尽くせるだけは尽くさなければならん。
精一杯努力したら、あとは結果を待つだけです。
その後にバタバタしても意味がありません。
人事尽くした後は、自分でコントロールすることができないのです。
災難が来たら、ここが鍛錬のしどころである。
男一匹こういう時に鍛錬しなければならんという気持ちになる。
災難はネガティブに考えがちですが、そうではなく成長できるチャンスだと考えましょう。
それだけでも取り組み方が違ってくると思います。
まとめ
ここまで禅僧の名言をご紹介してきました。
澤木興道は有名な禅僧なので、何か得るものがあったはずです。
スティーブ・ジョブズ(アップルコンピューター創業者)も禅に大きな影響を受けたと言われているので、ぜひジョブズの名言集もご覧ください。