
藤田田(ふじたでん)は、輸入雑貨販売店の「藤田商店」を24歳の時に創業して大成功を収めます。
その後の1971年(昭和46年)、45歳の時に日本マクドナルドを創業、平成元年(1989年)63歳の時に日本トイザらスを創業し、それらをことごとく成功させ「カリスマ経営者」と呼ばれるようになりました。
残念ながら2004年に逝去されましたが、代表作である「ユダヤの商法」は今でも経営のバイブルとして読み継がれています。

この本は貿易商として活躍していた藤田田が、ユダヤ商人達と取引する中で培ったビジネスノウハウをまとめた名著です。
まだ読んだことがないビジネスパーソンは、絶対に読むことをお勧めします!
「常勝経営のカリスマ」と呼ばれた藤田田なので、もちろんたくさんの名言を残しているのです。
そこで今回は、日本マクドナルド創業者である藤田田の名言集をご紹介したいと思います。
企業経営やビジネスの真髄が理解できる言葉&エピソードばかりなので、ぜひ最後までご覧ください。
藤田田の名言集まとめ
うちの業績が良いのは、景気が悪いからだ。
日本経済はバブル崩壊後に長期デフレへ突入しました。
そこで藤田田は「創業価格プロモーション」と題して、平成7年(1995年)に低価格戦略へと舵を切ります。
当時210円だったハンバーガーを130円に、240円だったチーズバーガーを160円に、280円だったビッグマック200円に大幅値下げしたのです。
その結果、各企業がデフレに苦しむ中、マクドナルドだけが好決算を連発したのです。
私は他の人たちの3倍は働いています。
今は経済不況だという人もいますが、それは自分の愚かさに対する言い訳に過ぎません。
藤田田曰く、経済環境は変化する前提なので、好況か不況かは関係ないそうです。
「景気が悪いというのは『儲からない原因』ではなく、与えられた条件にすぎないのだ。その『条件』の下で、どうしたら儲かるかを考えなければならない。」とも語っています。
先手を打ったヤツが一人勝ちするんです。
負けてから立派な理由をこしられたってしょうがないでしょ?
藤田田は「ビジネスは勝てば官軍である」と語っています。
とにかく勝たなければ意味がないので、そのために常に先手を打つべきだと言うのです。
好決算を連発しているような状態は、気が緩みがちなので注意しましょう。
商売というやつは、結果論ばかり追ってみたところで決してうまくいくわけがない。
端的に言ってしまえば、予測のみが商売の要諦である。
結果をもとに動くのであれば簡単ですよね。
なぜかと言えば確実性が高くなるからです。
しかし経営というのは『不確実性の塊』です。
つまり将来を予測しながら動くしかないので、それこそが商売の要諦だと語ったのです。
日本経済は、教科書にも学説にも答えがないデフレに入ったので、誰だって戸惑いがある。
経営者は様々な外部要因を考慮して、自分一人で意思決定しなければいけません。
この時に藤田田が出した答えは「価格破壊」だったそうです。
そうは言っても、みんな毎日飯を食べ、パンツも靴下も買っている。
商売のやり方を変えるのは少しだけでいい。
たくさん変えようと思うから失敗する。
大衆の2ミリ前を行けばいい。
これは景気が減速していることについて質問された時、藤田田が語った名言です。
評論家の大宅壮一は「大衆の半歩前を行け」と語りましたが、藤田田はもっと狭い間隔でもいいと語っています。
ウチがオープンしてから日本のおもちゃは3割安くなっている。
消費者に安い商品を提供し、喜んでもらって何が悪いんですか。
日本にはこれまで「消費者のため」という発想がなさすぎたんですよ。
藤田田は日本マクドナルドの創業者ですが、日本トイザらスの創業者でもあります。
トイザらスといえばおもちゃ屋さんですが、藤田田は「子供のスーパー」と位置付けていました。
おもちゃだけでなく、おむつや絵本など、子供向けの商品をたくさん揃えたのです。
そもそもトイザらスを創業しようと考えたのは、マクドナルドの集客力を高めるためでした。
マクドナルドがターゲットとする顧客層はファミリーなので、マクドナルドの隣にトイザらスを出店し、買い物帰りに寄ってもらう仕組みを作ったのです。
それだけでなく、おもちゃの卸売を挟まない直接取引を実現したことで、消費者に提供する価格自体を下げてしまったのです。
それによってトイザらスの集客力がアップし、必然的にマクドナルドへの集客数もアップしていったのです。
モノの値段は買い手が決める。
古くから日本では「モノの値段は作り手が決める」と考えられていました。
しかし藤田田はアメリカ式の資本主義を学んでいたので、「モノの値段は買い手が決める」という発想で商売していたのです。
現代では当たり前の発想ですが、当時では斬新だったそうです。
全世界的に最大手がさらに強くなる傾向にあるんです。
どんな業界でも資本主義が発達してくると、寡占化の問題は起きてくる。
これは資本主義の宿命です。
だから一強百弱になる。
一強になるのは誰かというだけです。
藤田田は創業時からずっと「業界最大手企業になるべきだ」と言っていたそうです。
そのためには「売上高1兆円を達成する必要がある」と語りました。
2021年現在、日本マクドナルドの全店売上高は約6500億円なので、かなり大風呂敷を広げたイメージですが、その当時「売上高5000億円は100%達成できる」とも語っていたのです。
時間はかかっていますが、いづれ売上高1兆円を達成して有言実行することになるのでしょう。
成功するベンチャーには二つの要素があるのです。
一つは時間短縮、もう一つは簡便化です。
時間を節約したり、面倒を省くサービスが成長しやすいと藤田田は語っています。
これから独立起業を目指す場合には、この2つを網羅するビジネスモデルにした方が良いでしょう。
世の中や生活が複雑になってくる。
余暇が増えれば、価値観が多様化する。
それに伴い、人々は自分自身の時間を大切にし、充実させようとするから、逆に言えば、労働時間の多少にかかわらず、時間が無くなってくるんです。
これは昭和59年(1984年)に藤田田が語った名言ですが、まさに現代社会そのものだと思います。
人々の時間がなくなることを予想し、ファーストフードの成長性を予見していたのです。
女を狙って商売すれば必ず成功する。
反対に男からカネを巻き上げるのは女の10倍難しい。
男はカネを消費する権限を持たないのである。
また、口に入ったものは必ず消費され、排出される。
確実にカネが入ってくる。
こんな商品は他にはない。
マクドナルドは女性とファミリー層をターゲットにしました。
確かに食の流行は、女性を起点にしているケースが多い気がします。
そして家庭の財布を握っているのも女性(母親)ですよね。
藤田田が唱える商売の基本は「女」「口」「時間の節約&短縮」「簡便化」の4つに集約されるのです。
世界には安くて良質な製品と、それを生み出す開発力、技術力が埋もれている。
このビジネスチャンスを発掘すれば、日本ではまだまだ商売になる。
日本という狭いステージで考えるのではなく、世界規模でビジネスは考えるべきだと藤田田は語っています。
必要なのは、絶対100%成功するという思い込みではなく、絶対成功する、させてみせると自分で信じることである。
この言葉はつまり「思考は現実化する」という意味の名言です。
ナポレオン・ヒルが残した同名の名著がありますよね。
これは成功哲学をまとめた世界的な名著なので、ビジネスパーソンは絶対に読むべきだと思います。

ナポレオン・ヒルの名言集が知りたい人は下の記事をご覧ください。
経営は日本人、アメリカは技術情報を出すとはっきり分けないとダメ。
日本は教育レベルが違うし、独自の文化を持つ。
それに疎いアメリカ人が来て命令しても人は動かない。
これが日米合弁の失敗の理由だ。
昭和44年、日本国内における外国資本によるレストラン事業が完全自由化されました。
このタイミングで様々な外資レストランが日本に参入しましたが、結果的にはことごとく失敗に終わります。
その中で、圧倒的な成功を見せた日本マクドナルドについて語った名言です。
実は藤田田以外にも、大手総合商社、スーパーチェーン、大手食品メーカーなどが、マクドナルド本社へ次々とオファーを出したそうです。
しかし米マクドナルドの社長であるレイ・クロックは、ほぼ無名だった藤田田と契約する事を選びました。
しかもその内容は30年間の長期契約で、契約更新の権利は藤田田が持ち、ロイヤリティは売上高のたった1%という破格の待遇だったのです。
資本比率は50%づつでしたが、経営権は全て藤田に委ねられました。
つまり「アメリカマクドナルド本社からアドバイス(助言)は受けるが、オーダー(命令)は受けない」という契約を交わしたのです。
全てにおいて非常識な契約でしたが、レイ・クロックは藤田田という人間は信頼できると判断したのです。
レイ・クロックはアメリカマクドナルドの創業者ですが、自伝があるので興味がある人は読んでみてください。

契約というのは結婚と同じなのだから、離婚の用意をしてから交わさないとね。
この言葉はアメリカ式の契約を賞賛した名言です。
マクドナルドと交わした契約書の中には「Death Of DEN FUJITA(藤田田の死)」という文言があったそうです。
つまり藤田田が死んだ場合には契約を解消するという内容です。
このような内容を「失礼だから…」という理由で日本人は契約書に入れ込まないですが、契約を重視するアメリカでは記載してしまうのです。
このような点がアメリカのいいところだと、藤田田は語っています。
サービスで一番難しいのは、サービスというものは在庫ができないということです。
マクドナルドはフランチャイズシステムなので、たくさんのマニュアルが存在しています。
- バンズの厚さは上部が22~28mm、下部は16mm
- パティは45gにする
- パティは32mmの厚さの鉄板で焼く
- パティを焼く鉄板の表面温度を華氏370度に保つ
- 注文を受けてから32秒以内に、摂氏62度で顧客に出す
このようなマニュアルがあればその通りにするのですが、サービスはマニュアル化するのが難しいと藤田田は語っています。
東京から導入していくことによって、それまでの常識を逸脱したものでも全国が注目するんですよ。
日本マクドナルドの第1号店は、昭和46年7月20日にオープンしました。
場所は東京のど真ん中、銀座三越です。
マクドナルドのアメリカ本社は銀座三越への出店に難色を示したそうですが、藤田田はそれを強行したそうです。
藤田田は「坂道の上から石を転がせば、石は自然と勢いを増して転げ落ちていく」と考えていたのです。
結果的に、この戦略は大成功を収めます。
銀座の街中を若い人がハンバーガー片手に食べ歩くのを見て、「日本の食文化は絶対に変わる!」と確信した、もう一人の人物がいました。
それが日清食品創業者の安藤百福です。
安藤百福は日本マクドナルドの成功を見て、カップヌードルを若者が銀座で食べ歩く姿を想像したそうです。
実際に1年後、安藤百福もカップヌードルの試食販売(デモンストレーション)を銀座で始めて、藤田田と同じく大成功を収めます。
安藤百福の名言集は下の記事をご覧ください。
ハンバーガーのようなビジネスは、一個一個売っていくんですから、満塁ホームランはない。
小売業には逆転満塁ホームランのような起爆剤がないので、一個一個地道に売っていくしかありません。
これは藤田田が掲げる商売の信念であり、マクドナルド商法の基本となっています。
日本人はフランスに対しては憧れみたいなものがあるんですが、当時はアメリカに対して複雑な感情を持っていました。
そこでアメリカってことがわからないようにして始めたんです。
藤田田は、店名を「マクドナルド」にしたことが、日本で成功できた理由の一つだと語っています。
実は、本場アメリカでのマクドナルドの発音は「マクダーナルズ」なのです。
これだと語呂が悪いということで、3音ずつ切れる「マクド・ナルド」にカタカナ表記を変更したのです。
さらにマクドナルドの店内には、アメリカの国旗や地図を出すことを禁止して、アメリカ色を全て取り去ったのです。
このような工夫がハンバーガーというアメリカ文化を、アメリカ製でも日本製でもない、いわゆる国籍不明の外来品というオブラートに包ませたのです。
私はハンバーガーを売っているのではなく時間を売っている。
それも楽しさを持った時間を売っているのだ。
前述した通り、日本人が豊かになっていくと、時間が足りなくなっていくので「時間の節約&短縮」や「簡便化」というニーズが出てきます。
そのニーズを満たすのがマクドナルドなのですが、そこへさらに喜びや感動もプラスして提供したと藤田田は語っています。
人間というのは、12歳の時までに食べていたものを一生食べていくのです。
藤田田がファミリー層にターゲットを絞ったのはこの名言が指す通りです。
子供の頃からハンバーガーに慣れ親しんでおけば、大人になってもハンバーガーを食べ続けてくれるのです。
肝心なことは、人が集まるところに店を出すということだ。
小売業は1にロケーション、2にロケーション、3、4がなくて5にロケーションというくらいに、ロケーションが良ければモノは売れるんです。
どんなにいいモノでも、場所が悪いと売れません。
「マクドナルドが出店している場所に出店しましょう!」
これはフランチャイズ展開している企業や、店舗経営している企業の合言葉になっているものです。
それほどマクドナルドの出店場所は計算されており、失敗が少ないと言われているのです。
安くて良ければ、世界のどこからでも買う。
これはマクドナルドの原材料調達について語った名言です。
日本国内に限らず、世界中の情報を集めて仕入れを行ったのです。
その時には必ず2ヶ所以上のサプライヤーを使って、安定供給とリスク分散を図るようにしたそうです。
釘(客)から何センチのところに磁石(商品)を置くかというのが商売のやり方でね。
磁石を釘がくっつくかくっつかないかギリギリの距離に置くのが商売のコツだそうです。
ビジネスの世界には「勝てば官軍」の理論しかない。
「敗者の美学」といったものは、文学の世界でだけ意味がある。
藤田田このような考え方だったので、最初の頃は「守銭奴」と呼ばれることもありました。
しかし日本も徐々に欧米化していき、資本主義がしっかり根付くと、藤田田は「商売の天才」と呼ばれるようになったのです。
凡眼には見えず、心眼を開け。
好機は常に眼前に在り。
これは藤田田が24歳で藤田商店を創業した時に作った言葉です。
いわゆる藤田田の経営哲学なので、ぜひ参考にしてください。
例えばこれからベンチャーを始めようとしているなら、少なくとも3年後にはこうしたい、5年後にはこうしたいと紙に書いてみる。
そして1年後、2年後に目標を達成できたかどうかを振り返ってみる。
そうやって一歩一歩進んでいくんですよ。
これは独立起業を目指す人に対して語った藤田田の名言です。
藤田田は24歳で藤田商店を創業しますが、その時に作った事業プランをずっと手元に持っていたそうです。
時々それを見返せば、いつでも初心に戻れるのだと語っています。
今はこの部屋ぐらい大きなコンピューターも、そのうちハンディなものになる。
コンピューターは伸びる。
コンピューターだけ勉強してらっしゃい。
これはソフトバンク創業者である孫正義に伝えた言葉です。
当時の孫社長はまだ17歳の高校生でしたが、藤田田の書いた「ユダヤの商法」という本に感化され、わざわざ佐賀県からアポなしで東京まで会いに来たのです。

藤田田と面談できた孫正義は「これからアメリカに行って勉強したいのですが、何を勉強したらいいでしょうか?自動車とか飛行機とか石油とか、学びたいことはいろいろあるのですが…」と質問します。
それに対しての回答が先ほどの名言なのです。
このアドバイスをもらった孫正義は、アメリカでコンピューターを学び、日本を代表する経営者に成長しました。
ソフトバンク創業者である孫正義社長の名言集は下の記事をご覧ください。
とんでもない。
普通の人なら多分3ヶ月は持たないくらい、メンタルプレッシャーの多い仕事です。
無神経である面と、細かな神経を働かせる面の両方がいりますね。
これは報われることの少ない重労働であり、休みなき決断業です。
これは「社長業は楽しいか?」と聞かれた時に、藤田田が答えた言葉です。
経営者は孤独だと言われますが、経営者の孤独感を端的に言い表した名言だと思います。
60%確実ならばやるべきである。
それを100%の確率まで待っていたならば、チャンスはよそに逃げていってしまう。
これは意思決定について語った名言です。
前述しましたが、藤田田は経営者を「決断業」だと言い切っています。
勝機があれば即断即決するべきだと語っています。
ウチではハンバーガーを美味しく焼いて、たくさん売ってくれる人が必要なんです。
学歴はそれを保証してくれません。
これは昨今の学歴主義に対して藤田田が語った名言です。
このような考え方なので、マクドナルドの社員名簿には最終学歴の項目が無いそうです。
藤田田は伝説の経営者
ここまで藤田田の名言集をご紹介してきました。
たった一代で日本マクドナルドという巨大企業を生み出した経営手腕には疑いの余地がなく、素晴らしいセンスを持った経営者だと思います。
惜しくも逝去されましたが、今でも日本を代表する伝説的な経営者として語り継がれています。
同じく伝説の経営者と名高い本田宗一郎(ホンダ創業者)の名言集もぜひご覧ください!