目次
第31代大統領:ハーバート・クラーク・フーヴァーの名言
1874年8月10日~1964年10月20日(90歳)
フーヴァーはスタンフォード大学を卒業した後、ビジネスで財を築きます。
しかしその後、第一次世界大戦が勃発し、ウィルソン大統領から食料庁長官に任命され、政治手腕を発揮したため、大統領まで上り詰めました。
政府の持つ唯一の機能は、民間企業の有益な発展にとって好ましい状況をもたらすことである。
The sole function of government is to bring about a condition of affairs favorable to the beneficial development of private enterprise.
「全ての鍋にチキンを」というスローガンで大統領に当選したフーヴァーでしたが、就任7ヶ月後には大恐慌に見舞われ、人気が急落しました。
特に有益な策を打てたわけではありませんが、民間の力を引っ張り出すことに注力したそうです。
第32代大統領:フランクリン・デラーノ・ルーズベルトの名言
1882年1月30日~1945年4月12日(63歳)
ルーズベルトはハーバード大学を卒業してから法律事務所で働きますが、その後に政界進出し、ニューヨーク州知事となります。
アメリカ大統領選では、誰もが知っている”ニューディール政策”を掲げて勝利します。
アメリカ国民のため新規巻き直し(ニューディール政策)に我々の身を捧げよう。
I pledge you, I pledge myself, to a new deal for the American people.
フランクリン・デラーノ・ルーズベルトといえば、『ニューディール政策』ですよね。
これは雇用創出して、経済を回復させる施策なので、不況時のアメリカ国民から支持されたのです。
第33代大統領:ハリー・S・トルーマンの名言
1884年5月8日~1972年12月26日(88歳)
トルーマンは高校卒業後に銀行へ勤めますが、1922年にジャクソン郡の判事に選出されたことをきっかけに、1934年にはミズーリ州の上院議員となります。
その後は副大統領まで上り詰めますが、ルーズベルト大統領が急死したため、繰り上げで大統領に就任しました。
責任は私が取る。
I buck stops here.
これはトルーマンの信条として知られている言葉です。
トルーマンは、大統領デスクの上にいつもこの言葉を掘った”プレート”を置いていたそうです。
第34代大統領:ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワーの名言
1890年10月14日~1969年3月28日(78歳)
アイゼンハワーは高校卒業後、陸軍士官学校へ入学し、軍人としての道を歩き始めます。
第二次世界大戦では連合軍総司令官としてノルマンディー上陸作戦を成功させるなど活躍しますが、退役後はコロンビア大学の学長を務めていました。
しかしトルーマンの要請で北大西洋条約機構(NATO)軍の最高司令官になり、大統領選へ出馬することになり、勝利を収めました。
軍産複合体が、意図的なものであろうとなかろうと、不当な影響力を獲得することに用心しなければならない。
We must guard against the acquisition of unwarranted influence, whether sought or unsought, by the military industrial complex.
アイゼンハワーは軍人出身だったので、軍産複合体の危険性について、いち早く気づいていたようです。
軍産複合体(ぐんさんふくごうたい、Military-industrial complex, MIC)とは、軍需産業を中心とした私企業と軍隊、および政府機関が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体を指す概念である。
第35代大統領:ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの名言
1917年5月29日~1963年11月22日(46歳)
ケネディは父親が実業家という裕福な家庭に生まれて、ハーバード大学へ入学します。
卒業後は海軍へ入隊しますが、下院議員や上院議員を経て、43歳という若さでアメリカ大統領に就任しますが、1963年に遊説先のダラスで暗殺されました。
再選されたら、CIAを粉々に砕き、風に向かって撒き散らしてやる。
After I am re-elected I will smash the CIA into a thousand pieces, and scatter them to the wind.
JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ)と言えばダラスでの”暗殺事件”が有名ですよね。
夫人と車に乗っているところを狙撃された映像は、とても衝撃的でしたが、かねてからJFKとCIAは不仲説が噂されていたので、この暗殺にCIAが関与したとか、しないとか…
ケネディが就任してすぐにキューバ危機が起こったので、それを収めるためにケネディが指示してCIAが秘密裏に動いたのですが、その作戦が完全に失敗した為、保身の為にケネディはCIAに責任を押し付けて長官と副長官をクビにしたのです。
ケネディ暗殺にCIAが関与したかどうかは分かりませんが、真相は未だに謎のままです。
第36代大統領:リンドン・ベインズ・ジョンソンの名言
1908年8月27日~1973年1月22日(64歳)
ジョンソンは教育大学を卒業した後に教員として働いていましたが、ルーズベルト大統領の『ニューディール政策』に大変共感し、政界入ります。
ケネディ大統領との戦いでは敗れますが、副大統領に指名された為、JFKの暗殺で繰り上げ大統領となりました。
戦争について思い煩い、真夜中に目を覚ますことにもううんざりだ。
I'm tired of waking up in the middle of the night worrying about the war.
この言葉に出てくる「the war」はベトナム戦争を指しています。
ジョンソン大統領は、ベトナム戦争を拡大させましたが、成果を出すことができず、その座から退くことになりました。
第37代大統領:リチャード・ミルハウス・ニクソンの名言
1913年1月9日~1994年4月22日(81歳)
ニクソンはデューク大学のロースクールに進んで法律を学んだ後、政界へと進出します。
その後に39歳という若さで副大統領となり、1968年の大統領選で勝利します。
ニクソンは泥沼化していたベトナム戦争を終結させた実績を残しましたが、ウォーターゲート事件で辞任しました。
人々は、自分たちの大統領が詐欺師かどうか知るべきだ。
People have got to know whether or not their president is a crook.
これはウォーターゲート事件について聞かれた時、ニクソンが記者会見で答えた発言です。
ウォーターゲート事件とは?
1972年の大統領選挙運動期間中に、ワシントンのウォーターゲートビルの民主党本部に盗聴器が仕掛けられた事件が発生した。共和党側が仕掛けたことが判明、1974年にはついにニクソン大統領自身の関与が明らかになり、議会での大統領弾劾裁判開始が決まった。それをうけて1974年8月、ニクソン大統領が任期途中で辞任し、副大統領フォードが昇格した。
この事件によって、ニクソンは「任期中に辞任にした唯一のアメリカ大統領」となりました。
第38代大統領:ジェラルド・ルドルフ・フォードの名言
1913年7月14日~2006年12月26日(93歳)
フォードはイェール大学のロースクールで法律を学んだ後、弁護士業を開業します。
1948年下院議員になり、副大統領となりますが、ニクソン大統領が辞任したため、繰り上げでアメリカ大統領となりました。
アメリカ国民の皆さん、我が国の長い悪夢は終わりました。
My fellow Americans, our long national nightmare is over.
これはフォード大統領の就任演説です。
期待感のある名言ですが、フォード大統領はその期待ほどの成果が残せなかったようです。
第39代大統領:ジェームズ・アール・カーター(ジミー・カーター)の名言
1924年10月1日~
カーターは海軍軍人として活躍した後、ピーナッツ栽培農家の経営者となりますが、政界へ進出してジョージア州知事となります。
その後、民主党の新人として大統領に立候補し、現職のフォードに勝利しました。
戦争は時として必要悪かもしれません。
しかし、どんなに必要だろうと、それは常に悪であり、決して善ではないのです。
War may sometimes be a necessary evil.
But no matter how necessary, it is always an evil, never a good.
カーターは、大統領を退任した後に”元アメリカ大統領”という肩書きで世界平和に尽力しました。
その活動が認められて『ノーベル平和賞』を受賞したので、世界的に知名度のある大統領ですよね。
第40代大統領:ロナルド・ウィルソン・レーガンの名言
1911年2月6日~2004年6月5日(93歳)
レーガンはアナウンサーや俳優として活動するテレビタレントでしたが、1962年から政界へ進出し、カリフォルニア州知事も勤めます。
そして1980年に「強いアメリカ」を打ち出して、大統領選で勝利しました。
ゴルバチョフ書記長、この門を開けよ!そしてこの壁を解体せよ!
Mr. Gorbachev, open this gate! Mr. Gorbachev, tear down this wall!
これは東西冷戦の象徴であった『ベルリンの壁』について語った名言です。
このスピーチの2年後である1989年に『ベルリンの壁』は解体されました。