
アメリカといえば『世界をリードする超大国』ですが、その国を率いているリーダーがアメリカ大統領です。
- アメリカ大統領とはどのような経歴なのか?
- どのような野心を持っていたのか?
- どのようにしてアメリカ大統領まで上り詰めたのか?
など、とても気になりますよね。
そこで今回は、アメリカ大統領の名言集をまとめてみました。
アメリカ大統領の言葉を知ることは歴史の勉強だけでなく、その考え方は自分自身のキャリアにもきっと役立つはずです。
ビジネスパーソンの基礎知識としてぜひご覧ください!
目次
- 1 アメリカ大統領の名言集まとめ
- 1.1 第1代(初代)大統領:ジョージ・ワシントンの名言
- 1.2 第2代大統領:ジョン・アダムスの名言
- 1.3 第3代大統領:トーマス・ジェファーソンの名言
- 1.4 第4代大統領:ジェームズ・マディソンの名言
- 1.5 第5代大統領:ジェームズ・モンローの名言
- 1.6 第6代大統領:ジョン・クインシー・アダムスの名言
- 1.7 第7代大統領:アンドリュー・ジャクソンの名言
- 1.8 第8代大統領:マーティン・ヴァン・ビューレンの名言
- 1.9 第9代大統領:ウィリアム・ヘンリー・ハリソンの名言
- 1.10 第10代大統領:ジョン・タイラーの名言
- 1.11 第11代大統領:ジェームズ・ノックス・ポークの名言
- 1.12 第12代大統領:ザカリー・テイラーの名言
- 1.13 第13代大統領:ミラード・フィルモアの名言
- 1.14 第14代大統領:フランクリン・ピアーズの名言
- 1.15 第15代大統領:ジェームズ・ブキャナンの名言
- 1.16 第16代大統領:エイブラハム・リンカーンの名言
- 1.17 第17代大統領:アンドリュー・ジョンソンの名言
- 1.18 第18代大統領:ユリシーズ・シンプソン・グラントの名言
- 1.19 第19代大統領:ラザフォード・バーチャード・ヘイズの名言
- 1.20 第20代大統領:ジェームズ・エイブラム・ガーフィールドの名言
- 1.21 第21代大統領:チェスター・アラン・アーサーの名言
- 1.22 第22代、第24代大統領:グローバー・クリーヴランドの名言
- 1.23 第23代大統領:ベンジャミン・ハリソンの名言
- 1.24 第25代大統領:ウィリアム・マッキンリーの名言
- 1.25 第26代大統領:セオドア・ルーズベルトの名言
- 1.26 第27代大統領:ウィリアム・ハワード・タフトの名言
- 1.27 第28代大統領:トーマス・ウッドロウ・ウィルソンの名言
- 1.28 第29代大統領:ウォレン・ガマリエル・ハーディングの名言
- 1.29 第30代大統領:カルヴィン・クーリッジの名言
- 1.30 第31代大統領:ハーバート・クラーク・フーヴァーの名言
- 1.31 第32代大統領:フランクリン・デラーノ・ルーズベルトの名言
- 1.32 第33代大統領:ハリー・S・トルーマンの名言
- 1.33 第34代大統領:ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワーの名言
- 1.34 第35代大統領:ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの名言
- 1.35 第36代大統領:リンドン・ベインズ・ジョンソンの名言
- 1.36 第37代大統領:リチャード・ミルハウス・ニクソンの名言
- 1.37 第38代大統領:ジェラルド・ルドルフ・フォードの名言
- 1.38 第39代大統領:ジェームズ・アール・カーター(ジミー・カーター)の名言
- 1.39 第40代大統領:ロナルド・ウィルソン・レーガンの名言
- 1.40 第41代大統領:ジョージ・H・W・ブッシュの名言
- 1.41 第42代大統領:ウィリアム・ジェファーソン・クリントンの名言
- 1.42 第43代大統領:ジョージ・W・ブッシュの名言
- 1.43 第44代大統領:バラク・フセイン・オバマの名言
- 2 まとめ
アメリカ大統領の名言集まとめ
ここからアメリカ大統領の名言をご紹介していきたいと思います。
第1代大統領~第44代大統領までのアメリカ大統領を完全網羅しているので、少し長いですがぜひ最後までご覧ください!
第1代(初代)大統領:ジョージ・ワシントンの名言
1732年2月22日~1799年12月14日(67歳)
アメリカ合衆国の初代大統領である『ジョージ・ワシントン』は誰でも知っていますよね。
アメリカの紙幣にも印刷されている人物なので、その顔を見たことがある人も多いはずです。
ジョージ・ワシントンは、肩書きの通り「アメリカ建国の父」と呼ばれている偉人です。
知識は人々の幸福の基盤である。
Knowledge is in every country the surest basis of public happiness.
『建国の父』らしく、教育について語った名言です。
国を豊かにするためには、何よりも教育が大切だとジョージ・ワシントンは語りました。
第2代大統領:ジョン・アダムスの名言
1735年10月30日~1826年7月4日(90歳)
アダムスはハーバード大学を卒業後、ボストンで弁護士として開業し、その後マサチューセッツの議員となります。
ジョージ・ワシントン政権では副大統領を務めていましたが、1797年に大統領に就任します。
アダムスはジョージ・ワシントンと共に「アメリカ建国の父」の一人とされています。
アメリカ人は、恐怖を基盤としたいかなる政治制度も認めないだろう。
Americans will not be likely to approve of any political institution which is founded on it.
アメリカは『独立戦争で自由を勝ち取った』という過去があるため、元々自由を求める国民性があります。
恐怖で支配する政治は長続きしませんが、それは会社経営も同じですよね。
圧力をかけるのではなく、丁寧なコミュニケーションを心掛けましょう!
第3代大統領:トーマス・ジェファーソンの名言
1743年4月13日~1826年7月4日(83歳)
ヴァージニア大学を卒業後、1769年に弁護士となり、ヴァージニア植民地の下院議員になりました。
アメリカ独立宣言の起草者として活躍し、ヴァージニアの知事、ワシントン政権下の国務長官、アダムズ政権下の副大統領を経て、アメリカ大統領に就任しました。
全ての人間は平等に創造され、創造主によって生命、自由、幸福の追求といった奪うことのできない権利を授けられた存在であることは、自明の真理である。
We hold these Truths to be self-evident, that all Man are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the Pursuit of Happiness.
これはトーマス・ジェファーソンが起草した”アメリカ独立宣言”に書かれている一節です。
アメリカ国民の基本思想とも言える一文なので、アメリカ人であれば誰でも知っているほど有名な言葉だそうです。
第4代大統領:ジェームズ・マディソンの名言
1751年3月16日~1836年6月28日(85歳)
裕福な農園に生まれたジェームズ・マディソンは、現在のプリンストン大学に進学し、弁護士になります。
1787年には合衆国憲法制定会議で憲法草案を起草したことから「憲法の父」と呼ばれています。
十分な教育を受けた人間だけが、永遠に自由でいられる。
A well-instructed people alone can be permanently a free people.
初代大統領のジョージ・ワシントンも『教育』について触れていましたよね。
成功するために「知識」というのは、非常に重要なファクターなのだと思います。
第5代大統領:ジェームズ・モンローの名言
1758年4月28日~1831年7月4日(73歳)
ジェームズ・モンローは第3代大統領であるトーマス・ジェファーソンのもとで法律を学び、弁護士として開業します。
その後に州議会議員、大陸会議代表、上院議員を経て、フランス大使に任命されます。
フランス大使の時には、フランスからルイジアナを購入し、アメリカ領土の拡大に貢献しました。
戦争に備えるということは、常に疑念と敵意を鼓舞しているということである。
Preparation for war is a constant stimulus to suspicion and ill will.
準備することは大切ですが、過剰な備えは”余計な火種”になるということですね。
これは政治を舵取りする難しさを語った名言だと思います。
第6代大統領:ジョン・クインシー・アダムスの名言
1767年7月11日~1848年2月23日(80歳)
アダムスはハーバード大学で法律を学び、弁護士業を開業します。
その後、ワシントン大統領から駐オランダ大使に任命されたのきっかけに、外交官として活躍します。
第5代大統領であるジェームズ・モンローの頃には、国務長官としてフロリダをアメリカ領土にしました。
アメリカは、破壊すべき怪物を求めて海外に出ることはしない。
America does not go abroad in search of monsters to destroy.
これは外交官として活躍していたジョン・クインシー・アダムスらしい名言ですよね。
第7代大統領:アンドリュー・ジャクソンの名言
1767年3月15日~1845年6月8日(78歳)
アンドリュー・ジャクソンは幼い頃に父親と母親を亡くし、兄弟も戦争で無くしたため、小さい頃(10歳頃)から身寄りがいない”天涯孤独”の状態でした。
そのような環境だった為、公的な教育をほとんど受けることができず、それでも独学で法律を勉強し、見事に20歳で弁護士となります。
その後に下院議員、上院議員、州最高判事などを務めて、南部出身初の大統領となります。
政府に必要悪はない。
There are no necessary evils in government.
アンドリュー・ジャクソンは叩き上げの努力家なので、特権階級の保護を無くし、平等な社会を実現しようと尽力しました。
やはり政治家にはこのような信念が必要なのだと思います。
第8代大統領:マーティン・ヴァン・ビューレンの名言
1782年12月5日~1862年7月24日(79歳)
ビューレンは法律を学び、21歳で弁護士になった後、ニューヨーク州議会議員、ニューヨーク州知事などを歴任し、アンドリュー・ジャクソン政権では国務長官や副大統領を務めます。
その後、アンドリュー・ジャクソンの後押しで大統領に就任しました。
彼らは民間の仕事に政府が介入しなければしないほど、全体的な繁栄のためには良いと、懸命にも判断したのである。
They wisely judged that the less government interferes with private pursuits, the better for the general prosperity.
マーティン・ヴァン・ビューレンが大統領に就任して、すぐにアメリカ初の大恐慌が訪れます。
誰も経験したことがない難しい舵取りをすることになりますが、マーティン・ヴァン・ビューレンは市場経済に委ねる判断をしたのです。
第9代大統領:ウィリアム・ヘンリー・ハリソンの名言
1773年2月9日~1841年4月4日(68歳)
ヴァージニア植民地屈指の名家と言われる「ハリソン家」に生まれて、1800年にはインディアナ・テリトリーの初代知事に任命されます。
その後、下院議員、上院議員を勤め上げ、アメリカ大統領に就任します。
1つの州が別の州の制度を管理しようとすれば、それは不信や妬みの感情を招き、国の分裂、暴力、内戦への確かな伏線となり、自由な制度を決定的に破壊させる結果となる。
The attempt of those of one state to control the domestic institutions of another can only result in feelings of distrust and jealousy, the certain harbingers of disunion, violence, and civil war, and the ultimate destruction of our free institutions.
アメリカでは奴隷制を巡って、奴隷存続を望む南部と、奴隷制廃止を望む北部が対立していました。
それが結果的に南北戦争を引き起こすのですが、その事態を予言させるような名言ですよね。
第10代大統領:ジョン・タイラーの名言
1790年3月29日~1862年1月18日(71歳)
ジョン・タイラーは、たった12歳でウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、17歳で卒業するような神童でした。
その後に弁護士の資格を取り、若干21歳でヴァージニア州議会議員になります。
ウィリアム・ヘンリー・ハリソン政権では副大統領を務めていましたが、大統領が急逝したため、繰り上げで大統領に就任します。
今、私はほとんど休息を与えてくれることになかった、この針のむしろを去り、田舎の静かな暮らしで得られるやすらぎを心から求めている。
I now leave that bed which has afforded me little rest, and eagerly seek repose in the quite enjoyments of rural life.
やはり大統領職は激務だったようで、この言葉はその役職から離れる際にジョン・タイラーが語った名言です。
第11代大統領:ジェームズ・ノックス・ポークの名言
1795年11月2日~1849年6月15日(53歳)
ジェームズ・ノックス・ポークは貧しい農家に生まれましたが、頑張って勉強してノースカロライナ大学へ入学した後、卒業して弁護士になります。
ジャクソン元大統領に認められて政界入りした後は、様々な下積みを経て、1844年に当時最年少(49歳)の大統領となります。
憲法の重要な目的の一つは、多数派が少数派を抑圧し、その権利を侵害することを抑制することにある。
One great object of the Constitution was to restrain majorities from oppressing minorities or encroaching upon their just rights.
ルールとは、何か目的があって定められるものです。
それをみんなが守ることで円滑なコミュニケーションが担保され、平穏な日常を得ることができるのです。
第12代大統領:ザカリー・テイラーの名言
1784年11月24日~1850年7月9日(65歳)
これまでの大統領は弁護士出身が多かったのですが、ザカリー・テイラーは24歳で陸軍に入隊した軍事畑の人間です。
様々な戦争で功績を残し、国民的英雄になったので、政界へ進出して、初の職業軍人出身大統領となりました。
私は常に職責を全うしてきた。
死ぬ準備はできている。
I have always done my duty.
I am ready to die.
これはザカリー・テイラーが死ぬ直前に語った名言だと言われています。
人間には必ず”死”が訪れるので、その時に後悔しないようにしましょう!
第13代大統領:ミラード・フィルモアの名言
1800年1月7日~1874年3月8日(74歳)
貧しい農家に生まれますが、頑張って勉強し、23歳で弁護士となります。
28歳で州議会議員になり、その後下院議員に当選、テイラー政権の副大統領にまで上り詰めます。
しかしザカリー・テイラー大統領が亡くなった為、昇格して大統領に就任しました。
私は思慮深く頭脳明晰な最高位の将軍の指揮のもと、しかるべき海軍を日本に送るように命じざるを得ない。
I have accordingly been led to order an appropriate naval force to Japan, under the command of a discreet and intelligent officer of the highest rank known to our service.
これはペリー提督を日本に派遣することを示唆した名言です。
黒船が来たことによって、日本は開国へと踏み切ります。
まさに歴史を動かした人物の言葉ですよね。
第14代大統領:フランクリン・ピアーズの名言
1804年11月23日~1869年10月8日(64歳)
ピアーズは父親が州知事という裕福な家庭で育ち、ボードウィン大学では法律を専攻して、卒業後に弁護士となります。
当時史上最年少の33歳で上院議員に選出され、1852年に大統領となりました。
我々の大陸にある隣国とは、誠意を持って友愛の関係を育んでいくべきだ。
With the neighboring nations upon our continent we should cultivate kindly and fraternal relations.
フランクリン・ピアーズはメキシコ戦争に参加していたので、隣国との関係性を重視していたそうです。
第15代大統領:ジェームズ・ブキャナンの名言
1791年4月23日~1868年6月1日(77歳)
ディキンソン大学を卒業後に弁護士となりますが、1812年の米英戦争を経験することになります。
議員になった後は、ピアーズ政権の英国担当大臣を勤め上げ、大統領に就任します。
我が国の現在の財政状況がどれほどひどいものであろうと、我々は未来に向けた輝かしい希望を持つだろう。
Deplorable, however, as may be our financial condition, we may yet indulge in bright hopes for the future.
ネガティブに考えるよりは、何事もポジティブ思考の方が良いと思います。
多少”楽観主義”くらいの方が丁度良いのでしょう。
第16代大統領:エイブラハム・リンカーンの名言
1809年2月12日~1865年4月15日(56歳)
エイブラハム・リンカーンという名前は、誰でも知っていますよね。
リンカーンは雑貨店などを経営する商人でしたが、民主・ホイッグ党の連立候補として擁立され、下院選挙で初当選します。
その後に勉強して弁護士資格を取得するのですが、選挙では再選できずに失敗します。
しかし奴隷制拡大の機運が高まっていることに危惧し、再び政界へと復帰し、奴隷解放へと動いたのです。
神のもと、この国に新たなる自由が誕生し、人民の、人民による、人民のための政治がこの地上から消滅することはないだろう。
under God, shall have a new birth of freedom and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from this earth.
これはアメリカ人のみならず、世界中の人が知っている名言ですよね。
ちなみにこの言葉は、南北戦争の激戦地であるゲティスバーグで行われた戦死者を追悼する際の演説でした。
第17代大統領:アンドリュー・ジョンソンの名言
1808年12月29日~1875年7月31日(66歳)
アンドリュー・ジョンソンの家はとても貧しかったので、まともに学校へ行くことができませんでした。
なので、読み書きは結婚した妻から教わったと言われています。
そのような努力が実って、20歳で市議会議員となり、45歳でテネシー州の知事、49歳で連邦上院議員となりますが、リンカーンに気に入られて副大統領に抜擢されます。
その後のリンカーン暗殺に伴い、大統領に昇格しました。
我々が目指す目標は、政府は貧しくとも人々が豊かであることだ。
The goal to strive for is a poor government but a rich people.
貧しい家庭で育ったアンドリュー・ジョンソンならではの言葉だと思います。
第18代大統領:ユリシーズ・シンプソン・グラントの名言
1822年4月27日~1885年7月23日(63歳)
グラントは、ニューヨーク州の陸軍士官学校を卒業後、メキシコ戦争へ参加します。
その後も南北戦争に参加するなど、たくさんの功績を上げた為、北軍の総司令官に任命されたのですが、南軍のリー将軍を破って南北戦争を終結させました。
どんな戦いにも、両者が「負けた」と思う時が訪れる。
そこから攻撃を続けたものが勝利するのだ。
In every battle, there comes a time when both sides consider themselves beaten, Then he who continues the attack wins.
これは戦争に限らず、人生の格言にできると思います。
第19代大統領:ラザフォード・バーチャード・ヘイズの名言
1822年10月4日~1893年1月17日(70歳)
ヘイズはハーバード大学のロースクールを卒業した後、弁護士業を始めます。
その後に軍隊へ入隊し、南北戦争を戦った後、下院議員、オハイオ州知事を経て、アメリカ大統領となりました。
私は大統領として、執務室の政治家にも、報道陣にも、そして議会でも好かれてはいない。
I am not liked as a president by the politicians in office, in the press, or in congress.
ヘイズは信念の強い政治家だったので、最初から2期目に立候補しないことを宣言し、国民のために断固とした政策実行を推し進めました。
もしそのような姿勢を国民が支持しないのであれば、「自分はいつでも潔く受け入れる準備がある」と語ったのです。
第20代大統領:ジェームズ・エイブラム・ガーフィールドの名言
1831年11月19日~1881年9月19日(49歳)
ガーフィールドは勉強熱心だったので、ハイラム大学の教授となり、そこの学長まで務めます。
その後、アメリカ大統領に就任しますが、その任期は約半年と短いものでした。
額に皺が刻まれるのが避けられないとしても、心に皺を刻まないようにしよう。
If wrinkles must be written on our brows, let them not be written upon the heart.
いつまでも精神を若々しい状態にしておけば、色々なことにチャレンジできます。
これはそのような姿勢を保つように進言した名言です。
第21代大統領:チェスター・アラン・アーサーの名言
1829年10月5日~1886年11月18日(57歳)
チェスター・アラン・アーサーは、ニューヨークのユニオン大学を卒業後に弁護士業を開始しましたが、南北戦争では北軍の主計総監を務めて、戦争後はニューヨーク税関長になります。
そのような実績を買われて副大統領候補に指名されますが、ガーフィールド大統領が急死したため、ほとんど政治経験がないままアメリカ大統領に就任しました。
模範となる公務員を構成する特徴は非常に多い。
There are very many characteristics which go into making a model civil servant.
チェスター・アラン・アーサーは、大統領就任後に”公務員任用制度改革”へと着手し、連邦公務員法(ペルドルトン法)を成立させます。
これはチェスター・アラン・アーサーが行った政治実績の中で、最も大きな功績だと言われています。
第22代、第24代大統領:グローバー・クリーヴランドの名言
1837年3月18日~1908年6月24日(71歳)
クリーヴランドは法律を学んで弁護士になった後、地方検事補、保安官などを経て、バッファロー市長に就任すると、その政治手腕を駆られて翌年にはニューヨーク州知事となります。
その後にアメリカ大統領となりますが、連続しない二期を務めた唯一の大統領となりました。
公職とは大衆の信頼である。
A public office is a public trust.
これはグローバー・クリーヴランドの選挙用スローガンです。
実際にクリーヴランドは、公平公正な政治家でした。
第23代大統領:ベンジャミン・ハリソンの名言
1833年8月20日~1901年3月13日(67歳)
マイアミ大学を卒業後、法律を学んで弁護士となります。
1880年に連邦上院議員に当選すると、共和党から指名を受けて大統領にまで上り詰めます。
ハリソンは高い教育を受けていたので、とても演説が上手だと言われています。
我々アメリカ人は、神から世界の治安を維持せよとの指令は受けていない。
We Americans have no commission from God to police the world.
今でこそ「世界の警察」と呼ばれるアメリカですが、このような時代もあったみたいですね。
第25代大統領:ウィリアム・マッキンリーの名言
1843年1月29日~1901年9月14日(58歳)
ペンシルベニアのアレガニー大学を卒業後、法律を学んで弁護士として開業します。
下員議員に当選した後、保護関税法であるマッキンリー関税法を成立させ、その政治手腕が認められたので、1891年にはオハイオ州知事、1897年にはアメリカ大統領に就任します。
我々は、カリフォルニア併合の時よりさらにハワイを必要としている。
We need Hawaii just as much and a good deal more than we did California.
ウィリアム・マッキンリーは、外交でキューバ独立やハワイ併合を実現するなど、素晴らしい実績を残しましたが、1901年無政府主義者によって暗殺されました。
第26代大統領:セオドア・ルーズベルトの名言
1858年10月27~1919年1月6日(60歳)
ハーバード大学を卒業した後、コロンビア大学で法律を勉強し、ニューヨーク州議会議員に選出されます。
1899年にニューヨーク州知事、1900年には副大統領、マッキンリー大統領暗殺によって史上最年少の42歳で大統領に昇格します。
理想においては、寛大であると同時に現実的であれ。
Be practical as well as generous in your ideals.
これはつまり「夢はでっかく」ということですが、それと同時に「足は地につけるように」と諭しています。
第27代大統領:ウィリアム・ハワード・タフトの名言
タフトはイェール大学を卒業後、州最高裁判所判事になります。
フィリピン総督や陸軍長官を務めた後、共和党から指名されて大統領選で勝利します。
私を指名しようとする政党は大きな過ちを犯すことになるだろう。
Any party which world nominate me a great mistake.
タフトには野心がなかったので、大統領になる気はさらさら無かったみたいですね。
大統領退任後は大学で教鞭を取ったり、なくなる直前まで連邦最高裁判所長官として務めていたので、どうやら元々法曹界の仕事を全うしたいと感じていたようです。
第28代大統領:トーマス・ウッドロウ・ウィルソンの名言
1856年12月28日~1924年2月3日(67歳)
入学したプリンストン大学では歴史と政治を学び、その後に入学したヴァージニア大学で法律を学びました。
1890年にプリンストン大学の教授になったのですが、1902年には学長に就任します。
学長を退任してからは、ニュージャージ州知事となり、3年後にアメリカ大統領となりました。
世界は民主主義が存在できる環境でなければならない。
The world must be made safe for democracy.
ウィルソンが大統領だった1914年には第一次世界大戦が勃発します。
この言葉は、アメリカが戦争へ参戦するために議会を説得したウィルソンの歴史的演説の一節です。
第29代大統領:ウォレン・ガマリエル・ハーディングの名言
1865年11月2日~1923年8月2日(57歳)
ハーディングは、オハイオ・セントラル大学を卒業後、新聞社を買い取って経営者となります。
その後にオハイオ州上院議員や副知事を経て、連邦上院議員になった後、アメリカ大統領となりました。
政府が自分たちに何をしてくれるかについては不安にならず、自分たちが国のために何ができるかをより気にかけよう。
市民のあり方はこうあるべきだ。
We must have a citizenship less concerned about what the government can do for it and more anxious about what it can do for the nation.
戦争に疲れた国民に対して「平常への復帰」を掲げたハーディングは、大統領選で圧勝しました。
第30代大統領:カルヴィン・クーリッジの名言
1872年7月4日~1933年1月5日(60歳)
クーリッジはアマースト大学卒業した後、弁護士として活動します。
その後に市議会議員や市長、上院議長、州副知事、州知事などを歴任して、ハーディング政権の副大統領にまで上り詰めますが、大統領が亡くなったため繰り上げ昇格となりました。
全ての成長は行動することにかかっている。
All growth depends upon activity.
短い言葉ですが、成功体験のある人物の格言として重みがありますよね。
第31代大統領:ハーバート・クラーク・フーヴァーの名言
1874年8月10日~1964年10月20日(90歳)
フーヴァーはスタンフォード大学を卒業した後、ビジネスで財を築きます。
しかしその後、第一次世界大戦が勃発し、ウィルソン大統領から食料庁長官に任命され、政治手腕を発揮したため、大統領まで上り詰めました。
政府の持つ唯一の機能は、民間企業の有益な発展にとって好ましい状況をもたらすことである。
The sole function of government is to bring about a condition of affairs favorable to the beneficial development of private enterprise.
「全ての鍋にチキンを」というスローガンで大統領に当選したフーヴァーでしたが、就任7ヶ月後には大恐慌に見舞われ、人気が急落しました。
特に有益な策を打てたわけではありませんが、民間の力を引っ張り出すことに注力したそうです。
第32代大統領:フランクリン・デラーノ・ルーズベルトの名言
1882年1月30日~1945年4月12日(63歳)
ルーズベルトはハーバード大学を卒業してから法律事務所で働きますが、その後に政界進出し、ニューヨーク州知事となります。
アメリカ大統領選では、誰もが知っている”ニューディール政策”を掲げて勝利します。
アメリカ国民のため新規巻き直し(ニューディール政策)に我々の身を捧げよう。
I pledge you, I pledge myself, to a new deal for the American people.
フランクリン・デラーノ・ルーズベルトといえば、『ニューディール政策』ですよね。
これは雇用創出して、経済を回復させる施策なので、不況時のアメリカ国民から支持されたのです。
第33代大統領:ハリー・S・トルーマンの名言
1884年5月8日~1972年12月26日(88歳)
トルーマンは高校卒業後に銀行へ勤めますが、1922年にジャクソン郡の判事に選出されたことをきっかけに、1934年にはミズーリ州の上院議員となります。
その後は副大統領まで上り詰めますが、ルーズベルト大統領が急死したため、繰り上げで大統領に就任しました。
責任は私が取る。
I buck stops here.
これはトルーマンの信条として知られている言葉です。
トルーマンは、大統領デスクの上にいつもこの言葉を掘った”プレート”を置いていたそうです。
第34代大統領:ドワイト・デイヴィッド・アイゼンハワーの名言
1890年10月14日~1969年3月28日(78歳)
アイゼンハワーは高校卒業後、陸軍士官学校へ入学し、軍人としての道を歩き始めます。
第二次世界大戦では連合軍総司令官としてノルマンディー上陸作戦を成功させるなど活躍しますが、退役後はコロンビア大学の学長を務めていました。
しかしトルーマンの要請で北大西洋条約機構(NATO)軍の最高司令官になり、大統領選へ出馬することになり、勝利を収めました。
軍産複合体が、意図的なものであろうとなかろうと、不当な影響力を獲得することに用心しなければならない。
We must guard against the acquisition of unwarranted influence, whether sought or unsought, by the military industrial complex.
アイゼンハワーは軍人出身だったので、軍産複合体の危険性について、いち早く気づいていたようです。
軍産複合体(ぐんさんふくごうたい、Military-industrial complex, MIC)とは、軍需産業を中心とした私企業と軍隊、および政府機関が形成する政治的・経済的・軍事的な勢力の連合体を指す概念である。
第35代大統領:ジョン・フィッツジェラルド・ケネディの名言
1917年5月29日~1963年11月22日(46歳)
ケネディは父親が実業家という裕福な家庭に生まれて、ハーバード大学へ入学します。
卒業後は海軍へ入隊しますが、下院議員や上院議員を経て、43歳という若さでアメリカ大統領に就任しますが、1963年に遊説先のダラスで暗殺されました。
再選されたら、CIAを粉々に砕き、風に向かって撒き散らしてやる。
After I am re-elected I will smash the CIA into a thousand pieces, and scatter them to the wind.
JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ)と言えばダラスでの”暗殺事件”が有名ですよね。
夫人と車に乗っているところを狙撃された映像は、とても衝撃的でしたが、かねてからJFKとCIAは不仲説が噂されていたので、この暗殺にCIAが関与したとか、しないとか…
ケネディが就任してすぐにキューバ危機が起こったので、それを収めるためにケネディが指示してCIAが秘密裏に動いたのですが、その作戦が完全に失敗した為、保身の為にケネディはCIAに責任を押し付けて長官と副長官をクビにしたのです。
ケネディ暗殺にCIAが関与したかどうかは分かりませんが、真相は未だに謎のままです。
第36代大統領:リンドン・ベインズ・ジョンソンの名言
1908年8月27日~1973年1月22日(64歳)
ジョンソンは教育大学を卒業した後に教員として働いていましたが、ルーズベルト大統領の『ニューディール政策』に大変共感し、政界入ります。
ケネディ大統領との戦いでは敗れますが、副大統領に指名された為、JFKの暗殺で繰り上げ大統領となりました。
戦争について思い煩い、真夜中に目を覚ますことにもううんざりだ。
I'm tired of waking up in the middle of the night worrying about the war.
この言葉に出てくる「the war」はベトナム戦争を指しています。
ジョンソン大統領は、ベトナム戦争を拡大させましたが、成果を出すことができず、その座から退くことになりました。
第37代大統領:リチャード・ミルハウス・ニクソンの名言
1913年1月9日~1994年4月22日(81歳)
ニクソンはデューク大学のロースクールに進んで法律を学んだ後、政界へと進出します。
その後に39歳という若さで副大統領となり、1968年の大統領選で勝利します。
ニクソンは泥沼化していたベトナム戦争を終結させた実績を残しましたが、ウォーターゲート事件で辞任しました。
人々は、自分たちの大統領が詐欺師かどうか知るべきだ。
People have got to know whether or not their president is a crook.
これはウォーターゲート事件について聞かれた時、ニクソンが記者会見で答えた発言です。
ウォーターゲート事件とは?
1972年の大統領選挙運動期間中に、ワシントンのウォーターゲートビルの民主党本部に盗聴器が仕掛けられた事件が発生した。共和党側が仕掛けたことが判明、1974年にはついにニクソン大統領自身の関与が明らかになり、議会での大統領弾劾裁判開始が決まった。それをうけて1974年8月、ニクソン大統領が任期途中で辞任し、副大統領フォードが昇格した。
この事件によって、ニクソンは「任期中に辞任にした唯一のアメリカ大統領」となりました。
第38代大統領:ジェラルド・ルドルフ・フォードの名言
1913年7月14日~2006年12月26日(93歳)
フォードはイェール大学のロースクールで法律を学んだ後、弁護士業を開業します。
1948年下院議員になり、副大統領となりますが、ニクソン大統領が辞任したため、繰り上げでアメリカ大統領となりました。
アメリカ国民の皆さん、我が国の長い悪夢は終わりました。
My fellow Americans, our long national nightmare is over.
これはフォード大統領の就任演説です。
期待感のある名言ですが、フォード大統領はその期待ほどの成果が残せなかったようです。
第39代大統領:ジェームズ・アール・カーター(ジミー・カーター)の名言
1924年10月1日~
カーターは海軍軍人として活躍した後、ピーナッツ栽培農家の経営者となりますが、政界へ進出してジョージア州知事となります。
その後、民主党の新人として大統領に立候補し、現職のフォードに勝利しました。
戦争は時として必要悪かもしれません。
しかし、どんなに必要だろうと、それは常に悪であり、決して善ではないのです。
War may sometimes be a necessary evil.
But no matter how necessary, it is always an evil, never a good.
カーターは、大統領を退任した後に”元アメリカ大統領”という肩書きで世界平和に尽力しました。
その活動が認められて『ノーベル平和賞』を受賞したので、世界的に知名度のある大統領ですよね。
第40代大統領:ロナルド・ウィルソン・レーガンの名言
1911年2月6日~2004年6月5日(93歳)
レーガンはアナウンサーや俳優として活動するテレビタレントでしたが、1962年から政界へ進出し、カリフォルニア州知事も勤めます。
そして1980年に「強いアメリカ」を打ち出して、大統領選で勝利しました。
ゴルバチョフ書記長、この門を開けよ!そしてこの壁を解体せよ!
Mr. Gorbachev, open this gate! Mr. Gorbachev, tear down this wall!
これは東西冷戦の象徴であった『ベルリンの壁』について語った名言です。
このスピーチの2年後である1989年に『ベルリンの壁』は解体されました。
第41代大統領:ジョージ・H・W・ブッシュの名言
1924年6月12日~2018年11月30日(94歳)
ブッシュはイェール大学を卒業後、テキサス州に移り、石油ビジネスで財を築きます。
その後に政界進出しますが、国連大使やCIA長官、副大統領を務め、1989年に大統領就任となりました。
2世紀の間、我々は自由のための困難な仕事をしてきた。
For two centuries we have done the hard work of freedom.
アメリカという国が出来上がってから2世紀経っていましたが、ブッシュ大統領は「私がアメリカを完成させる」と言いました。
どうやら”リーダーシップ”を強調したかったようです。
第42代大統領:ウィリアム・ジェファーソン・クリントンの名言
1946年8月19日~
クリントンはイェール大学のロースクールで法学博士号を取得した後、アーカンソー州司法長官になり、1978年にはアーカンソー州知事になります。
そして1992年の大統領選で当選しました。
夫人のヒラリー・クリントンも政治家として有名ですよね。
時代の変化とともに、政府も変わらなければならない。
As times change, so governments must change.
周辺環境は変化しているので、それに合わせて常に自分も変化する必要があります。
恐れずに変化していきましょう!
第43代大統領:ジョージ・W・ブッシュの名言
1946年7月6日~
父親は第41代アメリカ大統領なので、いわゆる由緒正しき政治家の家系出身の人物です。
ハーバード大学でMBA(経営学修士)を取得した後、父親と同じ石油ビジネスに参入しますが、父親のように成功することができず、ブッシュJr.は失敗します。
その後は政界へ進出し、1994年テキサス州の知事に当選、2000年には大統領選に出馬し見事当選を果たしました。
アメリカは使命を負った国である。
America is a nation with a mission.
アメリカは世界一の大国なので、それ相応の責任感があると語ったのです。
第44代大統領:バラク・フセイン・オバマの名言
1961年8月4日~
バラク・オバマは、ハワイ州ホノルル出身の人物です。
ハーバード大学のロースクールに入学し、1997年にはイリノイ州の上院議員を務めます。
そして2008年のアメリカ大統領選で当選し、アフリカ系アメリカ人初の大統領となりました。
私たちはできる。
Yes, we can.
オバマ大統領といえば、このキャッチフレーズですよね。
元々は「私たちは勝てる」という意味で使われていた言葉みたいですが、その意味が当選後に変化したようです。
まとめ
ここまで歴代アメリカ大統領たちが残した名言をご紹介してきました。
アメリカという国は比較的新しい国なのですが、その存在感は”世界一”と言っても過言ではないと思います。
その大国を率いているリーダーたちの言葉や考え方は、グローバルな視点を持つために必要不可欠でしょう。
オバマ大統領の次の第45代アメリカ合衆国大統領にになった人物といえばドナルド・トランプですよね。
トランプ元大統領の名言は下の記事にまとめているので、ぜひご覧ください。