私たちはラテンアメリカの皆さんを歓迎します。
どうか私たちの生活や文化を豊かにしてください。
皆さんの国の文学や歴史、伝統を教えてください。
私たちは皆さんの国の音楽や芸術や哲学を学びたいのです。
これはケネディの政治的スタンスが理解できる名言だと思います。
ケネディ大統領はアメリカ社会に根強く残っていた”人種差別”と戦い抜きました。
そして1963年6月11日に公民権法案を提出し、『1964年公民権法』を成立させるに至ったのですが、ケネディ大統領は1963年11月22日に暗殺されたので、その成立を見ることはありませんでした。
『1964年公民権法』とは?
1960年代のアメリカ黒人の公民権運動が盛り上がり、ケネディ大統領が政策として進め、その暗殺後、ジョンソン大統領の時の1964年に制定された総合的な黒人差別を無くす立法措置。とくに選挙権登録での読み書きテストを禁止して選挙権制限をなくし、平等な人権を保障した。
私たちが求めているのは、これまでなかったものを夢見ることができる人々です。
これは人々が求める”リーダー像”を言語化した名言です。
ビジネスリーダーを目指す人は覚えておきましょう!
私たちはこの時代を人類史上最高のものにすることも、人類史上最後のものにすることもできるのです。
自らの努力次第で、人生はどうにでも変えられます。
そんなことを言い表した名言だと思います。
あばら家の集落に住む地球半分の人々、悲惨の鎖から解放されようと苦しんでいる人々に対して、私たちは全力で彼らの自立を助けることを誓います。
ケネディにとって『貧困層の支援』というのは、最も大きな政治テーマの一つでした。
なぜかといえば、自由主義社会は共産主義社会と対立しているからです。
共産主義社会は”貧困層の救済”を目的とした仕組みなので、ケネディは「そもそも貧困層をなくせば共産主義は生まれない」と考えたのです。
交渉することを恐れてはなりません。
ケネディが意識したのは東西冷戦の相手である”ソビエト連邦”ですが、これは何事にも当てはまる言葉だと思います。
試みるのに早すぎるということはないし、対話するのに遅すぎるということもないのです。
何事にも『チャレンジしてみる』ことが重要なのだと思います。
私たちがいま第一歩を踏み出したと歴史に書かせようではありませんか。
視野が広くて、面白い表現の言葉ですよね。
このようなリーダーに人間はついて行きたくなるのだと思います。
私たちは平和を求めますが、自由は放棄しません。
ケネディ大統領の功績といえばキューバ危機の回避ですよね
軍部の強硬派がキューバへの奇襲攻撃を提言したのに対して、それではアメリカとソ連が全面戦争に突入するという理由から、ケネディ大統領は”海上封鎖”の実施を決断しました。
その結果、フルシチョフがキューバのミサイル基地撤去に同意して、キューバ危機は終結となったのです。
キューバ危機とは?
1962年、キューバでのソ連ミサイル基地建設をめぐって米ソが激しく対立した事件。 米国の海上封鎖にソ連が譲歩してミサイルを撤去し、衝突は回避されました。
この時、もしケネディ大統領が判断を誤っていたら、アメリカとソ連は「核戦争に突入していた可能性が高い」と言われています。
この非常事態を上手く回避した功績は大きいと思います。
ここで安心して休んではいられません。
ここは丘の中腹であって、頂上ではないのです。
満足した瞬間に、人間の成長は止まります。
常に向上心を持って取り組みましょう!
目的と方向性を伴わない努力と勇気は、たいして役に立ちません。
間違った努力は、決して良い結果をもたらしません。
しかし、正しい努力は必ず結果へと結びつきます。
「何が正しい努力なのか?」を見誤らないようにしましょう!
努力する大切さを教わりたい人は、下の記事をご覧ください。