大切なのは結果がよかろうが悪かろうが、自分の頭で考えて仕事をする姿勢だ。
自分の頭で考えるということは「改善する」ということです。
それをし続ける限り、継続的な成長ができるはずです。
離職率が高い部署は、管理職の面倒見が悪いケースが多い。
部下の面倒見を良くするために、管理職の負担を極力少なくして、若手社員にはあえて大きな仕事を任せていたそうです。
それは人材育成にも繋がるのですが、組織を強くするためにはこのような「仕組み作り」が重要になってきます。
ビジネスとは数字の世界だ。
概念論や抽象論、ましてや根性論や精神論などではない。
概念論、抽象論、根性論、精神論などでまかり通っていたのは高度経済成長期までです。
そのような恵まれた時代は、日本経済全体が上昇していたので、どんな業種・業界であっても、どのような無能経営者であっても、すべからく恩恵を受けられたのです。
しかし現代は変化の激しい時代で、朝令暮改は当たり前、弱肉強食の資本主義が出来上がっています。
なので俯瞰的に自分(又は会社)を見れて、ロジカルに物事を考えられる経営者だけが生き残るのだと思います。
会社はあくまで、仕事をするために人間が集まっている機能集団です。
井川意高の持論は「会社内の全員と仲良くする必要はない」というものです。
もちろん仲が良いのに越したことはありませんが、あくまでも仕事の目標を達成するコミュニケーションさえできれば最悪OKなので、そのようなマネジメントを心掛けていたそうです。
マネジメントに悩んでいる人は、「経営学の父」と呼ばれるP・F・ドラッカーの本を読んでみてください。
夜の社交界で気づいた人間関係が、後々思わぬ潤滑油となってビジネスに役立っていくのだ。
井川意高は若い頃(20代)から、仕事の延長線上で銀座や六本木に出向いて、有名経営者(40~50代)と毎晩飲み歩いていたそうです。
しかしそれはあくまでも『仕事の一環』なので、それが人脈となって、結局は大きな仕事へと結びついていったそうです。
日本人のメンタリティーは「努力しています」という言い方をやたらと好む。
どれだけ努力していても、他に結びつかなければ仕事では意味がありません。
そのために重要なのは「正しい努力」をすることです。
それさえ間違ってなければ、必ず結果は出るはずです。
偶然性と勘頼みのバカラは実にエキサイティングなギャンブルだった。
井川意高といえばギャンブルですが、実は小学生の頃から麻雀を始めて、中学生の頃には麻雀荘に出入りしていたそうです。
他にもブラックジャックなどのトランプゲームや花札など、ある程度は頭脳を使うギャンブルばかりをやってきたので、運頼みの”バカラ”はとても新鮮に感じたそうです。
サラリーマンであろうがフリーランスであろうが、人は多かれ少なかれストレスや悩みを抱えている。
ストレスのはけ口がアルコールやギャンブルになってはいけません。
なぜかといえば中毒症状があるからです。
中毒性がなく、自分なりにリフレッシュできるやり方を模索しましょう!
大王製紙で仕事をしていて「楽しい」と思ったことは、実を言うと一度もない。
井川意高は一流のビジネスパーソンなので、この発言は意外な事実ですよね。
日本代表する大企業の社長・会長職を歴任した絶対的権力者なので、まるで王様のように振る舞える気がしますが、想像を超えるプレッシャーを常に抱えていたので「仕事は苦痛で仕方がなかった」と語っています。
大王製紙を辞めてから、周りから「性格がずいぶん明るくなった」と言われるそうです。
結果を残そうと常にギリギリまで誰よりも考え抜いた。
- 創業家出身
- 20代で会社の役員
井川意高は会社の跡継ぎとして期待されていた人物なので、その分やっかみも多かったようです。
それらを吹き飛ばすために、がむしゃらになって働いたと語っています。
10人の味方を作るよりも1人の敵を作るな。
これは大王製紙創業者である井川伊勢吉(井川意高の祖父)の人生格言ですが、この言葉を今でも大切にしているそうです。
まとめ
ここまで井川意高の名言集をご紹介してきました。
井川意高は仕事で結果を出し続けた『優秀なビジネスパーソン』だと思いますが、ギャンブルが好きすぎて足を踏み外してしまった印象です。
しかし優秀な人物は、たとえ失敗したとしても、何度でも自力で這い上がってきます。
その典型例が、ホリエモンことを堀江貴文でしょう。
ホリエモンの名言集も是非ご覧ください!