その人物は生まれながらの君主か、あるいはそれになろうとしているものなのか。
前者の場合には、生真面目さというのは危険である。
後者の方では真面目であるというのは必要な長所になる。
この言葉を企業経営に置き換えると、2代目社長(=生まれながらの君主)なのか、プロパーの社長(=それになろうとしているもの)なのか、ということだと思います。
それぞれバックボーンが違うので、求められる要素も変わってくるようですね。
自分の立場に置き換えて考えてみましょう!
君主たる者、自分の軍隊や腹心達を引きつけておこうとする時に、残酷であるといったような不名誉を気にかけてはならない。
優しすぎる人はトラブルを収束できないので、多くの人を傷つけてしまいます。
しかし残酷な人は、ある一部の人だけを切り捨てて、他の人を守るという意思決定ができます。
このような”残酷さ”も君主には必要だとマキャベリは語っています。
人は恐れている者よりも、愛情を覚えている者の方を容赦なく傷つけるものである。
情が入ってしまうと、いざという時の反動が大きくなります。
なので、単純に恐れられていた方が、反動は小さくなるそうです。
そもそも「恐れられる=嫌われる」ではないので、人民から嫌われない限り、君主にとっては問題がないのです。
策略の罠を知り尽くすキツネのようであれ。
オオカミを威嚇するライオンでもあれ。
キツネは賢い動物の象徴ですよね。
そのような賢さを併せ持つ、ライオンのように強い君主が理想像だとマキャベリは語っています。
人々は総体的に見かけだけで判断する傾向にある。
つまり、君主はひたすら軍事力をつけて国を維持し続ければ良い。
どんなに陰で努力をしていたとしても、それが表面に現れなければ、決して大衆からの評価は得られないそうです。
君主の側近の大臣を見れば、君主の能力を推し量ることができる。
これはつまり、「側近がどれだけ君主に忠誠を誓っているか?」という部分で、その君主の力量がわかるということです。
各君主の主要な仕事は、憎まれたり、軽蔑されたりするのを心配することである。
マキャベリは再三「君主が恐れられることは問題ない」と語っています。
つまり『嫌われなければ問題ない』ということです。
中立という立場をとってはならない。
中立という立場は『曖昧さ』を意味しています。
なので、相手から勘ぐられることになり、その立場を取れば取るほど憎まれ軽蔑されることになるのです。
過去に起きたあらゆることは、再び起こると信じるべきだ。
これは『歴史は繰り返す』ということですよね。
だからこそ歴史を学ぶ価値があるのだと思います。
「君主論」という小さな論考を書き上げたが、その中で君主国とは何か、どういう種類があるのか、どのようにして収益を得るのか、それをどうのようにして維持するのか、なぜ敗北するのか、といったテーマについて、最大に集中して思考をまとめた。
これはマキャベリ自身が『君主論』について語った名言です。
君主論を読めば、これらの内容が理解できるはずです。