フリードリヒ・ニーチェといえば、ドイツが生んだ世界的に有名な哲学者ですよね。
代表的な著書には「ツァラトゥストラはかく語りき」があって、現代でも名著として多くのビジネスパーソンに読み継がれています。
「神は死んだ」という名言を代表として、その思想はかなり独特で理解しづらい部分があるとも言われていますが、今回はニーチェの思想を凝縮した名言をまとめてみました。
どれも短い言葉ばかりですが、仕事や日常生活に応用できるので、ぜひ最後までご覧ください。
ニーチェの名言一覧まとめ
まだ実績のない自分を、人間として尊敬するんだ。
自分のことを「たいしたことない人間だ」と思うと、人は卑屈になってしまいます。
何の実績もないかもしれませんが、まずは一人の人間であることを認めましょう。
自分の評判や評価などを気にしてはいけない。
他人から自分がどう思われてるのかを気にしても仕方ありません。
なぜかと言うと、人間は間違った評価をされるのが普通だからです。
自分が望むような正しい評価をしてくれる人など少ないのです。
自分の実力を知っているのは自分だけなのです。
疲れ切った時に反省するなど、すべて鬱への落とし穴でしかない。
疲れている時に反省すると、全てをネガティブに考えてしまいます。
その理由は、ただ単純に疲れているからです。
そんなことをしても、自分の中にルサンチマンが蓄積されるだけなのです。
【ルサンチマン〘名〙 (ressentiment)】
怨恨、遺恨、復讐感情。特に、ニーチェの用語で、弱者の強者に対する憎悪をみたそうとする復讐心が、内攻的に鬱積した心理をいう。キリスト教の道徳、社会主義運動などのなかにこの心理があるとされる。
コトバンク
疲れたらたっぷり眠るのが一番だ。
疲れたらお酒を飲んだり、旅行に行ったり、カラオケで騒いだりして「ストレス発散したい!」と考えるかもしれません。
しかしそんなことで本質的なリフレッシュなどできないのです。
人間は眠ることで、身体の疲れを癒す機能が元々備わっています。
なので、たっぷり眠るのが一番良いのです。
どんな人にも一芸がある。
「一芸」とは、その人が持っている希有な能力のことを言います。
どんな人でも、人に負けない特徴や能力を一つくらいは持っているはずです。
それを探すのが「人生」とも言えます。
自分がちゃんと自分の行動の主人になる。
何かを成し遂げるためには、自分をコントロールしなければいけません。
そうしなければ大事は成し遂げられないのです。
まずは自分を知ることから始めるのだ。
自分に嘘をついたり、誤魔化しながら生きても意味がありません。
今の自分と真剣に向き合うのです。
自分のことすら知らなければ、他者を知ることなどできないのです。
おおかたの人間は、自分に甘く、他人に厳しい。
多くの人は、自分に甘く、他人に厳しいと思います。
なぜかと言うと、自分を見る時には近くの距離から見て、他人を見る時には遠くの距離から見るからです。
つまり、自分を俯瞰的に見ることで、自分を律することができるのです。
解釈するのは結局は自分なのだ。
物事を判断するのは自分自身ですが、時には誤った価値判断をしてしまうケースがあります。
それによって偏った見方になる可能性があるので、十分注意しましょう。
「~のために」行うことは、卑しく貪欲なことだ。
「~のために」という行動が失敗した場合は他人のせいにして、成功した場合は自分の手柄にするのです。
つまり結局「~のために」と言いながら、自分自身のためにやっているのです。
なぜ孤独なのか?
それは、自分自身を愛することがうまくいっていないからだ。
友人を求めたり、恋人を求めれば「孤独ではなくなる」と勘違いしている人がいます。
しかしそれは誤魔化しに過ぎません。
孤独感を解決するためには、何かに一生懸命取り組まなければいけないのです。
それによって社会と繋がり、自然に孤独感は消え去っていきます。
豊かなモノを探すのではなく、自分を豊かにすること。
豊かさを外部に求めても意味がありません。
なぜかと言うと、そこから得られる価値観は人それぞれだからです。
つまり、その価値観を最大化させるためには、自分自身(人間性や考え方)を豊かにしなければいけないのです。
喜ぼう。
この人生、もっと喜ぼう。
喜び、嬉しがって生きよう。
- 卑屈になって生きるのか?
- 明るく元気よく生きるのか?
それは自分次第です。
どちらも同じ人生ですが、どちらの人生の方が楽しいでしょうか。
私たちは、本当に喜ぶべき事を喜んでいるのだろうか。
人にプレゼントを渡したり、親切なことをされてお礼を言うのは双方の喜びだと思います。
しかし、復讐心や差別、嫉妬心などは自分一人が喜ぶための感情や行動です。
万人の幸せが求められているのです。
職業は私たちの生活の背骨になる。
一生懸命働くことは、悪事から遠ざけて、くだらない妄想からも離れさせてくれます。
さらに心地よい疲れと報酬までもたらしてくれるのです。
働くことを楽しみましょう。
一緒に黙っていることは素敵だ。
もっと素敵なのは、一緒に笑っていることだ。
限られた人生における時間を共有するのは素敵なことです。
貴重な時間を「誰と共有したいのか?」を真剣に考えましょう。
誰かを喜ばせることは、自分をも喜びでいっぱいにする。
自分の幸せだけを追求してはいけません。
それでは不幸になってしまうからです。
結局、人に尽くすことで、自分も幸せになれるのです。
楽しまないというのは良くないことだ。
家族でも友達でも、その中の一人が鬱々としているだけで、他の人にもマイナスの影響を与えてしまいます。
それであれば、他のことは忘れて今この瞬間を全力で楽しみましょう。
そうすれば周りの人を幸せにできるのです。
すべて、はじめは危険だ。
しかし、とにかく始めなければ始まらない。
何かを新しく始めることはリスクが伴います。
しかしそれを怖がっていても、何も始まらないのです。
とにかく行動しましょう。
言葉にしても、行動にしても、生に強く向かっているものは良いのだ。
必死になって行動することや、現状を打破しようとする動きは、もし失敗したとしても人生を豊かにしてくれます。
怖がらずに挑戦し続けましょう。
限られた時間の中で何かをなす以上、何かから離れたり、何かをきっぱりと捨てなくてはならない。
しがらみは時に重荷になりえます。
しかし「何を捨てればいいのか?」と頭を悩ます必要はありません。
一生懸命行動していれば、不必要なものは自然と自分から離れていくからです。
今のこの人生を、もう一度そっくりそのまま繰り返しても構わないという生き方をしてみよ。
この名言のように生きている人は、どれぐらいいるでしょうか?
つまらない人生を過ごすことはお勧めしません。
1mmの悔いもない生き方を目指すべきだと思います。
多くの人々を納得させたり、彼らに何らかの効果を及ぼしたいのなら、物事を断言すればいい。
自分の意見を正当化したり、小手先の言葉で繕っても、本質を見抜かれてしまいます。
そうではなく、大切なことは自分自身にコミットメントする事なのです。
それを有言実行すれば、自然と信用は蓄積されるのです。
脱皮しない蛇は破滅する。
脱皮できない人間も破滅に一直線です。
古い考え方に固執している限り、成長することはできません。
私たちは常に考え方をアップデートしなければいけないのです。
苦しいなら、逃げても構わないのだ。
ニーチェの言う「逃げる」というのは言葉のとおり「逃亡する」という意味ではありません。
ニーチェの言っている「逃げる」というのは「何かに専念する」ということです。
そうすれば不安や心配事など考えている暇がなくなるのです。
楽しい計画づくりだけで人生は終始するわけではない。
生きていく以上は、その計画を実行しなければならないのだ。
夢を語ったり、考えることはワクワクしますよね。
しかし、それを実行しなければ何の意味もありません。
それをしなければ、他の誰かの計画が実現するための手伝いをやらされる羽目になるのです。
子供のうちに特に強くしつけておくべきは、清潔好きの感覚だ。
清潔好きの子供は、病気になりにくいので、大病を患うことがありません。
それだけでなく、社会人としても清廉潔白を貫くので、犯罪に手を染めることがなく、立派な大人に成長するのです。
些細な日常が、その人の人間性を形成していきます。
所有欲の手下となった人は、完全に拘束される。
所有欲は「物欲」と言い換えることができます。
物欲を満たすためにはお金を稼がなければいけません。
その目的のためにあくせく働き、物を買っても満たされず、まだ働くことの繰り返しになるのです。
その間に、内面の豊かさ、精神的な幸福、気高い理想といった、人間にとって最も重要なものが無視されるようになります。
その結果、金銭面だけが豊かで、内面の貧しい人間が出来上がってしまうのです。
山登りをする。
たゆまず、獣のように。
汗にまみれ、一心不乱に頂上を目指す。
そういう愚かなことが、しばしばなされている。
一生懸命仕事するのは良いことです。
しかし売上ばかり追ったり、出世することだけを目指すのは、大切なモノを見落としているかもしれません。
「仕事をする意味」についてもう一度考えてみましょう。
時間は限られているのだから、チャンスはいつも今だ。
人間いつかは死ぬのです。
それは明日かもしれません。
なので今この瞬間を全力で走り抜けましょう。
ここに希望があったとしても、自分の中に光や灼熱を体験していなければ、それが希望だとはわからない。
何かに一生懸命になったり、人生をかけて取り組んでいれば、きっとその打開策が見えてくるはずです。
しかし、真剣に取り組んだことがない人は、それすら見逃してしまうのです。
私たち一人ひとりにも確かな歴史があるのだ。
歴史と聞くと「偉人が作るもの」という印象がありますよね。
しかし、よく考えてみると私達にも歴史を作る権利があるのです。
- ダラダラと寝て過ごすのか?
- 何もせず無難に一日を終えるのか?
- 果敢にチャレンジしてみるのか?
日々の過ごし方が、あなたの歴史を作るのです。
長所に見えるものであろうとも、その根源がどこから来ているのか、よく見る必要がある。
「気遣いできる人」は周囲の人たちのことを考えて、出来る限り「公平に振る舞おうとする人」のように感じますよね。
しかし実際は「ただ臆病なだけ」なのかもしれません。
人から嫌われるのを恐れていて、ただそのことだけを一心不乱に考えているのかもしれません。
長所の影に隠されているものがあるかもしれません。
勝利したものは、もれなく偶然などというものを信じてはいけない。
勝つことが全てではありませんが、物事には勝ち負けがあるという事実もあります。
勝つためにみんな頑張っていますが、そのために周到な準備を行ったり、たくさん勉強していますよね。
それらの点が線となって繋がったのが勝利なのです。
怖気づいたら負ける、破滅する。
負けというのは、自分の心が認めた時に初めて決まるのです。
「もう無理だ」と思うのではなく、「どうすれば勝てるのか?」という前向き思考でいましょう。
そう考えている限り、負けることなどないのです。
多くの人は、物そのものや状況そのものを見ていない。
あまりに情報が多すぎて、素直な心で物事を見るのが難しくなっています。
事前情報が多すぎると、勝手な想像をしてしまうので、偏った見方になりがちです。
それでは自分というフィルターが上手く機能していないので、時には情報を遮断するのも大切なのかもしれません。
提示されたある案に対して反対する時、よく考え抜いた上で確固とした根拠があって反対する人はごく少ない。
もちろん技術的な部分はあると思いますが、反対意見は感情的であるケースが多いのです。
多くの人は案や意見が述べられた時の調子とか言い方、言った人の性格や雰囲気に対して反発しています。
なので、きちんとした服装や言葉遣いをすることは、リーダーに求められる要素なのです。
自分自身が成長し続けない人ほど飽きやすい。
あなたは飽きやすい人ですか?
人でも物でも、なかなか手に入らないものほど欲しくなりますが、一旦手に入ってしまうと次第に興味がなくなりますよね。
そのようになる理由は、慣れてしまうからです。
しかしその本質(=問題)は自分の中にあります。
つまり、手に入れたものが自分の中で変化しないから飽きてしまうのです。
自分自身を常にアップデートできている人は、周りの人や物が同じであっても、違う価値を見出せるので飽きることがないのです。
友人とたくさん話そう。
いろんなことを話そう。
ニーチェは腹を割って友人と話すことを推奨しています。
その内容は「自分が信じたいと思っている事柄」です。
そうすれば自分の人となりが伝わるので、お互いの信頼関係に繋がるのです。
親しくなれば相手の私事に立ち入っても構わないと考えているような種類の人間とは、決して付き合わないことだ。
人には触れてほしくないプライベートな部分があります。
そのような内情に土足で踏み入るのはやめましょう。
もしそういう人がいた場合、その人はあなたのことを支配して影響下に置きたいだけなのかもしれません。
相手よりも鈍い感じでいる。
これは社交のコツであるし、人へのいたわりともなる。
なんでもかんでも敏感で鋭くある必要などありません。
相手の行為や考えを見抜いても、知らんぷりできる偽りの鈍さも必要なのです。
それは相手へのいたわりや思いやりにもなるのです。
そして相手を好意的に捉えて、大切に扱いましょう。
そうすれば相手もあなたを同じように扱ってくれます。
世間にありながら、世間を超えて生きよ。
世間とは「世の中」を意味しています。
この名言が意味するのは、自分の信念を持つということです。
世の中の情動に振り回されず、確固たる自分を持って強く生きることを推奨しているのです。
自分の意見を持つためには、自ら動いて自分の考えを掘り下げ、言葉にしなければならない。
近年はインターネットが発達したおかげで、大量の情報(知識)が手に入るようになりました。
それで博識になったかのように勘違いしている人を見かけますが、中身が伴っていないので、それでは薄っぺらいのです。
自分の実体験や生きた言葉を話せないので、ちょっと突っ込まれた途端に無口になってしまいます。
それではまったく意味がないのです。
道徳的な振る舞いをする人は、本当に道徳的であるとは限らない。
一見すると道徳的に見える人でも、ただ道徳に服従しているだけかもしれません。
何も考えず、世間一般で「常識」と言われていることに従っているだけの人は、決して本物ではありません。
批判という風が吹き込まない閉鎖的な所には、必ず腐敗や堕落が生まれ、大きくなっていく。
どんな組織であっても、反対意見は重要だと思います。
またそれを言える環境があることも大切です。
これを現代風に言い直すと「多様性」となるのです。
考え方の問題で組織に馴染めなくても、自分だけがおかしいと思う必要などない。
組織というのは、良くも悪くも閉鎖的なものです。
つまり、その中の常識を正義とし、その組織が大切にする考え方を浸透させていきます。
そこから外れたということは「組織の狭い世界を超えた広い次元に達した」ということになるのです。
狡猾とされている狐よりも、はるかに狡猾な人間がいる。
高い場所にある葡萄が取れなかった狐は「あんなのはどうせすっぱい葡萄に決まっているさ」という捨て台詞を残します。
これは有名なイソップ寓話ですよね。
しかし、自分の手が届き、たっぷりたくさんの甘い葡萄が取れた人間は「とてもじゃないが酸っぱくて食べれる葡萄ではない」と言いふらすのです。
世の中には、いかにもまともそうに見えるニセ教師がたくさんいる。
- こうすれば損をしない
- 人付き合いはこうした方がいい
- 人脈はこうやって広げろ
ニセ教師が教えるものは、自分よがりの価値判断です。
本当に重要な人間性についてや、他人との付き合い方についての部分が抜けているのです。
自分を幸せにするやり方ではなく、どうすれば他人を幸せにできるか考えましょう。
一度口にしたことを断固として行うのは、一種の頑固ではないか。
信念を持つことは良いことです。
何かを成し遂げることも良いことです。
しかし感情的になってしまうのはよくありません。
行為をするかどうかは、理性的な観点から見極める必要があるのです。
あなたが誰かを騙したりすると、その人は悲しむ。
騙されたことで何か損を受けたから、その人は悲しんでいるのではない。
その人がもうあなたを信じ続けられないということが、その人を深く悲しませているのだ。
軽い気持ちで嘘をついたり、人を騙したとしても、その相手は大きく傷つくのです。
それは関係性が深ければ深いほど大怪我になってしまう傾向があります。
他人をあれこれと判断しないこと。
他人の値踏みもしないこと。
人の噂話もしないこと。
人間には多少なりともプライドがあるので、人よりも優位に立ちたいと思うはずです。
しかしそのような想像や考えをできるだけ少なくした方が、幸せに生きれるでしょう。
何か奇抜なことをして衆目を集めるのが独創的な人物ではない。
それは単なる目立ちたがり屋だ。
本当に独創的な人とは、すでにみんなの目の前にあるのに、まだその存在に気づかれておらず、名前さえ持たないものを見る能力を持ち、さらにそれを命名できる人のことを言います。
例えば「0(ゼロ)」という概念を発見したインド人のようなものです。
イノベーターとニセ物を区別しましょう。
カリスマ性を持った深みのある人間であるように見せたいなら、一種の暗さ、見えにくさを身につけるようにすれば良い。
人間は底が見えないことに一種の神秘さや魅力を感じるものです。
森の中にある池も、濁って底が見えないとそれを恐れたり、深さが気になったりしますよね。
カリスマ性とはその程度のものなのです。
勝つのならば、僅差ではなく、圧倒的な差をつけて勝つのがよい。
競争において「辛うじて勝つ」というのはニーチェ的にNG行為です。
なぜかと言うと、相手に悔しい思いをさせたり、自責の念を持たせることになるからです。
そうではなく、圧倒的に勝利してしまえば、むしろ相手は清々しい思いになるはずです。
それが勝利する者のマナーなのです。
約束は、個人間の契約というだけではない。
約束として要求される言葉の裏側にあるものが、約束の本当の中身になるのだ。
「明日の17時に渋谷駅待ち合わせで」という約束は、会うことだけを約束したわけではありません。
- 人間性の確認
- 信頼関係
- 絆の確認
- 相手への気遣い etc.
このようにたくさんのものが約束されているのです。
それは人間同士の確認作業とも言えます。
過去の行為を価値づけることは無意味なことなのだ。
人間は自分のやらなかった行為を後悔する生き物です。
「あの時こうすればよかった」とか「もっと努力できたはず」と悔いることがありますよね。
これは「プロスペクト理論」と呼ばれているので、気になる人は下の記事をチェックしてください。
過失には責任をとろうとするのに、どうして夢に責任を取ろうとはしないのか。
「夢はでっかく」と言いますが、掲げた夢を実現できなかった時の責任について考えたことがあるでしょうか?
本気で叶えたい夢なら、周りの人を巻き込んででも実現しようとするはずです。
それが出来なかった時、あなたはその責任が取れるでしょうか?
その答えによって、夢への本気度が分かるのです。
シャープでスマートだけではいけない。
どんくさいところも必要だ。
「頭が切れる」とか「頭の回転が速い」と褒められると気持ちいいですよね。
しかし、それだけだと愛嬌が足りないのです。
人間にはどこか「錆び」のような部分が必要で、それがあるだけで人に好かれるようになったり、周りが手伝ってくれるようになるのです。
怒りというものは、いっときの衝動だから、自分で好きなように処理できるものだ。
怒りの感情をコントロールするのは難しいですよね。
これは「アンガーマネジメント」と呼ばれているので、もし気になる人は下の記事をご覧ください。
誰かを恥じ入らせることは、明白な悪の一つだ。
悪人は人に恥をかかせるのです。
家に盗みに入ったり、殺人をすることも被害者を辱めることです。
小さな喧嘩やトラブルもそうですし、自分が悪事を働くことで身内も恥をかくのです。
そのような悪人ではなく、誰からも誇られる人間になりましょう。
連絡もなしに人を待たせるのはよくない。
これは道徳的なマナーという表面的な話ではありません。
待っている人はその間に、あれこれと良からぬ想像をめぐらして、いろいろ心配し、次第に不快になり、徐々に憤慨していきます。
つまり人を待たせるということは、何の手も煩わせずにその相手を悪人にしてしまう、不道徳極まりない行為なのです。
何が善であり何が悪であるのか、人間としての倫理とはどういうものなのか、という定義は、その時代によって正反対になるほど異なっている。
現代人が古代人の風習を非常識と感じるのと同じで、古代人から見れば現代は不思議な習慣ばかりだと思います。
そのような俯瞰的な感覚を身に付けることは、とても大切な事だと思います。
本を読んだとしても、最悪の読者にだけはならないように。
本は私たちに色々な知識をもたらしてくれます。
その中から、自分に都合のいい文脈だけを抜き出して、それをあたかも全てであるかのように語っている人は、その本を別物にしています。
そのような人は最悪の読者だと思います。
君の立っている場所を深く掘り下げてみよ。
泉はその足元にある。
「灯台下暗し」とはよく言ったものです。
もしかしたら、自分の潜在能力を過小評価しているのかもしれません。
【灯台下暗し(とうだいもとくらし)】
灯火をともす照明具の下の辺りは、周囲よりも暗い。世間のことをよく知っている人も身近な事柄に意外にうといことや、近くにあるものには案外気づきにくいことのたとえ。
コトバンク
頭で立てた計画通りに物事は運ばない。
頭のいい人は、自分で最短ルートを設計することができます。
しかし、現実はそんなに甘いものではありません。
昔の船乗りは「最も都合よく吹いてきた風が、船の帆を膨らませて導かれた航路が最短の道だ」と言いました。
この言葉の通り、最短ルートは前もってわかるはずがなく、実際に踏みだしてから見えてくるものなのです。
物事から離れて遠くから見ると、何が問題なのかがよく見えてくる。
モネやマネなど印象派の点描画を間近で見ても、そこに何が表現されているのかわかりませんよね。
それと同じで、離れた場所から見ることで、初めてそこに描かれている輪郭が見えてくるのです。
理想を捨てるな。
自分の魂の中にいる英雄を捨てるな。
夢や希望を持ってたとしても、「それは過去の話」と一蹴するのはもったいないと思います。
今でも努力すれば実現できるかもしれません。
努力することを決して諦めてはいけません。
充実した人生を送るためには、理想や夢を捨ててはいけないのです。
まとめ
ここまでニーチェの名言を解説してきました。
ニーチェの残した名言は、彼の思想を理解するために役立つはずです。
もしニーチェの著書を読んだことがない人は、「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでみてください。
非常に難解な本ですが「名作」と言われているので、天才哲学者の考え方を理解するのに役立つと思います。
座右の銘にできるような格言を探している人は、ぜひ下の記事もご覧ください。