国家権力は新しい社会をはらむ、古い社会全ての助産婦である。
<参考書物:資本論>
株式相場の格言に「国策に売りなし」というものがあります。
それほど国家の権力は強いものなので、ビジネスパーソンは「国の戦略はどこを向いているのか?」というのを都度確認しましょう!
机はもはや自分の足で床に立つだけではなく、他のすべての商品に対して頭で立っている。
<参考書物:資本論>
机は床に立ちますよね。
その一方で、「この机は○○円だ」「この机はソファーより高い」とか、人間は頭で考えますよね。
資本主義社会においては、このように「どれだけの価値があるのか?」という部分に集約されていくのです。
なんでもお金、お金、お金…
なんか嫌になりますよね。
貨幣は人間の欲求と対象との、人間の生活と生活手段との間の媒介項である。
<参考書物:経済学・哲学草稿>
お金には『価値を保管する』という機能があります。
例えば物々交換の社会では、魚を買う為に肉を差し出したりしますが、ナマモノは腐ってしまうので、それを避けるために”お金”というものに一旦価値を転嫁しておき、いつでも使えるようにしたのです。
どこから来ようと金になればそれでいいことだ。
<参考書物:資本論>
これはつまり「お金には色がついていない」ということです。
資本主義においては”儲けたもの勝ち”なのです。
ブルジョワジーの支配体制にいるものは、頭の中ではいつも自由である。
<参考書物:ドイツ・イデオロギー>
これはとても皮肉がこもった名言ですよね。
ブルジョワジーの支配にいるということは、労働者ということです。
ブルジョワジーとは、生産力の発展を背景として成長した、私有財産を所有する一定程度豊かな都市住民層のこと。
前述した通り、労働者は見えない糸で繋がれているので、本当は自由ではありませんが、頭の中で自由に考えることはできます。
このようなおかしな状態をマルクスは揶揄したのです。
人間は絶えず自然の力を借りている。
だから労働だけが、生産する使用価値の、すなわち素材的な富の、ただ一つの源泉ではない。
<参考書物:資本論>
マルクスは自然の恵みに感謝しているので、このような言葉を度々発しています。
フランスが生んだ有名な哲学者であるジャン=ジャック・ルソーも「自然に帰れ」と言いました。
ルソーが残した『社会契約論』はフランス革命にも影響を及ぼした”人類史における最重要書物の一つ”と言われているので、ビジネスパーソンは必ず読んでおきましょう。
人間が類的存在となるのは人権のおかげではない。
<参考書物:ユダヤ人問題によせて>
類的存在とは”社会に溶け込む”ことを意味しています。
人間には”人権”が与えられているので、一般的な社会生活ができていますよね。
しかし本来人間はわがままな生き物なので、ルールがなければ私利・私欲を追求するはずです。
そう考えた場合、人権という概念は『逆に人間を縛るためのもの』だと考えられます。
つまり人権を保障する代わりに社会生活を強いて、それによって人間本来の欲望を抑えつけるということです。
なんか哲学的ですよね。
欠乏とは、人間にとっての最大の富である他の人間を、欲求として感じさせる受動的環である。
<参考書物:経済学・哲学草稿>
他人に助けを求めたり、人と触れ合いたいと感じるのは、人間という存在が”不完全”だからです。
つまりそのような欲求は自然であり、当たり前のことだとマルクスは語っています。
泥棒、詐欺師、乞食、失業者、飢えた労働者、貧しい犯罪的労働者、こうした連中は国民経済学にとっては存在しない。
<参考書物:経済学・哲学草稿>
経済学において、仕事についていない人は”存在価値”を認められていません。
なぜかといえば、経済的な役割を担っていないからです。
このような人たちのことをマルクスは「亡霊」と表現しています。
ドイツの解放は人間の解放である。
この解放の頭脳は哲学であり、その心臓はプロレタリアートだ。
<参考書物:資本論>
プロレタリアートとは「労働者階級」のことを指します。
つまり労働者階級を解放するためには、哲学を学ぶ必要があるということです。
哲学は小難しいですが、興味がある人は下の名言集をご覧ください。