
新渡戸稲造が残した「武士道」を知っている人は多いと思いますが、「葉隠(はがくれ)」を知っている人は少ないかもしれませんね。
武士道といふは、死ぬ事を見付けたり(武士道とは、死ぬこと見つけたり)
この名言を知っている人は多いと思いますが、この言葉は「葉隠(はがくれ)」に書かれている一説なのです。
葉隠とは、江戸時代中期の佐賀の鍋島藩士で、後に出家した山本常朝が、武士としての心得を語った書物ですが、三島由紀夫が心酔した本としても有名です。

葉隠が書かれた江戸時代の中期は、武士が多い時代でした。
現代人の多くはどこかの組織に属していて、いわゆる”サラリーマン”として働いていますが、それはある意味で武士も同じだったのです。
江戸時代の武士は、組織に属する奉公人でした。
武士には主君がいて、その主君に対して忠誠を誓うという主従関係があったので、その辺りは現代にも通じる部分だと思います。
そこで今回は、歴史的な名著と呼ばれている”葉隠”の名言集をご紹介したいと思います。
葉隠は”昔言葉”で書かれている読みづらい書物ですが、現代語に翻訳しながらわかりやすく解説しています。
葉隠に書かれていることは、「どのように対処するべきなのか?」という処世術なので、きっとビジネスパーソンの参考にもなるはずです。
江戸時代の武士が残した名著から処世術を学びましょう!
葉隠(はがくれ)の名言集まとめ
武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。
二つ二つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。
別に仔細(しさい)なし。
胸すわって進むなり。
<現代語訳>
武士道とは死ぬことである。
生死を選ぶ場合、さっさと死ぬ方に行くのがいい。
心を落ち着けて進め。
これは葉隠の中でも一番有名な言葉だと思います。
この言葉の中にある「見付けたり」という表現は「本当に考え抜いた結果、気がついた」という意味です。
なので単に「死ぬ」という表面的な話ではなく、武士としての勤めである「正義」「仁義」「奉公」など、全てを突き詰めていくと「究極的には死ぬ事になる」という深い意味なのです。
これはつまり「命を投げ出す覚悟で取り組むべし」というニュアンスになります。
武士たる者は、武道を心懸(か)くべきこと、珍しからずといへども、皆人油断と見えたり。
<現代語訳>
武士たる者が武士道を心掛けねばならないということは、格段取り立てて言うほどのことでもないが、全ての人に油断があるように思う。
「武士道とは何か?」と聞いても、即座に答えられる武士が少ないので、山本常朝はその状態を「油断している」と考えていたのです。
大事の思案は軽くすべし。
<現代語訳>
大きなことを決める時は、むしろ気軽にやれ。
人間は確実性を求めますが、ほとんどのケースで不確実性を排除できません。
確実性だけを求めてしまうと、人間は行動できなくなるので注意しましょう!
毎朝毎夕、改めては死に改めてはし死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生越度なく、家職を仕果すべきなり。
<現代語訳>
毎朝毎夕、心を正しては、死を思い死を決し、いつも死身になっている時は、武士道と身体が一つになり、一生失敗することなく、職務が遂行できるのだ。
これは葉隠の”中心思想”と言える名言です。
「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。」ということは「死ぬ覚悟をする」ということですよね。
それを毎朝毎夕おこなって、常に新鮮な気持ちで物事に当たることが大切なのです。
武道は今日のことも知らずと思うて、日々夜々に箇条を立てて吟味すべき事なり。
<現代語訳>
武士道はいつどのようなことが起こるかわからないと覚悟を決めて、朝に晩に具体的にやるべきことを考えて練っておくべきだ。
これはつまり「今日一日を全力で生きる」という意味だと思います。
明日死ぬかのように生きれば、きっと偉業も成し遂げられるはずです。
只今の一年より外はこれなく候。
一念々々と重ねて一生なり。
<現代語訳>
今現在の一瞬に徹する以外にはない。一瞬一瞬を積み重ねて一生となるのだ。
将来のことは誰にもわかりません。
しかし今現在を一生懸命頑張ることはできますよね。
結果的にそれが自分の将来(未来)を作るということです。
これは勇気をくれる言葉なので、座右の銘にもぴったりだと思います。
そのような「勇気をくれる言葉」を探している人は下の記事もご覧ください。
不慮の事出来て動揺する人に、笑止なる事などといへば、尚々気ふさがりて物の理も見えざるなり。
<現代語訳>
思わぬ不幸にあってうろたえている人に、「お気の毒です」などと言えば、ますます元気を落として物の道理が分からなくなるものだ。
もし落ち込んでいる人がいれば、「結果的に良かったんじゃない」と勇気づける方が良いということです。
人生には様々なことが起こりますが、そのような偶然が合わさって人生は形成されていきます。
どん詰まりになることはないので、何事も前向きにトライしましょう!
貴となく賤となく、老となく少となく、悟りても死に、迷ひても死す、さても死ぬ事かな。
<現代語訳>
貴賤の区別なく、老人や若者も関係なく、悟っても死に、迷っても死ぬ。とにかく人間は死ぬのだ。
特に若い人は”死”について考える機会が少ないと思いますが、誰でも平等に”死”は訪れます。
その時に後悔しないようにしましょう!
世界は皆からくり人形なり。
<現代語訳>
この世はすべてからくり人形のようなものだ。
これは世の中を俯瞰的に見た時の名言です。
人間関係は複雑なので、全てを真剣に捉えすぎると疲れてしまいます。
そんな時には「世界は皆からくり人形なり」と考えて、「誰もが”役”を演じている」と思うのが良いでしょう。
不足の人に添ひ候は恥になり申さず。
<現代語訳>
気に入らぬ人に縁づいているということは恥にはなりません。
これは”恥”についての基準を語った名言です。
結婚した相手が合わなくても、それは恥になりません。
しかし離婚して、再婚することは”恥”だと捉えていたようです。
これはあくまでも”その時代の価値基準”なのですが、重要なのは「他人に対して恥にはならない」「自分が恥ずかしくない」ことをする、ということでしょう。
武士は、仮にも弱気なことを云うまじ、すまじ。
<現代語訳>
武士は、かりそめにも弱気なことを言わない、しない。
心が負けてしまっては、何事もうまくいきません。
常に前向き思考で生きましょう!
初めより思ひはまりて濡るる時、心に苦しみなし。
<現代語訳>
初めから覚悟を決めて濡れた時、不愉快な思いはしない。
雨が降っている時、傘を忘れてしまったら「濡れたくないなぁ…」と思って帰るよりも、「まー、濡れてもいいか!」と考えた方が不快感は少ないですよね。
人生には、自分の力ではどうにもできないことが度々起こります。
そんな時には、この言葉のように覚悟を決めた方が良いでしょう。
内側には智仁勇(ちじんゆう)を備ふる事なり。
<現代語訳>
身を修めて智仁勇の三徳を備えることだ。
智仁勇とは、論語で語られている「人間が持つべき三徳」です。
- 智:知恵
- 仁:優しさ
- 勇:勇気
これと逆に貪瞋痴(とんじんち)と呼ばれる、人間が持ってはいけない”三毒”というのもあります。
- 貪:貪欲
- 瞋:怒り
- 痴:愚かさ
それぞれ覚えておきましょう!
始末心これある者は義理欠き申し候。
義理なき者はすくたれなり。
<現代語訳>
倹約家は、しばしば世間の義理を欠く。義理にかける者は、卑劣な人間だ。
倹約するのは構いませんが、度が過ぎるケチは良くありません。
もちろん浪費家もよくありませんが、基本的には「気前よく対応する」のがベストだと思います。
なぜかといえば、相手に対してGiveすることになるので、それは結果的に人間関係を円滑にしていきます。
この辺りについて知りたい人は、下の記事もご覧ください。
徳ある人は、胸中にゆるりとしたる所がありて、物毎(ものごと)いそがしきことなし。
小人は、静かなる所なく當(あた)り合ひ候て、がたつき廻り候なり。
<現代語訳>
徳のある人は、心の中にゆとりがあって、物事を進めるにも急ぐところがない。徳のない人間は、落ち着いたところがなくて、衝突ばかりを繰り返し、いつも争っているものだ。
これはつまり、「胸を落ち着かせてゆったりと構える方がいい」という武士の姿勢について語った名言です。
忙しくしていると、焦って失敗したり、イライラしたり、心身ともに疲れやすくなります。
つまり全てが悪循環になっていくのです。
一呼吸の中に邪を含まぬ所が、則ち道なり。
<現代語訳>
一呼吸の間にも、邪念を含まないのが道である。
これは集中力について語った名言です。
”道”というのは概念で、物事に集中することを指しています。
何かを極めようとした場合、一心不乱に取り組むと思いますが、その時は集中しているので時間が早く過ぎますよね。
決して「次のチャンスがある」と考えず、その時一瞬に集中することが大切なのだと思います。
昔は疝気(せんき)のことを臆病草と申し候。
<現代語訳>
昔は腹痛のことを臆病草と言った。
腹痛で動けないことを伝えると、「それは臆病である」と切腹を命じられることがあったそうです。
本当にお腹が痛かったのかもしれませんが、病気を防ぐことも武士(仕事人)の務めということです。
手本作りて習ひたるがよし。
<現代語訳>
良い手本を真似して一生懸命習うのがいい。
見習うべき人を見つけたり、尊敬できる人を見つけて、その人を真似するのが一番早い上達方法だと思います。
昨日よりは上手になり、今日よりは上手になりして、一生日々仕上ぐる事なり。
<現代語訳>
今日は昨日より上手になって、明日は今日よりも上手になるというように、一生かかって日々仕上げるのが道というもので、それには終わりがないものである。
これは日々努力する大切さを伝えている名言です。
一流の人ほどハングリーなので、そのような心意気で取り組みましょう!
紙一ぱいに一文字書くと思ひ、紙を書き破ると思うて書くべし。
よしあしはそれしやの仕事なり。
武士はあぐまぬ一種にて済むなり。
<現代語訳>
この紙いっぱいに、ただ1文字を書くと思い、まだ勢いで紙が破れてもいいと思って書くのが良い。上手下手を言うのは書道家の仕事だ。武士は思い切りよくやるべきなのだ。
これは武士の精神について語った名言です。
「思い切りがよく迷いがない」というのが武士道精神なので、ここで理解しておきましょう!

萬事(ばんじ)前方に極め置くが覺(かく)の士なり
<現代語訳>
万事あらかじめ用意しておくのが悟った武士である。
その場しのぎで対処するのではなく、準備万端で臨んだ方が成功確率は高くなります。
例え仮に、準備をせずに成功できたとしても、それは単に「運が良かっただけ」なので、経験値にはならないのです。
一人の智恵は突っ立ちたる木の如し。
<現代語訳>
1人の知恵は、ただ突っ立っている1本の木のように頼りがいがない。
「三人寄れば文殊の知恵」という諺がありますよね。
一人では限界があるので、周りに相談することが大切だと思います。
ことわざの名言集を知りたい人は、下の記事をご覧ください。
大難大変に逢うても動転せぬといふは、まだしきなり。
大変に逢うては歓喜踊躍して勇み進むべきなり。
<現代語訳>
大変な困難に遭遇した時、気が動転しないというだけではまだ十分ではない。大変な困難に遭遇した時には、喜び勇んで進むべきである。
これは「困難な時ほど喜べ」という意味の言葉です。
「ピンチはチャンス」という言葉もありますが、仕事における”高い壁”は自らを成長させてくれるので、逃げずに挑むべきだと思います。
私なく案ずる時、不思議の智恵も出づるなり。
私を除きて工夫いたさば、大はづれあるべからず。
<現代語訳>
私心を去って考える時には、思いもよらない知恵が湧いてくるものだ。私心を去る工夫をするならば、大失敗することがない。
私心とは”邪念”のことです。
自分中心に考える”よこしま”な動きでは、周りがついてきませんし、誰も得をしません。
例えばディスカッションする時、「間違えたらどうしよう」とか「見当違いだったら恥ずかしい」と思えば、行動できなくなってしまいます。
そのような意識は捨て去って、接客参加するのが良いでしょう。
人のすかぬ者は役に立たず。
<現代語訳>
人に好かれない人は、役に立たない。
武士社会は「人社会」だったので、人間関係がとても重要でした。
特に「人間が持つべき三徳」と呼ばれた智仁勇を持っていない人は、誰からも相手にされなかったのです。
これは現代社会でも通じる話なので、処世術として覚えておきましょう!
まとめ
ここまで葉隠の名言集をご紹介してきました。
武士道精神の詰まった名著が”葉隠”なのですが、他にも有名なのは新渡戸稲造が書いた”武士道”です。
こちらも名著なので、その内容を知りたい人は下の記事をご覧ください。