デカルトの名言集51選!「我思う故に我あり」が理解できる言葉

あくまで個人的な趣向ですが、デカルトは大好きな哲学者の一人です。

なので、今回はルネ・デカルトの名言集をまとめてみたいと思います。

この名言集を読めば「我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)」の意味や、デカルトの思想である方法的懐疑が理解できるはずなので、ぜひ最後までご覧ください。

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デカルトとは?

ルネ・デカルトは16世紀ごろに活躍したフランス生まれの哲学者です。

数学者としても有名ですが「合理主義哲学の祖」と言われているので、近代哲学の父として認識している人もいるかも知れません。

例えば、デカルトが書いた「方法序説」はあまりに有名ですよね。

「方法序説」は難解な本ですが、意外と薄い本なので、ぜひ一度読んでみてください。

デカルトの名言集まとめ

デカルトの名言集1

良い精神を持っているだけでは十分でなく、大切なのはそれをよく用いることだ。

これは方法序説の序文にある「良識はこの世で最も公平に配分されているものである」に通じる名言だと思います。

良識をどう使うかは、その人に委ねられているのです。


デカルトの名言集2

極めてゆっくり歩む人でも、常に真っすぐな道を辿るなら、走りながら道を逸れてしまう人よりも、はるかに前進することができる。

これは童話「ウサギとカメ」のような話ですよね。

少しずつでもゆっくり確実に前進すれば良いのです。


デカルトの名言集3

理性すなわち良識が私たちを人間たらしめ、動物から区別する唯一のものであるだけに、各人のうちに完全に備わってると思いたい。

他の動物と比べて、人間の特徴とは理性が高いことです。

その理性をフル活用するからこそ、ある意味で「人間らしい」と言えるのだと思います。


デカルトの名言集4

世間の評判から人々の意見を知ることは自己教育の新しい手段である。

自分一人の考えではなく、周りの意見を積極的に取り入れていきましょう。

それによって新しい気付きを得られるはずです。


デカルトの名言集5

勉学に努めた結果、私は多くの疑いと謝りに悩まされている自分に気がつき、益々自分の無知を知らされたという意外、何も得ることがなかった。

これは自己矛盾を孕んだ哲学者らしい名言だと思います。

勉強をすればするほど、その奥行きが分かってしまうので、自分の無知がますます強くなっていくのです。

これは完璧主義者のような感覚かもしれませんが、物事の真理を追求する哲学者らしい考え方だと思います。


デカルトの名言集6

良書を読むことは、著者である過去の世紀の一流の人々と親しく語り合うようなもので、しかもその会話は、彼らの思想の最上のものだけを見せてくれる。

これは確かに、私も同じような感覚を持っています。

本当に読書は有益な行為だと思います。


デカルトの名言集7

旅にあまり多くの時間を費やすと、しまいには自分の国で異邦人になってしまう。

これはジョークを含んだ、面白い名言ですね。

海外の文化や習慣に慣れてしまうと、母国に戻った時、自分自身が外国人みたいになってしまうことを揶揄しているのです。


デカルトの名言集8

過去の世紀になされたことに興味を持ちすぎると、現世紀に行われていることについて往々にしてひどく無知なままとなる。

過去の歴史ばかり学ぶのではなく、現代史も学ばなければいけません。

なぜかと言うと、全ての点が線になって繋がっているからです。

時事問題にも興味を持ちましょう。


デカルトの名言集9

私は何よりも数学が好きだった。

論拠の確実性と明証性の故である。

数学は絶対的な真理がある学問です。

世の中の「天才」と呼ばれる人達が数学を愛する理由はここにあります。


デカルトの名言集10

同一の事柄について真理は一つしかありえないのに、学者たちによって主張される違った意見がいくつかあるのを見て、私は真らしく見えるにすぎないものは一応虚偽とみなした。

デカルトほどの哲学者でも、哲学者として成功する自信がなかったそうです。

それほど世の中は複雑で、真理を探すのが難しいのです。


デカルトの名言集11

私は自分の行為をはっきりと見て、確信をもってこの人生を歩むために、真と偽りを区別することを学びたいという、何よりも強い願望をたえず抱いていた。

この辺りからデカルトは真理の追求に没頭していきます。


デカルトの名言集12

たくさんの部品を寄せ集めてつくり、色々な親方の手を通ってきた作品は、多くの場合、一人だけで苦労して仕上げた作品ほどの完成度が見られない。

一人で作るのと、大勢の人が関わるのでは、決定的に違うことがあります。

それは「ビジョンが共有されていない」ということです。

一人でモノづくりする場合にはビジョンを完璧に掲げられますが、大勢の人が関わる場合、それが難しくなります。

なので、クリエイティブさを要求するのではなく、作業を要求すれば上手くいくでしょう。


デカルトの名言集13

大人になる前の子供は、色々な欲求や教師たちに長いこと引き回される。

しかしそれらの欲求や教師はしばしばお互いに矛盾し、またどちらも恐らく、常に最善のことを教えてくれたのではない。

哲学者らしい難しい言い回しですが、要するに真理を理解している人間が少ないことを揶揄しているのです。

それぞれ自分が正しいことを主張しますが、ほぼ全ての人間が間違った意見を持っているので、全体考察した場合はどうしても矛盾してしまうのです。


デカルトの名言集14

私がその時までに受け入れ信じてきた諸見解全てに対しては、自分の信念から一度きっぱりと取り除いてみることが最善だ。

新しい知識(情報含む)を取り入れる場合、どうしても色眼鏡で物事を見てしまいます。

そのようになる理由とは、何らかの事前情報があったり、先入観があるためだと思います。

真実を理解するために、デカルトはそれらを一度を外すのを推奨しているのです。


デカルトの名言集15

私たちと全く反対の意見を持つ全ての人が、それゆえに野蛮で未開だというわけではなく、それどころか、多くの人が私達と同じかそれ以上に、理性を働かせていることに気づいた。

これも先入観で物事を見る危険性を語った名言だと思います。

勝手な先入観を持ってしまうと、物事の真理が見えなくなってしまうのです。


デカルトの名言集16

賛成の数が多いと言っても、何一つ価値のある証拠にはならない。

デカルトは、多くの人が間違った真理を理解していると考えていました。

なので、たとえ賛成の数が多かったとしても、それが正しいという証拠にはならないと考えていたのです。


デカルトの名言集17

法律の数がやたらに多いと、しばしば悪徳に口実を与えるので、国家はごくわずかの法律が遵守される時の方がずっとよく統治される。

法律の数が多すぎると、しばしばその内容が被って、矛盾を生じることがあります。

そのことを揶揄した名言です。


デカルトの名言集18

私が明証的に真であると認めるものでなければ、どんなことも真として受け入れないことにする。

とてもデカルトらしく、哲学者らしい名言だと思います。

この考えがコギトエルゴスムに繋がっていきます。


デカルトの名言集19

私が検討する難問の一つ一つを、出来るだけ多く、しかも問題をよりよく解くために必要な小部分に分解すること。

マクロで見た場合に難しかったとしても、ミクロに分解してしまえば、内容を理解することができるはずです。

これは難問を理解するアプローチ方法について語った名言だと思います。


デカルトの名言集20

一つのことから他の事を演繹(えんえき)するのに必要な順序を常に守りさえすれば、どんなに遠く離れたものにも結局は到達できるし、どんなに隠れたものでも発見できる。

意思決定できない人は、演繹法(演繹的論理展開)を活用するのが良いかもしれません。

演繹法を学べば論理的思考が身につくので、ビジネスパーソンには必要不可欠な考え方が手に入ります。


デカルトの名言集21

一つのことについては一つの真理しかないのだから、その真理を見つける人は誰でも、それについては人の知り得る限りのことを知っているわけである。

これはプロフェッショナルについて考える場合も同じだと思います。

世の中には様々な分野のプロフェッショナルがいますよね。

その人達はその分野の全ての知識を得ていて、実経験も豊富なのでプロフェッショナルと呼ばれているはずです。

これがプロフェッショナルの定義なのです。


デカルトの名言集22

私は哲学でまだ何も確実な原理を見出していないことに気づき、何よりもまず、哲学において原理を打ち立てることに努めるべきだと考えた。

デカルトは当時23歳だったそうですが、歳は若いのにかなり難しい事を考えていますよね。

デカルトの探求心が垣間見える名言だと思います。


デカルトの名言集23

極端からは最も遠い、一番穏健な意見に従って自分を導いていく。

もし意思決定できない場合、グレー(中道)を選択するのも良いとデカルトは言っています。

自分で意思決定ができないのに、「YES or NO」で判断してしまうと、後で修正するのが大変になるからです。


デカルトの名言集24

その人たちの意見が実際にどのようなものかを知るには、彼らの言うことよりもむしろ行うことに注意すべきだと思われた。

デカルトはほとんどの人が真理を理解していないので、知識に裏付けされる意見など意味がないと考えていたのです。

それゆえに、人となりを見るためには、その人の行動を見るほうが早いと言っています。


デカルトの名言集25

多くの人は自分が何を信じているか自分でも分からなくなっている。

これも哲学的な名言ですよね。

何も考えずに生きていると、このような人間になってしまうと思います。

人間の特徴は、自ら学んで思考することなので、その気持ちを絶やさないようにしましょう。


デカルトの名言集26

旅人は、あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならない。

これは人生を隠喩した名言です。

幸せな人生を生きるためには、歩く方向を定めなければいけません。

そうしなければ無駄が多くなり、結局目的地までたどり着くこともできないのです。


デカルトの名言集27

どれが最も真なる意見か見分ける能力が我々にない時は、最も蓋然性(がいぜんせい)の高い意見に従うべきだ。

蓋然性は「確実性」と言い換えることもできます。

つまり意思決定する場合には確実性のある証拠が必要になりますが、それすらない場合には、意思決定するのが難しくなります。

しかし、それでも意思決定しなければいけない場合、一度決めたことを決して覆してはならないとデカルトは言っています。

もしそれを覆すようなら、森の中をぐるぐる回ることになり、いつまで経っても結論にたどり着かないからです。

たとえそれが間違った選択だったとしても、いづれ何らかのゴール(結論)にはたどり着きます。

それを繰り返しながら修正していくのが大切なのです。


デカルトの名言集28

完全に我々の力の範囲内にあるものは、我々の思想しかないと信じるように自分を習慣づける。

これは真理を追求するための思考方法について語った名言です。

難しい言い回しをしていますが「完全に我々の力の範囲内」というのは、自分でコントロールできる範囲内ということです。

つまりその範囲を自分の世界と考えて、それ以外の思考(可能性含む)を排除してしまうのです。

そのように考えれば、自分が選択した判断がたとえ間違っていたとしても、この結論は不可避だったと考えることができるはずです。

これは非常にポジティブな考え方だと思います。


デカルトの名言集29

いくら良いものでも、我々の外にあるものはすべて等しく自らの力から遠く及ばないとみなせれば、生まれつきによるような良き物がないからと言って、自分の過ちで失ったのでなければ、それを残念に思わない。

「親ガチャ」という言葉がありますが、この名言はそれを一刀両断しています。

デカルト曰く、自分の力でコントロールできないものを嘆いても仕方がないのです。

重要なことは「自分の力で人生を切り開く」ことです。

自分の力が及ぶ範囲だけに集中しましょう。


デカルトの名言集30

ダイヤモンドのように腐らない物質でできた体や、鳥のように飛べる翼を持ちたいと望まないように、いわゆる必然を美徳とすることによって、病気でいるのに健康でありたいとか、牢獄にいるのに自由になりたいなどと望まなくなる。

これはポジティブに生きるために使える名言だと思います。

今の現状を美徳(=真理)とすれば、それ以外の考えはすべて偽りとみなすことができます。

哲学的な考え方ですが、これは真実だと思います。


デカルトの名言集31

仕事から得られる満足は私の精神を完全に満たし、他のことはすべて、心に触れなくなった。

お金を稼ぐために仕事をしたり、生活するために仕方なく働いている人がほとんどだと思います。

しかし本当に充実感のある仕事であれば、時間など気にせず年中無休で働いても苦にならないのです。

むしろそれで満足感が増していって、さらに人生が充実していくのです。


デカルトの名言集32

我々の意思は、知性がモノの善悪を表示するのに応じてのみ、それに従ったり、避けたりするのだから、よく行うためにはよく判断すれば十分であり、従って、最善を尽くすためには、つまり、あらゆる美徳と共に我々の手に入りうる他の全ての善を獲得するためには、出来る限りよく判断すれば十分なのである。

哲学者らしい難解な言い回しですが、これで言いたいことは「出来る限りベストを尽くせばOK」ということです。

結論はあくまでも結果論でしかありません。

最善を導こうとしても知識や経験にはバラツキがあるので、それを手繰り寄せることは困難なのです。

なのであくまでも状況判断に応じた最適解を求めれば良いのです。


デカルトの名言集33

私は疑うためにだけ疑い、常に非決定できないようにする懐疑論者たちを真似たわけではない。

デカルトのことを知っていくと、とにかく何もかも疑ってかかるので「単なる懐疑論者か…」と思ってしまうほどです。

しかし決してそんなことはありません。

デカルトは「私の精神に前から忍び込んでいたあらゆる誤謬を根絶していった」と語っています。

つまり、それが真理にたどり着くため、デカルトが選択したアプローチ方法だったということです。


デカルトの名言集34

私は検討する命題の虚偽あるいは確実性を根拠薄弱な憶測ではなく、明晰で確かな推論によって明らかにしようと努めて、どんなに疑わしい命題にぶつかっても、そこから常に、十分に確実な何らかの結論を引き出すことができた。

このステップはデカルトが真理にたどり着くために、かなり重要なポイントになっていると思います。

難しいので何を言ってるかわからないかもしれませんが、この名言が言いたいのは「不確実性からでも確実性が取れる」ことを発見したのです。

これはデカルトの思考を理解するためには、とても重要な名言だと思います。


デカルトの名言集35

感覚は時に私たちを欺くから、感覚が想像させる通りのものは何も存在しないと想定しようとした。

デカルトは思い込みや感覚で物事を判断しないように努めていました。

もはや病的にも思える言葉ですが、デカルトのアプローチとしてはこれが必要だったのです。

天才は難しいことを考えますよね。


デカルトの名言集36

全てを偽りと考えようとする間も、そう考えているこの私は必然的に何者かでなければならない。

これはデカルトが真理にたどり着いた時の名言です。

この段階でデカルトは「我思う故に我あり=コギト‐エルゴ‐スム(cogito, ergo sum)」という真理に気がついたのです。


デカルトの名言集37

どんな体もなく、どんな世界も、自分のいるどんな場所も仮想できるが、だからといって、自分が存在しないとは仮想できない。

デカルトは世の中全てのものに対して真理を求めました。

その結果、何も存在証明できないことを知ってしまったのです。

しかし、それを考えている自分自身がいることは証明できたのです。


デカルトの名言集38

私は一つの実態であり、その本質ないし本性は考えるということだけにあって、存在するためにどんな場所も要せず、いかなる物質的なものにも依存しない。

自分という存在がいることを証明するために、ここに立っているという証明はいらず、身体があるという証明すらいらなかったのです。

必要なのは「自分は思考している」ということだけだったのです。


デカルトの名言集39

我々が完全無欠ではないゆえに、我々の思考も全てが真ではありえないのだから、思考の持つ真理性は、夢の中においてよりも、むしろ目覚めて持つ思考において、間違いなく見い出されるはずである。

夢は夢でしかないため、その存在を証明するのが難しいです。

なので、むしろ目覚めて思考している状態の方が、デカルトにとっては証明しやすかったのです。


デカルトの名言集40

我々の住むこの世界が、私の提示したような具合に創造されたと推論するつもりはなかった。

デカルトは自分の考える真理に到達しましたが、それでも創造神の存在は認めていました。

というよりも「神=自然法則」と言った方が正しいですが、何らかの力で世界が構成されたのは事実だと考えていたのです。

それを証明することができないので、都合よく「創造神」という言葉を用いたのでしょう。


デカルトの名言集41

私の思索が大いに自分が気に入ったとはいえ、他人もまたおそらく、それ以上に気に入った自分なりの思索を持っている。

人は自分の知識や経験の範囲内で答えを導き出そうとします。

デカルトは自分なりのアプローチで真理にたどり着きましたが、人はそれぞれ自分の考えを持っているのです。

それを尊重しているような名言だと思います。


デカルトの名言集42

健康は紛れもなくこの世で最上の善であり、他のあらゆる善の基礎である。

精神状態はその時々のバランスによって変化しますよね。

人間の感情はとても不安定なので、人間が有能である証拠としては不十分なのです。

なので、まずは健康な体作りが必要不可欠のです。

そう考えた場合、健康でいることは紛れもない善だと言い切れます。


デカルトの名言集43

反論は有益であろうとも言える。

自分の意見が常に正しいはずありません。

反論意見はそれを気づかせてくれます。

実際に、自分一人の意見よりも、大多数の意見の方が見る角度が多いため、確実性が高いかもしれません。


デカルトの名言集44

私は、学校で行われている討論というやり方で、それまで知らなかった心理を何か一つでも発見したということを見たことがない。

討論というのは相手を打ち負かそうと懸命になってしまいます。

つまり論破しようとするのです。

なので論拠を考察するよりも、なんとなく真実味を強調することに注力してしまうのです。


デカルトの名言集45

私の思想を伝えることで、他の人々が受けるだろう利益について言えば、これもまたたいしたものではないだろう。

他人の考え方を全て理解するのは難しいと思います。

なぜかと言うと知識量が違うし、経験値も違うからです。

結局自分の考えを本当に理解できるのは、自分一人しかいないのです。


デカルトの名言集46

私は、私が見ている物は全て偽であると想定しよう。

世の中にある物体、形、運動、場所、時間などが全て幻想だったと仮定した場合、全てが偽であると言えます。

デカルトは「世の中には確実なものが何もない」ことだけが真実だと言ったのです。


デカルトの名言集47

何か最高に有能で狡猾な欺き手がいて、私を常に欺こうと工夫を凝らしている。

デカルトは、世の中には偽だらけなので、欺きの連続だと言っているのです。

しかし欺かれていること自体が真なので、「出来る限り私を欺くがよい」と語っています。

そうすれば自分が存在する確証に近づいていくのです。


デカルトの名言集48

驚きには、我々が対象の大きさに驚くか、それとも小ささに驚くかに従って、尊重と軽視とが結びつく。

驚きといっても、

  • 自分が想定したよりも凄くて驚く
  • 自分が想定したよりも駄目で驚く

の2種類があると思います。

それによって尊重(=尊敬)と軽視(=軽蔑)が出てくると言っているのです。


デカルトの名言集49

欲望はいつも未来に向かっていることが明らかである。

  • ブランド品が欲しい
  • 旅行に行きたい
  • 人から褒められたい

このような欲望を人間は持っています。

これらは全てポジティブな感情だとデカルトは言っています。

なぜかと言うと、全て変化を求めているからです。


デカルトの名言集50

執着というのは、自分にとって価値のあるものを所有し続けたいという欲望に関する「懸念」の一種である。

執着を「懸念」と表現するのはユニークですよね。

つまり失う可能性があるから、人間は執着するのだとデカルトは言っているのです。

その一方で、執着しているものに対して、非常に大きな尊重があるのも事実だと言っています。

つまり尊重しているからこそ失うのが怖くて、故に執着するということです。


デカルトの名言集51

残念とか後悔とかを起こすものは、ただ不決断のみです。

精神が弱い人は、結果が出る前に「自分の選択は間違っていた」と勝手に思い込んでしまいます。

しかし、自分で判断したのであれば後悔したり残念に感じる必要などないのです。

一番重要なことは結果ではなく、自分の意思で判断することなのです。

まとめ

ここまでルネ・デカルトの名言集を解説してきました。

偉大な哲学者であり賢人として知られているデカルトですが、その考え方を少し理解するだけでも、世の中の見え方は違ってくるはずです。

デカルトの名言から、生きる為の知恵を学びましょう!

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