「隣り人を愛し、敵を憎め」と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。
しかしわたしはあなたがたに言う。
敵を愛し、迫害する者のために祈れ。
<マタイによる福音書 5章43~44節>
これは一見すると博愛主義のように感じますが、決してそうではありません。
キリスト教における「隣人を愛する」という考え方は、敵と味方をきちんと区別する前提に立っています。
その上で敵を愛することを推奨しているのです。
敵には誰しも憎しみが湧きますが、それを上回る愛情を持てれば、愛することができると言っているのです。
あなた方を迫害する者を祝福しなさい。
祝福して、呪ってはならない。
喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
<ローマ人への手紙 12章14~15節>
憎しみは無限に連鎖していきます。
その鎖を断ち切るためには、どこかで真逆の行動をとらなければいけません。
キリストはそのような行動力を教徒に求めたのです。
あなたは施しをする場合、右手のしていることを左手に知らせるな。
それは、あなたのする施しが隠れているためである。
<マタイによる福音書 6章3~4節>
「右手のしていることを左手に知らせるな」という部分は、キリスト教お得意の隠喩表現です。
この部分には「施したことを人に教えるな」という意味がある一方、「施したことを他人から褒めてもらおうとするな」という戒めも含まれています。
そのような施しは良い行為ですが、それによって救われようとしてはいけないと諭しているのです。
善行は全ての人間がやるべきことで、救いは信仰によってのみ実現すると考えられているのです。
あなた方は自分のために、虫が食い、さびがつき、また盗人らが押しって盗み出すような地上に宝を蓄えてはならない。
むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また盗人らが押し入って盗み出すこともない天に宝を蓄えなさい。
<マタイによる福音書 6章19~20節>
地上とは現実社会のことを言っています。
そこに財産(金銭や名誉など)を蓄えるのではなく、天に宝を蓄えるように推奨しているのです。
ちなみに天に蓄える宝とは「神に対する信仰心」のことを言っています。
そのような信仰心は虫も食わず、錆びることもなく、盗人に盗まれることもないのです。
誰もふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
あなた方は神と富とに兼ね仕えることはできない。
<マタイによる福音書 6章24節>
キリスト教にとって、富はしばしば批判の対象にされています。
富は権力化することがあるので、それによって信仰心が薄くなってしまうからです。
そのような膨れ上がった富は、自力で救済するように動き出します。
そうではなくて、キリスト教では信仰心によってのみ救済されることを求めているのです。
宴会を催す場合には、貧しい人、体の不自由な人、足の悪い人、目の見えない人などを招くがよい。
そうすれば彼らは返礼ができないから、あなたは幸いになるであろう。
正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう。
<ルカによる福音書 14章13~14節>
人から与えられることを求めるのではなく、人に与えることをキリスト教は推奨しています。
そのような考え方を教えてくれる名言だと思います。
この水を飲む者はだれでも、また乾くであろう。
しかし、私が与える水を飲むものは、いつまでも乾くことがないばかりか、私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう。
<ヨハネによる福音書 4章13~14節>
これはサマリヤ人の女にイエスが言った言葉です。
「私が与える水」とは、イエスによる救済を意味しています。
口から水を飲んでも、時間と共にまた喉が渇きますが、イエスによる救済は人生を豊かにするだけでなく、最後の審判によって永遠の命も得られると言っているのです。
よく聞きなさい。
心を入れ替えて幼な子のようにならなければ、天国に入ることはできないであろう。
この幼な子のように自分を低くする者が、天国で一番偉いのである。
<マタイによる福音書 18章3~4節>
これは権力争いをする人々を見て、キリストが言った名言です。
イエスは地上での富(金銭や名声など)を求めるのではなく、信仰心を高めるように説いたのです。
それ自体汚れているものは一つもない。
ただ、それが汚れていると考える人にだけ、汚れているのである。
<ローマ人への手紙 14章14節>
これは物理的な「汚れている」という考えではなく、精神的な話になります。
人間としての内面が汚れている人にとっては、何でも汚れている状態になってしまうのです。
試みる者が来て言った、「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい。」
イエスは答えて言われた「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉で生きるものである。」
<マタイによる福音書 4章3~4節>
ここで言われている「試みる者」とは悪魔のことです。
イエスが断食している時、石をパンに変えるように悪魔が挑発してきたのです。
しかし、イエスは神によって救われると考えていたため、その挑発には乗らなかったのです。
私はよい羊飼いである。
よい羊飼いは羊のために命を捨てる。
羊飼いではなく羊が自分のものでもない雇人は、狼が来るのを見ると羊を捨てて逃げ去る。
そして狼は羊を奪い、また追い散らす。
<ヨハネによる福音書 10章11~12節>
ここで言う「羊飼い」とは、救世主を意味しています。
羊というのは、救いを求めるキリスト教徒のことです。
それを救う役目がイエス・キリストだと言っているのです。
まとめ
ここまで聖書に記載された名言を厳選して解説しました。
イエス・キリストの思想や考え方が理解できたはずなので、ぜひこの知識をあなたの人生やビジネスに活かしてください。