聖書の名言11

平和をつくり出す人たちはさいわいである。

彼らは神の子と呼ばれるであろう。

<マタイによる福音書 5章9節>

平和を実現するために、罪を持たないイエス・キリストが十字架に磔にされ処刑されました。

この犠牲があったおかげで、人間は平和を享受できていると、キリスト教徒は考えているのです。

しかし実際には世の中に悪が蔓延しているので、本当の平和が訪れるのは最後の審判のタイミングです。

つまりイエスが復活し、悪を滅ぼし、神の子だけを救うのです。


聖書の名言12

からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。

むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のある方を恐れなさい。

<マタイによる福音書 10章28節>

キリスト教徒は、自分は選ばれた存在なので、神によって地獄に落とされることは無いと確信しています。

しかし、それができる神の力を恐れてもいるのです。


聖書の名言13

わたしがあなた方をつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。

だから、へびのように賢く、はとのように素直であれ。

<マタイによる福音書 10章16節>

世の中には悪が蔓延しているので、賢いだけでなく、時には素直でなければ、生き残れないのです。

ちなみにキリスト教における蛇とは、一般的に「邪悪な者」「悪魔」などを意味しています。

アダムとイブをたぶらかせ、原罪を負わせた存在も蛇なのです。


聖書の名言14

地上に平和をもたらすために、私がきたと思うな。

平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。

私が来たのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をその姑と仲違いさせるためである。

そして家の者が、その人の敵となるであろう。

<マタイによる福音書 10章34~36節>

この名言は人間関係を崩壊させるような印象を持ちますが、信仰心について説いた言葉なのです。

この名言の中に出てくる「つるぎ=信仰心」なので、信仰心が強い人ほど、身内と仲たがいする可能性があることを諭したのです。

つまり、身内がキリスト教信者でなければ、わかり合うことなどできませんよね。

それほどの覚悟を持たなければ、神から救われることは無いと言いたいのです。


聖書の名言15

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。

しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。

<ヨハネによる福音書 12章24~25節>

キリスト教における最後の審判では、死んだ人も復活すると考えられているので、純粋なキリスト教徒はそれほど死を恐れていません。

そのような前提に立った上で、自己犠牲を払うように諭しているのです。

この名言に出てくる「一粒の麦」とはあなたのことです。

自分に厳しく律すれば、多くの人を助けることに繋がっていき、豊かな実を結ぶようになると言っているのです。


聖書の名言16

キリストの力が私に宿るように、むしろ喜んで自分の弱さを誇ろう。

だから私はキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。

なぜなら私が弱いときにこそ、私は強いからである。

<コリント人への第二の手紙 12章9~10節>

キリスト教では「信仰心が強い人は必ず神から救われる」と考えられています。

なので、罪にまみれ、弱さを背負った自分でも良いのです。

そのような人でも、最終的には神から救われる強人になれるからです。


聖書の名言17

すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。

あなたがたを休ませてあげよう。

私は柔和で心のへりくだったものであるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。

そうすればあなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

<マタイによる福音書 11章28~30節>

これはルールに縛られている人に対して、キリスト教をPRしている言葉だと思います。

この名言の中に出てくる「重荷」とは律法のことです。

色々面倒なルールに縛られることを、イエス・キリストは重荷だと表現しているのです。


聖書の名言18

患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出す。

<ローマ人への手紙 5章3~4節>

患難(かんなん)は悩みや苦しみのことを言います。

それらは忍耐を生み出して、苦しみに耐える事は錬達(れんたつ)を生み出します。

ちなみに「練達」とは、ものごとを熟知し達人の域にあることを言います。

そのような人は世の中に希望を与えるのです。


聖書の名言19

たとい私たちの内なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。

なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、溢れるばかりに私たちに得させるからである。

私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。

見えるものは一時的であり、見えないものは永久に続くのである。

<コリント人への第二の手紙 4章16~18節>

私たちはいつか死にますが「イエス・キリストが救世主だ!」と信じる人は、最後の審判によって永遠の命を得るのです。

目に見える現実世界は一瞬で終わり、本当の平和は永遠に続くと考えているのです。


聖書の名言20

私の兄弟たちよ。

あなた方が色々な試練にあった場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。

あなた方の知っている通り、信仰が試されることによって、忍耐が生み出されるからである。

だから、なんら欠点のない完全な出来上がった人となるように、その忍耐力を十分に働かせるがよい。

<ヤコブの手紙 1章2~4節>

先ほど解説したように、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出します。

よって、困難な試練を喜びなさいと言っているのです。




関連キーワード
営業系の副業情報サイト「side bizz」

営業系の副業を探すならside bizz(サイドビズ)を要チェック!

サイドビズには”紹介するだけで稼げる”副業情報が多数掲載中!

サイト利用料は全て無料(0円)!

おすすめの記事