
誰でも「ココ・シャネル」という女性の名前を一度ぐらい聞いたことがあると思います。
ココ・シャネルは保守的なファッション業界に革命をもたらし、「シャネル帝国」と呼ばれる一大ブランドを築き上げました。
その創業者が残した言葉には、きっと学びが多いはずです。
そこで今回はココ・シャネルの名言をまとめてみました。
ぜひ最後までご覧ください。
ココ・シャネルとは?
ココ・シャネル(本名:ガブリエル・シャネル)は、あの世界的に有名なラグジュアリーブランド「CHANEL( シャネル)」の創業者兼デザイナーです。
20世紀を代表するファッションデザイナーですが、ココ・シャネルの生き方が反映された「シャネルスタイル」は多くのファンを惹きつけてやみません。
例えば黒いワンピース、ジャージ素材の服、ツイードの服、マリンルック、パンタロン、プリーツスカート、ショルダーバッグなど、今では当たり前になったファッションアイテムも全てシャネルが生み出したものなのです。
普遍的なスタイルを追求したココ・シャネルは、とても自分に厳しい人だったと言われています。
そのような人生を送ったシャネルの名言は、きっと現代ビジネスにも通用するはずです。
ココ・シャネルの名言集まとめ
香水で仕上げをしない女に未来はない。
この言葉はフランスの作家「ポール・ヴァレリー」の名言ですが、ココ・シャネルはこの言葉をとても気に入っていたそうです。
- いい体臭の人なんていない
- 香水をつけないなんて図々しい
シャネルはこのような考え方を持っていました。
最後の仕上げに手を抜く人は、まだまだ二流なのです。
香水はまさに究極のアクセサリー。
ココ・シャネルは「香水ビジネス」を世界で初めて成功させた人物です。
なので香水に関する名言は数多く、香水の使用を常に推奨していました。
シャネルは「どの香水をつけるか?」「香水をどれくらいつけるか?」というのも個性だと捉えたのです。
欠点は魅力の一つになるのに、みんな隠すことばかり考える。
欠点をうまく使いこなせばいい。
これさえうまくいけば、なんだって可能になる。
欠点は誰でも隠したくなりますよね。
しかし見方を変えれば、欠点すらも個性になるのです。
ファッションについても同じです。
欠点をうまく見せることで「お洒落!」と言われる可能性があるのです。
花束は嫌い。
椿(カメリア)が一輪あれば充分。
椿(つばき)はシャネルのブランドシンボルになっている花ですよね。
この名言の真意は定かでありませんが、いくつかの説が存在しています。
- 椿の花がシンプルで美しいから
- 椿の枯れ方は潔いから
- 匂いはきつくないが存在感はあるから
どれが本当かわかりませんが、ココ・シャネルが椿という花を愛していたのは事実だと思います。
メイクは、他の人のためにするのではなく、自分のため。
一般的には、外で恥をかかないようにメイクをしますよね。
又は、周りからよく見られたいと考えるので化粧するはずです。
しかし、シャネルの考えるメイクとは、自分の気持ちを高める術だったのです。
私は自分の髪を切っただけ。
そうしたらみんなが真似をして髪を切った。
それだけのこと。
ココ・シャネルは、有名ブランドのファッションデザイナーなので、良くも悪くも人から注目される立場の人でした。
しかしそれを面倒に思ったり、嫌だと感じたことはないそうです。
なぜかと言うと、人から真似されるのは「魅力がある証拠」だと理解していたからです。
醜さは許せるけど、だらしなさは絶対許せない。
この名言が指す「だらしなさ」とは外見を意味しています。
容姿の良し悪しは人の個性ですが、だらしなさは内面から生まれるのです。
秩序にはうんざりする。
無秩序こそがラグジュアリーなのだ。
ルールに縛られたり、それに対して疑問を持たないことは脳死している状態だと思います。
ココ・シャネルはそのような状態を極端に嫌ったのです。
なので、この名言の「ラグジュアリー」には、「自由」「美」「希望」という意味が込められているのでしょう。
常に除去すること。
付け足しは絶対にいけない。
- 常に除去する
- 削ぎ落とす
- 無駄をなくす
これはココ・シャネルが服を作る上で信条にしていた考え方です。
これを貫いた結果、シャネルスタイルが完成したのです。
奇抜さはドレスではなく、女性の中になくてはならない。
外見をどれだけ華やかに着飾ったところで、内面が貧相であれば意味がありません。
内なる個性を磨きましょう!
仕事のための時間と恋愛のための時間がある。
それ以外の時間なんてあるわけがない。
ココ・シャネルは恋多き女と言われていました。
しかしその経験が優れた作品に繋がっていったのです。
「経済力がないから離婚できない」と、クヨクヨする暇とエネルギーがあるなら、それを使ってさっさと人生を変えなさい。
行動できない理由を他に転嫁することを、ココ・シャネルは許しませんでした。
行動すれば人生は変わることを、自ら実践していたからです。
モードではなく、私はスタイルを作り出したのだ。
これはシャネルの哲学に通じる名言です。
「モード(=流行)は変わるけれど、スタイル(=生き方)は普遍」というのが、ココ・シャネルの信条でした。
その考えをファッションに落とし込んだのです。
シンプルで、着心地がよく、無駄がない。
私はこの三つのことを自然に、新しい服装に取り入れていた。
「シンプルで、着心地がよく、無駄がない」というのは、シャネルスタイルの基本です。
ココ・シャネルは、ただ当たり前のことを愚直に実践しただけなのかもしれません。
ジャージを使うことで、私はまず締め付けられた肉体を解放した。
当時の女性は腰をコルセットで巻き、タイトな服で動きづらい格好していました。
その状態を打破するため、ココ・シャネルはジャージ素材を採用したのです。
ジャージ素材は男性の下着に使われる程度の生地だったので、この発想はとても奇抜に映りました。
表以上に裏が大切。
本当の贅沢は裏にある。
当時のシャネルは、コートの裏地に毛皮を使っていたのです。
「毛皮は暖かくするためのもので、見せびらかすものではない」というココ・シャネルの信条のもと、裏地に贅沢な毛皮を使用したのです。
機能的で無駄がなくシンプル…
シャネルらしいデザインは世界的に大流行しました。
宝石好きの女たちは、首の周りに小切手をつけているようなものだ。
宝石ばかり身に纏っている女性のことを、ココ・シャネルはとても軽蔑していました。
お金をかけることでしかファッションを楽しめない貧弱なセンスを軽蔑したのです。
ココ・シャネルは、もっと自由に個性が主張できる服装を好んだのです。
私は、それを付けただけで神秘的に魅力的になるような香水、世界で一番高価な香水を作った。
シャネルの「No.5」は世界で最も有名な香水だと思います。
この香水を作る過程で、試作品が出来上がった時、ココシャネルは迷わず5番を選んだそうです。
なぜかと言うと、「5」という数字はココ・シャネルのラッキーナンバーだったからです。
その試作品ナンバーを、そのまま製品名にするセンスもさすがですよね。
たくさんの色を使えば使うほど、醜くなるというのを、女たちは気づかない。
シャネルの代名詞といえば黒色ですよね。
シンプルが大好きなココ・シャネルは、黒や白の服を好んだのです。
なぜかと言うと「黒は全ての色に勝る」と考えていたからです。
見た目がシンプルなシャネルの服を、「貧しい服だ」と世間が批判することもありました。
その時に言った名言がこちらです。
「シンプル」と「貧しさ」を取り違えるほど馬鹿なことはない。
ココ・シャネルは「上質な布地で仕立てられ、贅沢な裏地をつけた服が貧しいはずがない」という信念を貫き通したのです。
パーティーで黒か白のドレスを着た女は誰よりも目を引く。
ココ・シャネルにとって、黒と白は絶対的な美であり、完全な調和だったのです。
この二色をシャネルは好んで使用していました。
私はシャネルスーツを二着持っている。
この二着で私はいつもちゃんとした格好をしていられる。
これがシャネルというものだ。
シャネルは、数多くの服を世の中に発表してきましたが、最終的にたどり着いた服装がシャネルスーツだったのです。
ココ・シャネルが亡くなった時、クローゼットにはシャネルスーツが二着かかっているだけだったそうです。
仕事のためには、全てを犠牲にした。
恋でさえ犠牲にした。
仕事は私の命を貪り食った。
この言葉は、ココ・シャネルの覚悟を表した名言だと思います。
何かを成し遂げるためには、何かを諦めなければいけません。
リスクとリターンは常にトレードオフの関係にあるのです。
人は非常事態の中で才能を表すものだ。
ぬるま湯に浸かっている状態では、人間は成長できません。
人間の本領は、追い込まれた時に発揮されるのです。
新しい世紀の児である私は、新しい世紀を服装で表現しようとしたのだ。
ココ・シャネルは、ファッション業界にイノベーションをもたらしました。
その結果「皆殺しの天使」と呼ばれたのです。
イノベーションとは「新しく創造する」ことを意味しますが、その裏側には「古いものを破壊する」という意味が隠れているのです。
私は自分が着たい服を着ただけ。
私はいつだって自分が着たいと思うもの以外作らない。
この言葉には職人としてのこだわりが感じられますよね。
ファッションデザイナーであり、モデルとしての役割もあったココ・シャネルならではの名言だと思います。
私は人を判断するのにお金の使い方で見分けることにしている。
ココ・シャネルはビジネスで大成功したのですが、稼いだお金は「芸術家」に投資していたそうです。
モノを所有することに興味がなかったシャネルは、新しい「美」を生み出すためにお金を使ったのです。
私はずいぶん騒がれる存在になったが、夜は滅多に外出しなかった。
だからかえって、みんなに求められたのだろう。
「希少性の原理」という心理術があります。
「残り1個」とか「期間限定」と言われると、そのモノの価値が上がってしまうのです。
ココ・シャネルは、まさにそのような存在だったのかもしれません。
コピーされることは賞賛と愛を受け取ることだ。
人からコピーされることをココ・シャネルは「賞賛」と捉えていました。
「よくできた服は誰にでも似合う服である」
このように思っていたシャネルは、誰にでも似合う服だからコピーされると考えていたのです。
ということは、自分が作る服は「よくできた服」だと、他のデザイナーから証明されている服だと言って回ったのです。
モードは死ななければならない。
それもできるだけ早く。
そうでなければビジネスにならない。
ココ・シャネルは「モード(流行)」を嫌っていました。
モードは時代によって移り変わってしまうので、普遍的なファッションにならないのです。
モードを追いかけることは自転車操業なので、大きなビジネスにならないと考えていたようです。
私には一つの時代が終わるという考えがあった。
ドレスを作るような時代ではないと思った。
長い沈黙の時代が始まった。
ココ・シャネルはファッション業界で大成功しますが、56歳の時に転機が訪れます。
何もかもうまくいかなくなったタイミングで、第二次世界対戦が勃発したため、経営していたメゾン・シャネルを閉める決断をしたのです。
もちろん従業員も大半を解雇し、生きがいとなっていた仕事をやめることになるのですが、この決断力は経営者として学ぶべき部分があると思います。
人がなんて言おうと平気。
コレクションが終わった時は、自分が全力を尽くしたことで私は満足だから。
シーズン毎のコレクションは、ファッションデザイナーにとって大仕事だと思います。
そのコレクションに対してあれこれ批評が出るケースもありますが、ココ・シャネルは気にしていなかったようです。
人生の主人公は自分なので、自分が満足できればそれで良かったのです。
私はビジネスウーマンにならずにビジネスをやってきた。
ココ・シャネルは自分が着たい服を作ったり、自分がつけたい香水を作ってきました。
それが結果的に大きなビジネスになったと言っています。
とにかく私はスタッフの二倍働いた。
毎日飲み歩いたり、怠慢な経営者が多い中で、この名言はとても素晴らしいと感じます。
スタッフは上司の背中を見て育ちます。
人を扱うマネージャーは心得ておきましょう。
誰も私に何一つ教えてくれなかった。
私は全てを自分一人で覚えた。
ココ・シャネルはファッションデザイナーとして勉強をしたり、メゾンで修行した経験すらなかったそうです。
全て独学で学び、これほどの偉業を成し遂げたのです。
かけがえのない人間であるためには、人と違っていなければならない。
ココ・シャネルは、同調圧力を非常に嫌っていました。
人と違うことを美徳としたのです。
人と同じことをしても成功できないのを理解していたのでしょう。
私は、私の人生を作り上げた。
なぜなら、私の人生が気に入らなかったからだ。
自分の人生は自分の力で変えられるのです。
色々嘆くより、まずは行動しましょう。
人間の生まれの違いからくる幸、不幸。
そのハンディキャップを考える時、出だしが不幸だったことを私は全然恨んでいない。
たとえ出発点が劣っていたとしても、人生は自分の力で変えられるのです。
私はいつも、とても傲慢だった。
自分の考えをおし曲げたり、命令に従ったりするのは大嫌いだった。
傲慢さは私の性格の鍵であり、成功の鍵でもある。
ココ・シャネルは自分のことを「傲慢(ごうまん)」だと表現します。
しかし、この言葉の裏側にはストイックさが隠れているのです。
つまり謙虚な人間は、楽な道を選んだり、他人との衝突を避けようとしますが、シャネルはそれを良しとしなかったのです。
どんなにつまらない本でも必ず何か言いたいことがあり、何かしらの真実がある。
本を書く人は、世の中に対して何か言いたいことや、発信したいことがある人だと思います。
もちろん特定分野のプロフェッショナルもいるでしょう。
そのような書籍からは、学ぶべきことが多いはずです。
そのような姿勢で本を読むのか、何も考えずに読むのかでは、得られる効果が違ってくると思います。
友人から忠告されるのは嫌い。
それは頑固だからではなく、私が影響されやすい性格だから。
ココ・シャネルは自分のことをよく理解していたのでしょう。
実はとても情に厚い人だったのかもしれません。
どのような生き方をしてきたか、どのような生き方をしているのか。
それは顔に表れる。
若い頃は自然な顔つきだと思いますが、年をとるごとに、顔つきは生活習慣に影響されてきます。
そして晩年になってくると、その人の人生が顔つきに現れてくるのです。
私はこうなりたいと思い、その道を選び、そしてその想いを遂げた。
そのためにしたことで、人に嫌われたり、嫌な女だったとしても仕方ない。
全員から好かれることは絶対に不可能だと思います。
多少人から嫌われたとしても仕方ありません。
自分の信じる道を進みましょう。
56歳の時にメゾン・シャネルを閉じて、ココ・シャネルは表舞台から姿を消しました。
しかし70歳を過ぎた頃、ファッション業界の第一線に戻ってきたのです。
その時、知人から「どうしてそんな厄介なことをまた始めたの?」と言われた返答がこれです。
すごくうんざりしているの。
あなたなんかにわからないわ。
シャネルが復帰した頃、自分の信じるスタイルは淘汰され、新進気鋭のデザイナーがモードを作り上げていました。
恐らくそれが許せなかったのだと思います。
第一線に復帰したココ・シャネルは、仕事という生きがいをまた見つけました。
その時の名言がこれです。
退屈していたの。
それに気付くのに15年かかった。
無よりも失敗を選ぶわ。
シャネルの生き様が伝わってくる言葉ですよね。
私は自分で引いた道をまっすぐに進む。
自分が勝手に選んだ道だからこそ、その道の奴隷になる。
何をするかは自分で決められます。
しかし、その選択には責任が伴うのです。
自分が選んだ道はしっかりやり遂げましょう。
人が何を残せるのかといえば、人生の中で何を考え、何を愛してきたかということだけ。
将来何が起こるかは分かりませんが、それはあくまでも結果論でしかないのです。
つまりこれまでやってきたことが点となり、それが最終的に線になって繋がっただけなのです。
日曜日は大嫌い。
誰も働かないから。
これはココ・シャネルの仕事観が伝わってくる名言だと思います。
- 働くのは嫌だ
- 仕事は辛い
- 月曜日が憂鬱
このように考えている人は、きっと仕事が楽しくないはずです。
本当に楽しい仕事が見つけられれば、人生は充実していくのです。
私は確かな「嫌悪の精神」をもっている。
ココ・シャネルは反骨精神の塊でしたが、その内側には「嫌悪の精神があった」と語っています。
別の言い方をすると「居心地の悪さ」「気持ち悪さ」「眩暈(めまい)」とも言えますが、世の中に対する不満を改善しようとしたのです。
それこそが強い動機になり、シャネルが成功した鍵となったのです。
まとめ
ここまでココ・シャネルの名言を解説してきました。
世界有数のメゾンを立ち上げ、ファッション業界に革命をもたらした女性の言葉は重みがありますよね。
とにかく自分の信じる道を突き進んだストイックさは、ビジネスパーソンにとって学ぶべき部分が多かったと思います。
ここで得た知識を、仕事やプライベートにぜひ活用してください。