会社と社員も、社長と社員も、持ちつ持たれつ。
ニトリでは、誰が偉いということはないそうです。
もちろん役職はあるのですが、ビジネスは常に平等で、対等であるという考えに基づいています。
なので、役職に関係なく、全ての社員を「さん付け」で呼ぶ文化になっているそうです。
この仕組みによって、マネージャーも新卒社員も、お互い一人の人間として、対等に認め合うことができたそうです。
ある人と上手くやっていこうと考えたら、相手の短所は自分が補ってやり、自分の足りないところを相手に補ってもらう。
これがチーム力を強化する秘訣だと似鳥昭雄は語っています。
大事なのは、考えすぎないこと。
考えすぎると臆病になるので、結果的に行動できなくなります。
そうするとチャンスを逃してしまうので、成功できなくなってしまうのです。
なんでも一番でなければいけません。
これはゆとり教育に”喝”を入れる名言ですよね。
ニトリでは「一番主義」を掲げているので、何でも一番を目指す社風があるそうです。
なぜ一番を目指すのかといえば、圧倒的なアドバンテージが手に入るからです。
例えば、日本で1番高い山といえば富士山ですよね。
それでは、2番目に高い山はどこでしょうか?
日本で1番大きな湖といえば琵琶湖ですよね。
同じく、2番目に大きな湖を知っているでしょうか?
1番と2番では、それほど知名度に差が出てしまうのです。
何が問題で、何が課題であるか知るためには、頭で考える前に実際にやってみることが大切です。
机上の空論ではなく、自分の体で体験すれば、これまで気づかなかったことにも気が付くそうです。
似鳥昭雄は、頭で色々考えるのではなく、自分の目と身体で確かめることを推奨しています。
昔から「役員全員に反対されたものは絶対にやるべき」というのが私の中の鉄則でした。
なんとなくワンマンなイメージがする言葉ですが、似鳥昭雄がこのように考える理由とは、役員が常識人だからです。
一般的な役員は保守的なので、大きなリスクを冒そうとはしません。
普通の行動では「売上2倍」が達成できたとしても、「売上100倍」にすることはできないのです。
簡単にできるようなことなら、とっくに誰かがやっています。
目の前に高い壁が立ちはだかると、人間は諦めたくなります。
でも、難しいからこそ挑戦する価値があるのだと思います。
高い目標と強い志がなければ、努力は続けられないからです。
常にチャレンジ精神を持つようにしましょう!
人が育てば、事業は狙い通りに成長していくものです。
ニトリはフランチャイズ制を取らず、全て直営方式にこだわっているそうです。
何でも自分たちでやれば、そのぶん経験が身に付くので、スペシャリストと呼べる社員がたくさん出てくるのです。
「人の育て方」という部分にフォーカスした場合、直営方式が一番合理的だと語っています。
これまで値段が高くて普及していなかった種類の製品を、自社生産することで安く世の中に提供し、誰もが使える商品にしていく。
それはニトリのポリシーでもあります。
ニトリのポリシーは「とにかく安く提供する」ことです。
「1に安さ、2に安さ、3に安さ、4に品質、5にコーディネート」という標語があるぐらい、安さはこだわっているそうです。
社長というのは、我慢が仕事です。
これは経営者の苦労を感じさせる名言ですよね。
今では大企業となったニトリですが、ここに至るまでは何十回もガックリくるようなことや、逆境と言える出来事がたくさんあったそうです
その中でも、社員のクーデターには頭を悩まされたそうです。
優秀な人材をヘッドハンティングすると、その人が数人の部下を引き連れて入社してきます。
その結果、社内派閥が出来上がってしまうのです。
そうすると、思い上がった人がクーデターを起こそうと動き出すので、会社内がグチャグチャになるそうです。
そのような経験から、今でもニトリでは社内派閥を作るのが禁止になっています。
苦しい時期を我慢して、逆境乗り切って初めて、運が出てくるのです。
普段から努力し続けていれば、どんな困難な状況だったとしても、必ず状況は好転していきます。
諦めずに努力するからこそ、運が向こうからやってくるのです。
似鳥昭雄は”家具業界の海賊”
ここまでニトリ創業者『似鳥昭雄』の名言集をご紹介してきましたが、見事なぐらいの叩き上げなので、「自分も頑張ろう!」という勇気が湧きますよね。
顧客ニーズを満たす為なら「やれることは何でもやる!」という精神の経営者なので、とにかく行動力が凄まじい印象でした。
一つ逸話をご紹介すると、お客様への提供価格を安くするために、似鳥昭雄は「卸問屋を通さないやり方」について色々と考えたそうです。
その結果、メーカーとの直接取引を思いついたそうですが、家具業界はとても古くて、問屋を通すのが当たり前の商習慣になっていたのです。
なので、メーカーとの直取引することは業界として”御法度”で、そのような無法者は締め出しを食らうハメになります。
それでも消費者への提供価格を少しでも安くするため、まずは卸問屋の営業マンを接待して丸め込み、どのメーカーと取引しているのか情報収集をしたそうです。
そして話を聞いてくれそうなメーカーへと入り込み、直接交渉する機会を貰えたそうですが、やはり卸問屋を通す商習慣は変えられなかったそうです。
メーカー側にとっても、小売店(=似鳥昭雄)と直取引するのはリスク(問屋から締め出しを食らう)が大きいので、首を縦に振ってくれるメーカーは一つもありませんでした。
そこで似鳥昭雄は「誰もいない真夜中にトラックで取りに来て、その場で現金を支払うので売ってくれませんか?もちろん内緒にします。」と交渉したのです。
やはり目の前の札束は効いたようで、「それなら…」と渋々あるメーカーが了承してくれたそうです。
しかし卸問屋を通していない裏取引商品が店先に並んでいるのを卸問屋が見つけて、徐々にメーカーから取引NGを言われるようになってきました。
すると似鳥昭雄は、札幌がダメなら旭川、旭川がダメなら帯広…と、直取引してくれる北海道各地のメーカーを転々と渡り歩いたそうです。
そして北海道が全滅したら、次は青森、青森がダメなら岩手…
という具合で南下していき、最終的には九州にまでたどり着いたそうです。
とにかく直接取引してくれるメーカーがあるなら、日本全国どこへでも行ったみたいですね。
しかし九州でも取引停止をくらうと、もう日本は全滅です。
どこにも似鳥昭雄と直取引する勇気があるメーカーはいません…
それでも歩みを止めることはなく、「次は世界だ!」ということで近場の韓国へと飛んだそうです。
この頃の心境はさながら「逃亡犯」の気持ちだったそうですが、少しでもお客様へ安く提供するため、韓国や中国など海外の仕入先を開拓していったのです。
業界の商習慣すらぶち壊して、とにかくお客様のために汗をかき続ける”行動力”は、営業マンの鑑だと思います。
とんでもないバイタリティーで事業を拡大していった、まさに「海賊」のような人物が似鳥昭雄ですが、同じく行動派の経営者といえば、出光興産創業者の『出光佐三(いでみつさぞう)』を思い出します。
アポロステーション(ガソリンスタンド)で有名な出光石油の創業者が出光佐三です。
会社倒産の危機に何度も陥りながら、持ち前のガッツで日本を代表する大企業にまで育て上げた、こちらも「海賊と呼ばれた男」です。
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