内村鑑三の名言11

真理は円形に非ず楕円形である。

内村鑑三は中心が2つある楕円形こそが真理だと考えていたようです。

なぜかといえば、世界は相対的なので、必ず自己と他己が存在しているからです。


内村鑑三の名言12

実際的方面に於いて宗教は慈愛と審判である。

これはキリスト教の神髄について語った名言です。

慈愛というのは『愛』であり、審判というのは『義』を意味しています。

このように紐解くとしっくりきますが、この辺りを理解するためには儒教についても学ぶべきでしょう。

儒教の祖といえば孔子ですよね。

孔子の名言集は下の記事をご覧ください。


内村鑑三の名言13

無教会は進んで有教会となるべきである。

内村鑑三は無教会主義者ですが、その主義とこの言葉は矛盾しますよね。

しかし内村鑑三が提言しているのは、物理的な教会を作るという話ではなく、形のない団体(=有教会)にするべきということです。

つまり『その団体がみんなの拠り所となる』ということです。


内村鑑三の名言14

余に一つ耐えられない事がある。

其事は人が他の人を己の宗教に引入れんとする事である。

内村鑑三は「信教の自由」を掲げているので、自分が信じる宗教を自ら選ぶのが正解だと考えていたようです。

新興宗教は信者集めに必死ですが、それはやはりビジネスとしての側面が大きいからでしょう。

本当の拠り所となる宗教は、きっと勧誘などしないのだと思います。


内村鑑三の名言15

余は日露非開戦論者である許りではない、戦争絶対的廃止論者である。

内村鑑三は戦争を否定していました。

その理由は「戦争は人を殺すのでダメ」というシンプルなものです。

とても分かりやすいですよね。


内村鑑三の名言16

顧みれば余の人生にも亦重大なる危機があった。

その時何かの助けが来らざりしならば狂か自殺か余は到底起つ事ができなかったのである。

内村鑑三の人生も、決して平坦ではなかったようですね。

誰にでも辛い時期や苦悩の日々があると思いますが、それが永遠に続くわけではないので、前向きに頑張りましょう!


内村鑑三の名言17

天災に意思もなく道理もあるまい。

したがって之は神の刑罰ではあるまい。

どんなに祈っても、自然災害を避けることはできません。

それは単なる『天然的現象』なので、内村鑑三は「仕方がないこと(=信仰心とは関係がない)」と語っています。


内村鑑三の名言18

近代人は自己中心の人である。

内村鑑三は近代人を批判していたようです。

確かに現代は個人同士のつながりが希薄になっているので、内村鑑三が目指す『愛』や『義』の社会とは違うかもしれません。

やはりこの辺りは改善するべきポイントかもしれませんね。


内村鑑三の名言19

家族の有る処には必ず家庭が有るとは言はれません。

内村鑑三は「家族は肉体でありまして、家庭は霊魂である」と語っています。

ちょっと難しい表現ですが、家庭は魂の拠り所なので、家族がいるから家庭ができるというわけではないということです。

もちろん自宅という物理的な建物があったとしても、家族みんながそこを拠り所にしなければ”家庭”は成り立たないということです。

これは内村鑑三の提唱する「無教会主義」にも通じる考え方ですよね。

たとえキリスト教を信仰していなくても、『家庭=有教会』と考えれば、内村鑑三の提唱する『拠り所』という言葉の意味が理解できるはずです。


内村鑑三の名言20

札幌農学校は余の母校ではない、乳母校である。

内村鑑三は札幌農学校の出身ですが、札幌農学校といえばクラーク博士や新渡戸稲造ですよね。

新渡戸稲造は内村鑑三の親友でもありましたが、新渡戸稲造の名言集は下の記事をご覧ください。




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