今やらざる者は、未来もやらざるということなのです。
これは非常に厳しい言葉だと思います。
「明日やります」とか「この次は頑張ります」という言葉は、桜井章一にとって甘えでしかありません。
今全力を出し尽くさなければ、次も同じ結果になるので、それだけは避けるようにしましょう。
自分の強さ、弱さが仕事や麻雀にも染み出てくるというわけです。
これはとても奥深い言葉だと思います。
「なぜ桜井章一はそれほどまで強いのか?」というのは、誰でも疑問になりますよね。
その理由について、桜井章一は「日常生活の中で自分を鍛え上げたから」だと語っています。
つまり、日常生活で嫌なことから逃げたり、ラクな道ばかりを選んでいると、勝負事でも弱くなってしまうのです。
私は悪党であって、だからこそ善を求めようとしているに過ぎないのです。
これは人間性について語った名言です。
桜井章一は自分のことを善人だと思っていないそうです。
自分は悪人だと思っているからこそ、少しでも善人になれるように努力しているのです。
世間でいう、経済力があるかないかの視点から見るのではなく、どれくらい人様の面倒を見られるか。
それが真の意味での甲斐性です。
困っている人に気づいていながら、見て見ぬ振りをする人は甲斐性がないと、桜井章一は語っています。
人の面倒を見るということが、人間にとって一番大事なことだと言っているのです。
信じることは楽です。
しかし、信じてしまうと考えなくなる。
思考停止している状態は、脳死と同じです。
常識と言われていることを疑ってみることも必要だと思います。
自分を裏切らなければ、他をも裏切らないものです。
桜井章一は幼い頃から自分の意思で行動してきたそうです。
他人から言われてやるのではなく、「お前は、俺の言うことを聞くのか、聞かないのか?」と自問自答しながら、自分意志を裏切らないように行動してきたのです。
このような習慣が、勝負師としての桜井章一を磨き上げたと語っています。
本当のところ、本番と練習を分けて考えてはいけないのです。
「練習だから…」という気持ちで臨んでも、決して良い結果にはなりません。
たとえ練習だったとしても、本番のように取り組まないと、いつまでたっても真の実力はつかないのです。
真面目すぎると、面白くない人間になってしまいます。
桜井章一は「真面目とユーモアがくっついてこそ、本当の温かさが生まれる」と語っています。
人を思いやる感情を持った人間になることを推奨しているのです。
自然界に晴れの日ばかりが続かないように、安定などというものは、死ぬまで一生ないのです。
人生にトラブルは付きものです。
安定だけを望むのは良くないので、不安定だからこそ人生は面白いのだと考えましょう。
過去の恨み、つらみにしても、捨てたふり、忘れたふりではなく、本当に捨てることです。
これは人間関係について語った名言です。
憎悪や憎しみから、良い人間関係は生まれません。
それであれば思い切って捨てる勇気も必要なのです。