飽くことなく与え続けてください。
しかし残り物を与えないでください。
痛みを感じるまでに、自分が傷つくほどに与え尽くしてください。
与えることとは「奉仕する」ことです。
自己犠牲の精神で奉仕をするのです。
注がれる神の愛に心を開いてください。
神はあなた方を優しく愛してくださいます。
そして神から頂いたものは、錠をかけてしまい込んでおくのではなく、人々と分かち合ってください。
先ずは神に祈るのです。
そうすれば自然とやるべきことが見えてくるはずです。
それを心の中で考えるだけでなく、実行するように推奨している名言です。
貯めれば貯めるほど、与える機会を失ってしまいます。
持ち物が少ないほど、人々と分かち合うことも易しくなります。
これはなんとなく言っている意味が分かりますよね。
たくさんお金を持っていたり、資産がある人は、失うのが怖いのでそれらを守りたがります。
しかし失うものがない人は、失うこと自体に恐怖を感じないはずです。
与えることを学ばねばなりません。
でも与えることを義務と考えるのではなく、与えたいという願いにすることが大切です。
これはとても重要な名言だと思います。
義務感を持ってボランティアするのではなく、心の底から、ある意味衝動的に奉仕したいと思う気持ちが大切なのです。
自分のことへの思い煩いでいっぱいだと、他人のことを考える余裕がなくなってしまいます。
他人のことを考えるためには、まず自分の問題を解決しなければいけません。
そうしなければ他人のことを考える余裕など出てこないのです。
貧しい人々について語る事が一つの流行になっています。
しかし、残念なことに、貧しい人々と共に話すことを人々はあまり好みません。
これはドキッとさせられる名言ですよね。
多くの人は貧困について語ったり、どうすれば解決できるのかを考えていますが、実際に貧しい人達のところへ行って会話をしたり、実態を見聞きしようとまで思いません。
それが一般の人たちとマザーテレサの違いなのです。
貧しい人々の中でも最も貧しい人は、私たちにとってキリストご自身、人間の苦しみを背負ったキリストに他なりません。
マザーテレサは最も貧しい人を「イエス・キリスト」だと定義しているので、私たちの食べ物や衣服などは、何もかも貧しい人々と同じようにしなければいけないと言っています。
もしも月の世界に貧しい人々がいるとしたら、私たちはそこへも行きます。
これは冗談みたいな名言ですが、マザーテレサの覚悟が伝わってくる言葉ですよね。
世の中のどこに住んでいようとも、人間の欲望、すなわち求めるものが同じか、または極めて似たものなのです。
これは確かに真理だと思います。
人間である以上求めるものは一緒なので、そう考えた場合、全ての人間がマザーテレサと同じような行動をとる可能性だってあるのです。
大切なことは、たくさんのことを成し遂げることでも、何もかもをすることでもありません。
大切なことは、いつでも何に対しても喜んでする気持ちがあるかどうかなのです。
確かにこの名言の通りだと思います。
自分が楽しいと感じたり、やりがいを感じることが大切だと思います。