私の思索が大いに自分が気に入ったとはいえ、他人もまたおそらく、それ以上に気に入った自分なりの思索を持っている。
人は自分の知識や経験の範囲内で答えを導き出そうとします。
デカルトは自分なりのアプローチで真理にたどり着きましたが、人はそれぞれ自分の考えを持っているのです。
それを尊重しているような名言だと思います。
健康は紛れもなくこの世で最上の善であり、他のあらゆる善の基礎である。
精神状態はその時々のバランスによって変化しますよね。
人間の感情はとても不安定なので、人間が有能である証拠としては不十分なのです。
なので、まずは健康な体作りが必要不可欠のです。
そう考えた場合、健康でいることは紛れもない善だと言い切れます。
反論は有益であろうとも言える。
自分の意見が常に正しいはずありません。
反論意見はそれを気づかせてくれます。
実際に、自分一人の意見よりも、大多数の意見の方が見る角度が多いため、確実性が高いかもしれません。
私は、学校で行われている討論というやり方で、それまで知らなかった心理を何か一つでも発見したということを見たことがない。
討論というのは相手を打ち負かそうと懸命になってしまいます。
つまり論破しようとするのです。
なので論拠を考察するよりも、なんとなく真実味を強調することに注力してしまうのです。
私の思想を伝えることで、他の人々が受けるだろう利益について言えば、これもまたたいしたものではないだろう。
他人の考え方を全て理解するのは難しいと思います。
なぜかと言うと知識量が違うし、経験値も違うからです。
結局自分の考えを本当に理解できるのは、自分一人しかいないのです。
私は、私が見ている物は全て偽であると想定しよう。
世の中にある物体、形、運動、場所、時間などが全て幻想だったと仮定した場合、全てが偽であると言えます。
デカルトは「世の中には確実なものが何もない」ことだけが真実だと言ったのです。
何か最高に有能で狡猾な欺き手がいて、私を常に欺こうと工夫を凝らしている。
デカルトは、世の中には偽だらけなので、欺きの連続だと言っているのです。
しかし欺かれていること自体が真なので、「出来る限り私を欺くがよい」と語っています。
そうすれば自分が存在する確証に近づいていくのです。
驚きには、我々が対象の大きさに驚くか、それとも小ささに驚くかに従って、尊重と軽視とが結びつく。
驚きといっても、
- 自分が想定したよりも凄くて驚く
- 自分が想定したよりも駄目で驚く
の2種類があると思います。
それによって尊重(=尊敬)と軽視(=軽蔑)が出てくると言っているのです。
欲望はいつも未来に向かっていることが明らかである。
- ブランド品が欲しい
- 旅行に行きたい
- 人から褒められたい
このような欲望を人間は持っています。
これらは全てポジティブな感情だとデカルトは言っています。
なぜかと言うと、全て変化を求めているからです。
執着というのは、自分にとって価値のあるものを所有し続けたいという欲望に関する「懸念」の一種である。
執着を「懸念」と表現するのはユニークですよね。
つまり失う可能性があるから、人間は執着するのだとデカルトは言っているのです。
その一方で、執着しているものに対して、非常に大きな尊重があるのも事実だと言っています。
つまり尊重しているからこそ失うのが怖くて、故に執着するということです。
残念とか後悔とかを起こすものは、ただ不決断のみです。
精神が弱い人は、結果が出る前に「自分の選択は間違っていた」と勝手に思い込んでしまいます。
しかし、自分で判断したのであれば後悔したり残念に感じる必要などないのです。
一番重要なことは結果ではなく、自分の意思で判断することなのです。
まとめ
ここまでルネ・デカルトの名言集を解説してきました。
偉大な哲学者であり賢人として知られているデカルトですが、その考え方を少し理解するだけでも、世の中の見え方は違ってくるはずです。
デカルトの名言から、生きる為の知恵を学びましょう!