一つのことについては一つの真理しかないのだから、その真理を見つける人は誰でも、それについては人の知り得る限りのことを知っているわけである。
これはプロフェッショナルについて考える場合も同じだと思います。
世の中には様々な分野のプロフェッショナルがいますよね。
その人達はその分野の全ての知識を得ていて、実経験も豊富なのでプロフェッショナルと呼ばれているはずです。
これがプロフェッショナルの定義なのです。
私は哲学でまだ何も確実な原理を見出していないことに気づき、何よりもまず、哲学において原理を打ち立てることに努めるべきだと考えた。
デカルトは当時23歳だったそうですが、歳は若いのにかなり難しい事を考えていますよね。
デカルトの探求心が垣間見える名言だと思います。
極端からは最も遠い、一番穏健な意見に従って自分を導いていく。
もし意思決定できない場合、グレー(中道)を選択するのも良いとデカルトは言っています。
自分で意思決定ができないのに、「YES or NO」で判断してしまうと、後で修正するのが大変になるからです。
その人たちの意見が実際にどのようなものかを知るには、彼らの言うことよりもむしろ行うことに注意すべきだと思われた。
デカルトはほとんどの人が真理を理解していないので、知識に裏付けされる意見など意味がないと考えていたのです。
それゆえに、人となりを見るためには、その人の行動を見るほうが早いと言っています。
多くの人は自分が何を信じているか自分でも分からなくなっている。
これも哲学的な名言ですよね。
何も考えずに生きていると、このような人間になってしまうと思います。
人間の特徴は、自ら学んで思考することなので、その気持ちを絶やさないようにしましょう。
旅人は、あちらに行き、こちらに行きして、ぐるぐるさまよい歩いてはならない。
これは人生を隠喩した名言です。
幸せな人生を生きるためには、歩く方向を定めなければいけません。
そうしなければ無駄が多くなり、結局目的地までたどり着くこともできないのです。
どれが最も真なる意見か見分ける能力が我々にない時は、最も蓋然性(がいぜんせい)の高い意見に従うべきだ。
蓋然性は「確実性」と言い換えることもできます。
つまり意思決定する場合には確実性のある証拠が必要になりますが、それすらない場合には、意思決定するのが難しくなります。
しかし、それでも意思決定しなければいけない場合、一度決めたことを決して覆してはならないとデカルトは言っています。
もしそれを覆すようなら、森の中をぐるぐる回ることになり、いつまで経っても結論にたどり着かないからです。
たとえそれが間違った選択だったとしても、いづれ何らかのゴール(結論)にはたどり着きます。
それを繰り返しながら修正していくのが大切なのです。
完全に我々の力の範囲内にあるものは、我々の思想しかないと信じるように自分を習慣づける。
これは真理を追求するための思考方法について語った名言です。
難しい言い回しをしていますが「完全に我々の力の範囲内」というのは、自分でコントロールできる範囲内ということです。
つまりその範囲を自分の世界と考えて、それ以外の思考(可能性含む)を排除してしまうのです。
そのように考えれば、自分が選択した判断がたとえ間違っていたとしても、この結論は不可避だったと考えることができるはずです。
これは非常にポジティブな考え方だと思います。
いくら良いものでも、我々の外にあるものはすべて等しく自らの力から遠く及ばないとみなせれば、生まれつきによるような良き物がないからと言って、自分の過ちで失ったのでなければ、それを残念に思わない。
「親ガチャ」という言葉がありますが、この名言はそれを一刀両断しています。
デカルト曰く、自分の力でコントロールできないものを嘆いても仕方がないのです。
重要なことは「自分の力で人生を切り開く」ことです。
自分の力が及ぶ範囲だけに集中しましょう。
ダイヤモンドのように腐らない物質でできた体や、鳥のように飛べる翼を持ちたいと望まないように、いわゆる必然を美徳とすることによって、病気でいるのに健康でありたいとか、牢獄にいるのに自由になりたいなどと望まなくなる。
これはポジティブに生きるために使える名言だと思います。
今の現状を美徳(=真理)とすれば、それ以外の考えはすべて偽りとみなすことができます。
哲学的な考え方ですが、これは真実だと思います。