オードリー・ヘップバーンの名言21

私はこの不安や劣等感をどうにかしてプラスに転じたかった。

そのためには、強い精神力を養う以外に方法はないと思い、努力したのです。

無名だったオードリー・ヘップバーンは監督や配給会社にこびることなく、毅然とした態度を貫きました。

例えば「ローマの休日」のヒロインが決定した時、映画会社から名前を変更するように要望されたそうです。

有名女優である「キャサリン・ヘップバーンと混同するから」という理由でした。

それに対してオードリー・ヘップバーンは「名前ごと受け入れてくれないのなら、ヒロイン役もいらないです」と告げたのです。


オードリー・ヘップバーンの名言22

きっぱりと決断する人だけが成功するのです。

これは”自分で意思決定する重要性”について語った名言です。

オードリー・ヘップバーンは美しさだけでなく、強さも兼ね備えていたのです。


オードリー・ヘップバーンの名言23

父に捨てられたことは、私の人生で最もショッキングな事件でした。

オードリー・ヘップバーンが6歳の頃、両親が別居します。

喧嘩が絶えない夫婦だったので、オードリーはいつもテーブルの下に隠れて耳を塞いでいたそうです。

父親は家を出て行ったあと、自分から会いに来ることは無かったそうですが、オードリーはずっと会いたいと感じていました。

ちなみにオードリーが31歳だった時、音信不通だった父親を探し出して再会することができたそうです。


オードリー・ヘップバーンの名言24

戦争によって、逆境に負けない強靭さが身につきました。

オードリー・ヘップバーンは第二次世界対戦を経験したので、反戦運動に熱心でしたが、「戦争は私に積極性を与えてくれた」とも語っています。

「戦争を生き延びた」という経験によって、人生観が変わったのだと思います。


オードリー・ヘップバーンの名言25

生きているうちに、なるべく多くのことをしたかったのです。

なぜならもうそろそろガソリン切れになりそうだから。

晩年のオードリー・ヘップバーンは、ユニセフ親善大使として世界中を巡りました。

そこで見た悲惨な現状を世界へ発信したのです。

そしてソマリアへ視察して、帰ってきた後に末期の大腸癌が発見され、スイスの自宅で亡くなりました。


オードリー・ヘップバーンの名言26

私にできることはわずかですが、思いがけない贈り物をもらった気持ちです。

自分が有名になったのが、何のためだったのか、今やっとわかったからです。

晩年のオードリー・ヘップバーンはユニセフの活動に専念します。

自分自身が第二次世界大戦を経験し、食糧難によって栄養不足に陥り、医療援助を受けた経験があるので、ユニセフ活動に共感したのです。

オードリー・ヘップバーンは世界中の人々に対して、

  • 子供を否定することは命を否定することです。
  • 子供の発言力をもちません。私たちの助けが必要なのです。
  • 子供たちを救うことは神から与えられたチャンスです。

と訴えて、自分の役割を全うしたのです。


オードリー・ヘップバーンの名言27

犠牲というのは「したくないことのためにしたいことを諦める」ということでしょう。

これは犠牲なんかではありません。

私が授かった贈り物です。

この言葉は「あなたは自分の時間を犠牲にしているのではありませんか?」と聞かれた時に反論した名言です。

ユニセフの親善大使には交通費や宿泊費が出るそうですが、基本的に無給なので、ボランティア活動に当たります。

その上、危険地域へ出向くので、身体的なリスクもあります。

それでも積極的に活動したオードリー・ヘップバーンを、「デザイナージーンズを履いたマザー・テレサ」と世界は評価したのです。

マザー・テレサもクリスチャンだったので、共通する部分は多いかもしれませんね。

マザー・テレサの名言集は下の記事をご覧ください。


オードリー・ヘップバーンの名言28

国連安全保障理事会の5つの常任理事国が、全世界の兵器の90%を売っているのです。

これはオードリー・ヘップバーンが指摘した矛盾です。

国連(国際連合)の主な活動目的は、国際平和と安全の維持、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現ですが、そのトップである常任理事国が世界平和を乱していると語ったのです。

オードリー・ヘップバーンは芯が強い人

ここまでオードリー・ヘップバーンの名言集をご紹介してきました。

最初の頃、オードリー・ヘップバーンはバレリーナを目指していましたが、身長の高さ故に夢を断念し、逆に高身長が活かせるモデルや女優業に転向しました。

当時のハリウッドはアングラな業界だったはずですが、そこでは自らの信念を貫き、見事に大女優として成功を収めたのです。

その一方、私生活では「主婦業」に奮闘し、なんとか幸せを掴もうとしますが、何度も挫折することになります。

それでも家族を求めたオードリー・ヘップバーンは、最終的に最愛の人(ロバート・ウォルダーズ)と出会うことになります。

そして知名度のある自分がやるべき仕事「ユニセフ親善大使」という生きがいを見つけて、その活動に生涯を捧げたのです。

60歳という若さで”末期の大腸癌”と診断されてしまいますが、オードリー・ヘップバーンは「病気になるのは自然なこと」と言って治療を拒んだそうです。

最後まで毅然とした態度を貫いたオードリーを見て、家族は清々しく最後を見届けられました。

このような”芯のある生き方”には、誰もが憧れると思います。

「美の象徴」として語られることが多いオードリー・ヘップバーンですが、強い信念を持っていて、自らの生き方を貫いた人物だったのが理解できたはずです。

歴史上の偉人はみんな信念を貫いて生きていました。

それは日本も例外ではないので、激動の時代と言われた明治維新の偉人たちが残した名言集もぜひご覧ください。




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