仕事にも恋をしているのに、彼と結婚するのは、彼に対してアンフェアだと感じたのです。
女性にとって、仕事と結婚を両立させるのは大きな課題ですよね。
この言葉はオードリー・ヘップバーンが23歳で婚約解消した時の名言です。
オードリー・ヘップバーンは「結婚したら少なくとも1年間は仕事をやめて、主婦に専念したい」という考えだったので、「ローマの休日」のヒロインが決まったタイミングで結婚することができなかったのです。
私にも愛が必要です。
愛したいし、愛されたいのです。
オードリー・ヘップバーンは愛情深い人として知られていました。
恋人だけでなく、家族や友人、さらには世界中の人々に対しても愛情を持っていたのです。
それが晩年のユニセフ大使を通じた平和活動へと繋がっていきます。
私達が仕事で行った場所がどこであれ、それが我が家でした。
私たちはカタツムリのように家を背負って歩くのです。
オードリー・ヘップバーンは、とにかく家庭を大切にする人でした。
最初に結婚したメル・ファラーも俳優だったので、どうしてもホテル住まいが多かったそうですが、そのホテルには自分たちの荷物を運び込み、食器やベッドカバーなどを全て入れ替えていたそうです。
子供が生まれると、私は妻として望める全てを手に入れたと感じました。
けれど、夫は違いました。
オードリー・ヘップバーンにとっては初産でしたが、夫のメル・ファラーは二度の離婚経験者で、子供も四人いました。
なので、だいぶ温度差があったようです。
そしてメル・ファラーは映画監督もこなす野心家だったので、家庭よりも仕事を優先するタイプでした。
このあたりの価値観が違ったようです。
彼に出逢った時、頭にレンガが落ちてきたみたいでした。
オードリー・ヘップバーンはメル・ファラーとの離婚に向けて別居している時、二人目の夫となるアンドレア・ドッティと出会います。
その時の名言がこの言葉です。
なんともロマンティックな表現ですよね。
夫や子供が帰ってきた時に、不機嫌な妻や母親ではいたくありません。
オードリー・ヘップバーンは40歳で第二子を出産し、前夫との第一子、アンドレア・ドッティの家族四人で暮らしていました。
そんなオードリーでしたが、家庭を大切にする人なので「主婦業」に専念したいとも考えていました。
その一方で「二度目の離婚(失敗)をするわけにいかない」という気持ちもあったのだと思います。
もしも夫が女性に望むものを私が与えられずに、感情的にも、肉体的にも、性的にも、夫が他の女性を必要とするようなら、私は潔く身を引きます。
アンドレア・ドッティはイタリア人&プレイボーイで、しかもオードリー・ヘップバーンより9つも年下だったので、女遊びが激しかったそうです。
さらに結婚&出産してからも夜遊びをやめず、とても不誠実だったので、すぐに結婚生活は破綻しました。
そのような状況の中で発した名言ですが、オードリー・ヘップバーンの勝気な性格が見え隠れする言葉だと思います。
「一緒にいなければならない」からではなく「一緒にいたい」からそうしているのです。
アンドレア・ドッティとの結婚生活が破綻した後、オードリー・ヘップバーンはロバート・ウォルダーズ(俳優)と出会いますが、その時の年齢はオードリー・ヘップバーン(51歳)、ロバート・ウォルダーズ(44歳)でした。
メル・ファラーとアンドレア・ドッティは女性を支配するタイプの男性でしたが、ロバート・ウォルダーズは献身的な人だったので真逆のタイプだったそうです。
そのようなロバートの個性についてオードリーは「彼は私のために存在している」と表現しました。
愛は行動なのよ。
言葉だけではダメなの。
言葉だけで済んだことなど一度だってなかったわ。
人間は気持ちを察することができますが、全て正確に理解することはできません。
やはり言葉だけでなく、行動で示すことが大切なのでしょう。
チャンスなんて、そうたびたび巡っては来ません。
だから、いざ巡ってきたら、とにかく自分のものにすることです。
これは”チャンスを掴み取る大切さ”について語った名言です。
これと同じような言葉を多くのCEO(経営者)も語っているので、そちらもぜひご覧ください。